第4話 湖畔の謎

 ワーズワースが愛した湖水地方。シアンとクロは、その美しい景色を求め、小さな村グラスミアに到着した。石畳の道、蔦の絡まる家々、そしてエメラルドグリーンの湖。まさに詩人が愛した風景が、目の前に広がっていた。


「美しいところだね、シアン」


 クロがテレパシーで話しかけてきた。普段は鳴き声しか発しないクロだが、時折、こうしてシアンに直接語りかけてくる。長く生きる彼は、多くの知識と経験を持っているが、それをひけらかすことはない。


「ああ、クロ。ワーズワースがこの地を愛した理由がわかる気がするよ」


 シアンはそう答え、スケッチブックを開いた。湖畔の風景を、繊細なタッチで描き始める。クロはシアンの肩に乗り、じっとその手元を見つめていた。


 村の宿にチェックインした後、シアンは村を散策することにした。目的は、この地で起きたという、ある画家の失踪事件について調べることだった。


「アーサー・ペンドルトン。地元の風景画家で、数週間前に忽然と姿を消したらしい」


 シアンは、宿の主人から聞いた情報を反芻する。アーサーは、ワーズワースの影響を受けた画家で、湖水地方の風景を多く描いていたという。しかし、近年は体調を崩し、作品の発表も減っていたらしい。


「まるで、詩人が消えるように、画家も消えてしまったか」


 シアンはそう呟き、アーサーが最後に描いたという絵を探すことにした。村の画廊を訪ね、事情を説明すると、店主は奥から一枚の絵を取り出してきた。


「これが、アーサーが最後に描いた絵です。未完成のまま、残されたんですよ」


 シアンは、その絵を食い入るように見つめた。描かれているのは、湖畔の風景。しかし、いつものアーサーの絵とは異なり、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。空はどんよりと曇り、湖面は黒く淀んでいる。そして、画面の隅には、枯れた一本の木が描かれていた。


「この絵は…彼の晩年を象徴しているのだろうか」


 シアンはそう呟いた。絵からは、アーサーの絶望や諦めといった感情が伝わってくるようだった。特に、枯れた木の描写は、彼の生命力の衰えを暗示しているようにも思えた。


「シアン、何か気づいたのか?」


 クロがテレパシーで尋ねてきた。


「ああ、クロ。この絵には、アーサーのメッセージが隠されている。彼は、誰にも言わずに、静かに死を迎えようとしていたんじゃないかな」


 シアンは、絵の細部をさらに詳しく調べ始めた。絵から読み取れるのはその者の人生観や死生観、描いてる時の心情や思考といったものだ。そして絵の具の種類、筆のタッチ、そして絵の具の層。それらを分析することで、アーサーの心理状態や、絵を描いた時の状況が見えてくる。


 その時、シアンは、絵の具の中に、微かな異物混入を発見した。それは、この地域では珍しい種類の土だった。


「この土は…」


 シアンは、その土が採取された場所を特定するために、村の地図を広げた。そして、その土が採取された場所が、村から少し離れた場所にある、古い廃墟であることを突き止めた。


「クロ、行ってみよう。おそらく、そこに絵の答えがある」


 シアンとクロは、廃墟へと向かった。道中、シアンはクロに話しかける。


「クロ、君の超感覚で、何か感じないか?アーサーの気配のようなものを…」


 クロは、しばらく周囲を警戒していたが、やがて静かに答えた。


「微かに、感じる。悲しい、そして暖かい気配だ」


 廃墟に到着すると、そこは荒れ果てた場所だった。建物は崩れかけ、草木が生い茂っている。しかし、その中に、アーサーが絵を描いていたと思われる場所があった。イーゼルが倒れ、絵の具が散乱している。そして、地面には、アーサーが最後に描いた絵と同じ種類の土が落ちていた。


 シアンは、あたりを注意深く調べ始めた。すると、建物の奥に、小さな洞窟があるのを発見した。洞窟の中は暗く、湿っていた。シアンは、懐中電灯を取り出し、洞窟の中を照らした。


 そこで、シアンは信じられない光景を目にした。洞窟の奥に、アーサーが横たわっていたのだ。彼は、静かに息を引き取っていた。


「アーサー…」


 シアンは、アーサーの亡骸に近づき、手を合わせた。彼の顔は穏やかで、苦しんでいる様子はなかった。


「彼は、ここで静かに死を迎えたんだな」


 シアンは、そう呟いた。アーサーは、病気を患い、余命わずかなことを悟っていた。そして、誰にも迷惑をかけずに、自分の愛した場所で、静かに死を迎えることを選んだのだ。


 アーサーが最後に描いた絵は、彼自身の遺書だったのだ。絵の中に描かれた暗い風景は、彼の絶望と諦めを象徴している。そして、枯れた木は、彼の生命力の衰えを暗示していた。しかし、絵の具の中に混入された土は、彼が最後に愛した場所を示す、メッセージだったのだ。


 事件は解決した。アーサーは、誰かに殺されたわけではなく、病死だった。しかし、シアンは、アーサーの死を通して、人間の孤独や死生観について深く考えさせられた。


「シアン、これで終わりなのかい?」


 クロがテレパシーで尋ねてきた。


「ああ、クロ。事件は解決した。しかし、アーサーの死は、私に多くのことを教えてくれた」


 シアンはそう答え、廃墟を後にした。湖畔の風景は、相変わらず美しかった。しかし、シアンの目には、どこか違って見えた。


「人の心は、風景と同じように、複雑で美しいものだ」


 シアンはそう呟き、次の目的地へと向かう。

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