第4話(甦る記憶)
警察署を出て、重い足取りで家路についていた。慣れたはずの夜道も、今日の俺にはひどく長く感じられる。あの女性の「なぜ助けたの?死なせてくれないの?」という言葉が、まるで呪文のように耳の中で反響し、俺の心を締め付けていた。果たして、俺の行動は正しかったのだろうか。
マンションのエントランスをくぐり、エレベーターを待っていると、ポケットの中のスマートフォンが震えた。表示されたのは、見慣れない番号。先ほどの警察署からの電話だった。
「はい、もしもし」
警戒しながら通話ボタンを押すと、受話器の向こうから、先ほどの年配警官の少しばかり気まずそうな声が聞こえてきた。
「ああ、先ほどはすまなかったね。遅い時間に、本当に済まない」
謝罪の言葉に、俺は首を傾げた。何かあったのだろうか。
「実はね、ちょっと相談なんだが……」
警官は、言葉を選びながら慎重に続ける。
「あの女性がね、君に会いたいと言っているらしいんだ」
俺は、一瞬、自分の耳を疑った。会いたい?あの、何も感情を映していなかった瞳の彼女が、俺に?
「え?会いたい、と……」
「ああ。病院で意識がはっきりしてきてね。落ち着いたと思ったら、しきりに『あの人、あの時の人』と。どうも、君のことを指しているようなんだ」
信じられない。会うはずのない、まったく見知らぬ人間が、どうして俺に会いたがるのか。そして、この警官も、やはり俺と彼女の間に何か繋がりがあると考えているのだろうか。
「しかし、私とは初対面で……」
俺がそう言いかけたのを遮るように、警官は言った。
「それがね、彼女も君の顔や名前をハッキリ覚えていないらしいんだ。ただ、『あの時、自分を助けた人』と、強く意識しているようでね。何か、言っておきたいことがあるのかもしれない。我々も、彼女の心理状態を考えると、無理に引き止められないんだよ。君も、彼女を助けた手前、一度会ってみるわけにはいかないだろうか?」
ハッキリ覚えていないのに、会いたい?
その言葉に、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。それは、恐怖ではない。まるで、何か見えない力が、俺と彼女を引き合わせようとしているかのような、抗い難い必然性を感じたからだ。
「なぜ、助けたの? 死なせて、くれないの?」
あの虚ろな瞳で発された言葉が、再び脳裏をよぎった。
彼女の「会いたい」という要望は、一体何を意味するのだろう。あの絶望の淵にいた彼女が、俺に何を伝えたいのか。もしかしたら、あの時俺を突き動かした「魂の因縁」が、今、彼女の側からも呼応し始めたということなのか?
俺は深く息を吸い込んだ。
「……分かりました。いつ、どこへ行けばいいですか?」
俺の返答に、警官は明らかに安堵した声を上げた。
「本当かね!助かるよ!では、明日の午後、病院へ来てくれるか?詳しい場所と時間は、今からメッセージで送ろう。ありがとう、本当にありがとう!」
電話を切った後も、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。疲労は、いつの間にかどこかへ消え去り、代わりに全身に張り詰めたような緊張感が走っている。
会いたい、か。
初めて出会った時、死を望んだ彼女が、今、俺に会いたがっている。それは、拒絶ではなく、何かを求めているサインなのか。あの時、俺の脳裏をよぎった「フラッシュバック」が、彼女の中にもあるのだろうか。
明日の午後。その時、俺たちは何を知ることになるのだろう。そして、俺の行動が本当に「救い」だったのか、その答えを見つけることができるのだろうか。運命の歯車が、ゆっくりと、しかし確実に動き始めたのを感じた。
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