002_Opaque Paradise - 05

「ジヨン」 ブラックはキャリーケースを押している女性を呼んだ。「送ってくれてありがとう。道中、気を付けて」

「あなたたちもね。アレク、ロビン」


 くるりと、ジヨンは日本航空のカウンターへ向かう。国内線の便に乗るようだった。

 羽田空港の専用機エリアへ実にあっさり二人は通される。誰も彼らを阻まなかった。誰もが同じような微笑を浮かべ、徹底的に優しくあれとする。


 右の頬を打たれたら左を出せ。

 互いの心と身体を慮りなさい。

 ロビンは手を思わず握り込み、手のひらに爪を食い込ませた。


 背後から控えめなモーター音を立てて滑ってくるロボットが背負っていたのは、ロビンの武装であった。きっちり武装ケースに収められたそれは、ICCの専用機〈CoffinBird〉の格納庫へ積み込まれる。


「仕事が早くて助かる」


 ロビンは投げやりに言った。ロボットが『ありがとう ございました』と柔らかい声を出す。ティッシュを遠慮がちに配っているロボットと同じメーカーのものだろう。

 空港のどこにも、フレデリック・スカーレットの姿はない。義理は果たしてくれているから、二人が何か文句を言うことはないが──内心で大きくなっていく疑心をブラックは拭えなかった。


 濱谷アセビの護衛。

 納棺師であり、ロビン同様〈Fragments〉でもある彼は、何故か〈Fragments〉に与えられた最大の指令吸血鬼の殲滅とは外側にいるような気がしてならない。

〈Fragments〉は、脳に薄層化された電子回路が挿入されている。それによって、人格の制御や思考の調律が行われているはずだ。

 だがフレデリックには、そうしたものを感じない。

 それどころか、まるで。


「彼は本当に〈Fragments〉なんだろうか」

「急にどうしたんです?」 ロビンはタラップを登りながら、下にいるブラックへ問う。

「いや、フレデリックだよ」

「何であいつをそんな気にしてるんですか」

「リャン・ロンミンを殺害したのが、フレデリックなら……」


 ブラックは言いかけて閉口する。あまりにも突飛で、主観的で、証拠のない妄想。

 単純に彼への疑心が芽生えているというだけのことだろうが、それにしても乱暴な推論だ、と彼は思考を振り払う。


「すまない。忘れてくれ」

「案外邪推じゃないかもしれませんよ」


 ロビンの声と共にCoffinBirdの扉が閉まる。一瞬視界を闇が覆うが、次にはゆっくりと機内に光が灯った。


「フレデリックが〈Fragments〉になったのはそんな昔の話じゃないはずです」

「非公開情報なのか? 同じ〈Fragments〉である君にも?」


 ブラックの問いかけにロビンは「そうですね」とため息をこぼす。


「君にしては珍しく、曖昧な言い方をする」

「証拠がないんですよ。私の印象でしかない」


 ロビンは両手の指先を突き合わせて、双方の感触を確かめている。


「STYXはイカレ科学者集団です。完全に消費可能な人間〈Fragments〉なんてものの製造に着手した時点で、イカレ野郎集団に決まってる」

「フレデリックは完全消費できない、と言いたいのか。なるほど、話が見えてきたな」


 ブラックはゆったりと座席の背もたれへ体を預けた。


「つまり、フレデリック・スカーレットは濱谷アセビが独断で製造した〈Fragments〉……本来なら存在しないはずの」


 ロビンは義手で軽く後頭部を引っ掻き、


「現状STYXで運用されている〈Fragments〉の情報は、稼働中の〈Fragments〉とICCに通知されますよ」

「エレナがフレデリックを知っている以上、それを知った上で見逃している可能性も、」

「あー。なくはないね」 ロビンは右手の指を鳴らした。「でもそれを知るにはSTYXの機密サーバーに……?」

「どうした?」

「いや、よく考えたらおかしいんですよ。STYXって華龍傘下じゃないんで……アセビが〈トリスメギストス〉の研究を引き継ぐってのは、変です」


 ブラックは香港での出来事を思い返していた。

 確かに濱谷アセビは言った。〈トリスメギストス〉の研究は私が引き継ぐ、と。

〈トリスメギストス〉は日本と台湾華龍が開発した汎用医療システムだ。そこにSTYXは関与していない。ならばなぜ、STYXの生命科学者であるはずの濱谷アセビが関わってくる?


