第2話「……なぜ、助けたの?」「死なせて、くれないの?」
車道の真ん中、鳴り響くクラクションと怒号の渦中。腕の中に抱きしめた彼女の身体は、驚くほど軽かった。その時、微かに、しかし確かに、彼女の口から言葉が紡ぎ出された。
「……なぜ、助けたの?」
その声は、泣いているわけでも、怒っているわけでもなかった。ただ、感情が抜け落ちたような、虚ろな響きを持っていた。俺の耳に、それは嫌に鮮明に焼き付いた。
「死なせて、くれないの?」
背中に回した腕の力が、思わず緩む。何を言っているのか、理解が追いつかない。俺は、ただ目の前の命が消えるのを、見過ごすことができなかっただけだ。あの閃光が、あの予感が、俺を突き動かしただけなのに。この腕の中にいる彼女は、それを望んでいなかったのか?
警察官が駆け寄ってきて、ようやく周囲の喧騒が遠ざかるように感じた。
「おい、大丈夫か!?二人とも!」
警官の声に、我に返る。ゆっくりと腕を解き、彼女の顔を見た。その瞳には、光が宿っておらず、ただ深い虚無が広がっているだけだった。さっきまで、必死に死へと向かっていた人間とは思えないほど、彼女は静かだった。
「救助です。この女性が、車道に飛び出そうとしていたので……」
警官に状況を説明する俺の横で、彼女は微動だにせず、ただぼんやりと一点を見つめている。彼女の「なぜ助けたの?」「死なせてくれないの?」という言葉が、頭の中で何度も反響した。俺の行動は、果たして彼女にとって、救いだったのだろうか?
「とにかく、危ないからこっちへ!」
警官に促され、俺と彼女は歩道へと移動した。野次馬の好奇の視線が、まるで棘のように肌を刺す。トラックのドライバーは、警察官に必死に無関係を主張し続けている。日常が、あっという間に非日常の舞台と化していた。
彼女は、されるがままに警官の誘導に従い、まるで感情を失った人形のようだった。彼女の纏う空気は、さっきまでの自殺を図ろうとした者の焦燥とは違い、まるで生きることを諦めきったかのような、静かで冷たい絶望そのものだった。
俺は彼女の横に立ち、その顔をもう一度見つめた。助けた。その行為に、一点の曇りもなかった。しかし、その行為が、彼女にとって本当に『救い』だったのか。その答えが、今の俺には見つからなかった。彼女の問いが、俺の胸に重くのしかかる。なぜ助けたのか? 死なせてくれなかったのか?
問いは、答えを求めている。だが、その答えは、今の俺には、いや、この場所には、見つからそうになかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます