005_Unbalance - Primadonna - 03

 アオイに手を引かれ、ロビンは温室を脱出する。直後めりめりと音を立てて木が折れ、背後で横倒しになる。天井から、四方八方から降り注ぐ火の粉を払い、必死で温室から距離を取る。


「アオイ! 下がれ!」


 ロビンは大斧を立てて爆風を防ぐ。直後轟音を立てて温室の一部が爆発し、ガラスの破片が爆風に押し出されて弾丸のように飛んでくる。

 酸素ボンベに引火したか──火の勢いは止まることを知らず、ついに温室全体が炎に飲まれる。

 白い箱の影が時折炎の奥でちらついた。

 ロビンは呆然と、炎を見上げる。

 もう助からないだろう。中に残ったアセビとフレデリックは、きっととっくに焼け死んでいる。

 そう思うと、虚無感が這い出──、遠くからサイレンの音が聞こえた。徐々に音はこちらへ近づいてくる。きっとブラックが消防を呼んだのだろうが、そんなことよりも熱された空気で気管支が、肺が焼き付く。

 空咳をして、ロビンは地面に突き刺さった斧を引き抜く。


「ロビン、行こう。燃えちまう……!」


 アオイが必死にロビンを呼ぶ。真っ赤な虹彩がぼんやりとしたロビンを映していた。


「逃げないと」

「火葬だ」


 ロビンはぼそりと言った。


「……こんな事のために…」

「急げ」


 ブラックがロビンの義手を引いた。今までにないほど強い力で触れられたことに、ロビンは一瞬面喰う。


「ここも危うい。敷地の外へ一度出なければ、私たちも共倒れだ」


 ブラックが有無を言わさずロビンを抱え上げ、アオイも追従する。地面を強く蹴り飛ばして跳躍し、即座に敷地の外まで飛び出す。

 直後──轟音が三度、響いた。

 ついに温室は崩れ、火柱が立ち上る。現着した消防たちが炎へ向かい、インターポールの捜査官たちと警備ドローンが即座に現場を封鎖する。

 あまりにもあっけなく、全てが進む。

 ロビンは消防隊のひとりの肩を掴んだ。


「ちょっと待てよ」

「……その。言いづらいのですが」

「違う。……多分内部に酸素ボンベがある。引火して何回も爆発してる──ある程度燃え尽きるまで、放置したほうがいい」

「しかし」


 確かに酸素を消費しきってしまえば、勝手に火の勢いは止まるだろう。


「お願い」


 ロビンは頭を下げた。


「最期くらい好きにさせてやって」

「あの……何を言っているんです? 中に人がいるんですよね」


 消防士は困惑を隠さない。無理もなかった。


「……、ごめん。忘れて。あとはよろしく」


 ロビンの声に、インターポールと消防隊が敬礼姿勢を取る。

 納棺師の鮮紅色は、どのような場面でも畏敬を集める対象であり続けていた。どれほど無力に打ちひしがれて、絶望の淵に立たされていたとしても。


「ロビン」


 アオイの手が空を切る。炎に背を向けて、ロビンは夜風に身を任せる。警察車両の集結した中へ、彼女はふらふらと向かっていった。





 瓦礫と化した温室の前には、規制線が張られている。実際にテープがあるわけではなく、今となってはすっかりホログラムに置き換えられた代物ではあったが、黄色いホロのバリケードと、規制線に似たそれがある限り、人々はその奥へ立ち入ることはない。

 すでに日は落ち、辺りを闇が覆っている。灼熱の昼間とは打って変わって、海に面しているせいか風は冷たかった。

 灰が舞う。

 隣に立つジェイド・グリーン、アレキサンドリア・ブラック両名は、今も健気に稼働している鑑識ドローンを眺めつつ、瓦礫の奥で一際存在感を放つそれを認識した。

 長刀は深く刀身を地面と融合させ、捜査員にもそれを引き抜くことができないらしい。刀身には掠れてはいるものの──判読できる文字がある。


 006-STYX/ ■■-■■〈■■■■〉


 意図的に削り取られている識別名は判読できない。



「バカがよ」


 背後に立っていたロビンの唇から、掠れた声が零れる。


「彼なりにけじめのつもりなのだろう」


 ブラックは言う。燃えつきて灰と炭になった植物らの奥に、燃え残った白い箱があった。外壁に黒い煤がいくつも残っており、火災が如何に激しいものであったかを示している。

 捜査員たちは、箱の内部を調べているらしかった。

 炎は箱の内部も焼き払っていた。黒焦げた医療機器の残骸がいくつか運び出され、担架に遺体袋が乗せられる。

 誰のモノかはわからない。判別にも苦労するだろう。何せ、DNA情報が同じ人物が二人いるのだから。

 軍靴の音と、タングステン合金の義足の音が交互に響く。暗い中にあってもその音だけは嫌に冴えわたり、ジェイドは思わず去ろうとする鮮紅色の背中を呼び止める。


「おい、ロビン。どこ行くんだよ」

「殴りに行く」

「あ? いや、殴るって、誰を」

「エレナ」


 男二人は固まる。ブラックが首を横に振る。こういう時のロビンは、諫めても無意味だと経験則で理解しているのだ。

 ロビンは殴ると言ったら本当に殴るし、殺すと言ったら本当に殺す。〈Fragments〉の最高傑作と表現される所以は、ここにあった。


「殴りたくなる気持ちは分かるけどよ……」


 ジェイドは妙な位置に置かれた手をゆっくりと下ろす。


「俺たちじゃどうすることもできなかった。だって誰が思うんだよ、心中するために事件を起こしたなんて」

「エレナはきっとこうなることが分かってた」 ロビンは立ち止まって、「あいつはいつもそう。私とご主人様の行動が全部徒労に終わるって分かってても、駒を動かす。足掻いてるうちに打開策が見つかると信じてる」


 そして振り返った。


「けど、そいつが本当は何の目的もなくて破滅したいだけだったら、どうすればよかった? 私らに何が出来たのよ。何もできやしない。できるわけない」


 ブラックに彼女の粗暴さを嗜める様子はどこにもなかった。

 サングラスで覆い隠された赤い瞳が、ロビンの苦悶を映す。それを知ってか知らずか、ロビンはブラックをちらりと見て、


「……すみません。八つ当たりです」

「ロビン」


 ブラックはいっとう優しい声で彼女を呼んだ。


「カンジャンケジャンを食べようか」


 僅かに意識的な明るさの混じった雰囲気に、ロビンは困惑を隠さず目を見開く。


「は……?」

「君の言うとおり、この事件において私たちができることはもう何もない」


 ブラックの横顔は憂いを帯びたまま、墓標のような長刀へ向けられている。

 煤で真っ黒に変色したそれは、生前のフレデリックが持っていた危うい輝きを全てくすませ、狂気によって塗り潰しているように思えた。

 仔細はこれからインターポールが明らかにしていくだろう。納棺師の職務は本来、吸血鬼を殺すことにある。


 できることはもうないのだ。

 唯一できるとすれば、花を手向けることぐらいだろう。ブラックは口には出さず、瞼を閉じる。


「〈トリスメギストス〉は相変わらず最適な人生を用意するし、〈Fragments〉は今日も吸血鬼との戦争の前線へ送られる。私たちも、エレナから言われるままに次の事件へ首を突っ込む」

「……。嫌味ですか」

「まさか」


 ブラックは瞼をゆっくりと持ち上げた。相変わらず表情は穏やかな微笑みに彩られている。警備ドローンの白い光が降り注ぎ、泣きそうな表情をしたロビンを照らす。


「たとえ君が兵器であっても、前へ進むための時間は必要だろう」

「俺も」


 警備ドローンに見守られながら現場へと顔を出したのは、伊地知アオイだった。丸っこいドローンは浮遊せず、彼の両腕に収まっている。


「……俺も、カンジャンケジャン食べてみたい」


 無理やり作った笑顔は不格好で、おまけに涙の痕が隠せていない。アオイは鼻をすすり、


「……その…ごめん。俺のせいだよな」

「何でそうなるのよ」 ロビンはアオイの鼻をつまんだ。「別にあんたは悪くないでしょ」

「んぐ、」 アオイは唸って、「でもさ、その……俺がもし殺されてたら、こうはならなかったかもしれねえじゃん」

「何言ってんだお前。未来ある若者がんなこと言うな」 ジェイドがアオイの頭を撫でまわす。

「……むかし、フレデリックが言ってたんだ」


 アオイは瓦礫の山へ視線を向ける。

 ほとんど同時に丸いドローンが液晶の目を瞬かせた。プログラムによって動くそれは、相槌を打っているつもりなのか、ぴぴ、と控えめな電子音を鳴らした。


「俺、オリジナルのフレデリックと同じ共生センターにいたんだ」

「ああ、以前話していたな。絵本を読んでもらったことがあると」 ブラックは応じる。アオイは軽く顎を引いて、

「その時に、フレデリックが言ったんだ」


 ジェイドが少し顔を歪める。


「『二人は、ふたりだけの世界で幸せになったんだ』、って」

「……恋は盲目、というが」


 ブラックは闇を見つめる。夜目の利くから、一層全てがはっきりと見える。煙の臭いは途切れることなく周囲を漂い続けた。


「本当にフレデリックの為だけに行動したのか。……彼の望みを、叶えるために」

「動機の解明は意味ねえかもな」 ジェイドは肩を落とす。「何せ事件に関わった人間がみんな死んでるし、ICCも……この一件は、証拠不十分で棄却してるしよ」

「そんなの関係ないわよ」


 ロビンは突き放す。武装ケースに大斧をおさめ、運搬用の自走台車へ乗せる。


「全部明らかにして醜聞ぐらいにはしてやらないと、償えないでしょ」


 ぽつ、と天から水滴が堕ちた。

 それを合図に、叩きつけるようなスコールが降りそそぐ。

 燻る火種をそれで諫められるだろうか。地面の熱を奪い、この場に残された面々の煤も流し去れるだろうか。


 ロビンは天を仰ぐ。拡張オーグメンテーションの視界に届いた、〈Calling〉の文字を無視して、彼女は深く息を吸い込む。焼けた肺がひりひりと痛み、雨水が顔を──唇を撫でた。


 妙に雨水が塩辛い。

 己の感情が揺さぶられていることに気付かないふりをしながら、ロビンはただ墓標を望む。


 愛に生きた一人の女が、漸く安寧を得る。

 それが死という名の沈黙であると知りながら。



 誰もが辿り着く、葬列の向こう側であると知りながら。



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