 ブラックは嫌な予感にぴくりと目の端を震わせる。

 あの言葉の意味はなんだったのか。その引き継ぐ研究とは、〈トリスメギストス〉に関するものではなく──


「リャン・ロンミンの個人的なものか?」

「ご主人様。あいつもしかしてリャン・ロンミンが殺されるかもしれないこと、知ってたんじゃないの」

「それを知られれば、彼女はより不利な立場に立たされる。その上でICCが介入すれば」

「司法の独立が今度こそ完全に揺らぐ。ICCの大義吸血鬼事件国際緊急対処法は意味をなさなくなる」


 ロビンの声は重く鳥の内側へ横たわる。


「最悪ですね。アセビに気を遣われてるなんて」

「エレナも言っていたが……というこの事実はもう動かしようがない」


 ブラックは軽く目を伏せて、


「華龍をつついてみるか」

「つつくって、どうする気です? ヘタなことしたら余計に事態が拗れますよ」

「彼らも他の統合企業財団と同じく、ダンピールのサンプルを欲している」

「その手がありましたね」

「ああ。私の血液細胞と交換で、リャン・ロンミンの研究についての詳細を得る」


 トヨハシバイオロジスティクスの本社ビル──そのヘリポートへとCoffinBirdが緩やかに着陸する。鳥は羽をたたみ、ハッチが開いたのを見計らって二人は機内から出た。


 かなり高さがあるからか、吹き付ける風が東京よりもより冷たく感じられる。警備員と思しき男たちが二人に軽く会釈した。彼らの装備品はSTYX社のものである。TBLはSTYXの傘下におさまっている企業だった。


 日本は軍事転用可能な研究開発に対し厳しい規制が敷かれている。しかし吸血鬼であれば話は別だった。


 これはあくまで吸血鬼を殺すための装備です。

 これはあくまで科学を発展させるための研究です。


 それらの言葉であらゆる批判を躱し、さまざまな分野の研究開発を推し進めている。例に漏れずTBLもその言葉を連発しながら、STYX社と共に対吸血鬼殺傷兵器の開発をしていた。介護ロボットとコミュニケーションロボットの会社のはずだが。


 七階の研究部へ赴けば、まさに二人が話題にしていた生命科学者──濱谷アセビの姿があった。ロビンは口をへの字に曲げて、「なんでいんのよ」とあからさまな嫌悪を示す。


 首に巻かれた黒いチョーカーが、微かな違和感を放つ。

彼女が身につけていたのは、青いドクタースクラブと白衣だった。あの夜会のドレスのような服ではなく、実に動きやすそうな格好である。


「私に聞きたいことがありそうだな、ブラック卿」

「大いに」


 ブラックは手を後ろで軽く組み、そう言った。

 アセビはその様子に少しばかり目元を吊り上げたが、


「ならば聞くといい。華龍のラットになるよりずっとお得だ」

「やはり聞いていらっしゃったか」


 ブラックはサングラスを外す。

 フレームに仕込まれていた控えめな銀色の飾りが照明を反射して光る。


「貴女がたは随分と私たちを勘繰っているようだが、それはこちらも同じだ」

「アセビ。あんたマジで今やばい状況なんでしょ」


 ロビンは言う。そしてちらりとブラックを横目に見て、続きを促した。


「ドクター。どうか仔細を明かしてくれ。我々は共に追い詰められている。この状況を打破するには協力すべきだ」

「……、」


 アセビは僅かに視線を左右に動かし、唇を結ぶ。

 己の頭脳へ揺るぎない信頼があるからこそ、他者の手を借りることに抵抗感があるのだろう──ブラックはそう推察した。

 相変わらず黙ったままのアセビはロビンからの強烈な猜疑に満ちた視線を一身に浴びていた。そして漸く、唇から諦観の滲んだ吐息を漏らした。


「ロビン。エレナに言われて来たのだろう? 念のためウイルス暴露検査と除染を受けろと」

「先にテメーが知ってる情報を吐けよ」 ロビンは鋭くアセビを睨みつける。「じゃないと受けない」

「お前たちは私がリャン・ロンミンの死について、事前に知っていたのではないかと考えているようだが」


 アセビは凍りついた表情のまま言った。まるで最初から表情が無いかのように、彼女の表情は読めない。


「その推測は正しい。残念ながらあの躯体にはそれについて話すことが許可されていなかったのでね」

「……待て、ドクター。というのは」


 ブラックの手が中で浮いて止まる。その様子には全く気を遣わない様子で、


「濱谷アセビとはもはや一個人を示す名ではない。我々はお前たち〈Fragments〉と同じだ」

「じゃあ、あんたは濱谷アセビ何号なのよ」

「あえていうなら七十八人目の濱谷アセビということになる。STYXの詭弁を覚えているか?」

「ヒューマノイドとレプリカントの混ぜ物ね」


 ロビンはそう言う。ブラックは脳裏でSTYX社が開発している、〈W-model〉という人形を思い出した。


「そうだ。濱谷アセビの〈Fragments〉はそのために生み出された。〈W-model〉という詭弁を真実にするための」

「なぜ貴女には重要機密を扱うことが許されている? 日本に来てから話した濱谷アセビは──貴女か?」

「残念ながら〈私〉がお前たちと話したのはこの瞬間が初めてだ。弊躯体はこのトヨハシバイオロジスティクスでのみ稼働しているからな」

「なるほどね。私と同じか」


 優良個体の温存という言葉が過ぎる。ブラックは軽い頭痛を覚えたが、完全に消費できる人間を使い捨てることで吸血鬼からの安全保障が成り立っていることはどうにもできない。

 事実、アレキサンドリア・ブラックでもその消費されるべき人間の庇護下にある。非難できる立場ではない、ブラックは唇を噛んで眼前の人形たちを見やる。

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