第19話 「藤井徳一」

春の終わりを告げる風が吹いていた。



 陽介は、駅前の商店街を抜けた先にある細い路地を歩いていた。目的地はもう少し先だ。古びたアパートの一角——そこが藤井徳一の家だった場所だ。




 半年前の春、あの家は静かに姿を消した。老朽化のため、取り壊されたのだという。いまは更地になり、青いネットの仮囲いに包まれている。立ち止まると、かすかに土のにおいがした。




 「……ここだったんだよな」




 陽介は手にしていた封筒を見つめた。色褪せた便箋が一枚、そっと挟まれている。差出人欄には「藤井徳一」、宛名はなかった。




 正確には、宛名がないというより——自分自身に向けて書かれた手紙だった。陽介はそう直感していた。




 きっかけは、あの解体工事のときに見つかった木箱だった。徳一の家の天袋から出てきた、ひとつの古い木の箱。中には、丁寧に綴じられた原稿用紙の束が収まっていた。




 そこに記されていたのは、陽介が実際に届けてきたあの“六通の手紙”の記録と、どこにも投函されていない、たった一通の未送信の手紙だった。




 それはまるで、自分の人生を自分で配達するかのように綴られていた。誰にも渡されることのなかった最後の一通——それを、陽介が受け取った。




 「……徳一さん、これが最後の手紙なんですね」


 封筒を開けると、わずかに埃のにおいが混じった紙の感触が指に伝わった。


 便箋には、こう書かれていた。






——


 人生を振り返ってみても、ろくなことはしてこなかったような気がする。


 人に優しくしたつもりでも、それがほんとうに届いていたかどうかなんて、死ぬ間際になってもわからん。


 失敗も、喧嘩も、別れも、山ほどあった。恨まれたこともあるし、自分でも情けなかったこともある。


 けれど、そんな人生でも、誰かと関わったことだけは、嘘じゃなかったと思う。


 誰かに渡した手紙——あれは、わし自身が出せなかった声でもあった。


 そして、たぶん、あの青年——陽介くんに届けてもらったのは、わしの人生そのものだったんじゃろう。


——






 陽介は、ゆっくりと便箋を閉じた。


 読み終えてすぐに言葉が出てこなかった。ただ静かに、胸の奥に何かが沈んでいく感覚があった。

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