prologue_01

──B.C. 2071 Kuala Lumpur



「──ォお、ラァ!」


 大斧を振りかぶって、少女は眼前に迫った黒衣の男を薙ぎ倒す。勿論峰打ちだが、男は情けなく吹き飛ばされてゴロゴロと道路に転がった。

 どいつもこいつも。そう言いたげに不機嫌そうな表情を浮かべた〈納棺師〉──ロビン・ホワイトは、鮮紅色のインバネスコートをはためかせて大斧を肩に担ぎ、男に大股で近づいた。


「テメエ、どこの差金だぁ……?」

「スペクターがいるなんてなんて聞いてねえ! くそっ——」 男は慌てふためきながら距離を取る。

「何で、何でこいつがいるんだ! おい兄貴ぃ」


 ごちゃごちゃと何か言いながら二人は身を寄せ合ってガタガタと震えている。ロビンは勢いよく二人の足元目掛けて斧を振り下ろした。


「質問されたら答えろよ、この世紀末野郎が。どこの差金だって聞いてんだよ」


 ロビンの剣幕に片方が泡を吹いて気絶する。ロビンは勢いよく舌打ちして、小刻みにチワワの如く震えているモヒカン男の髪を毟るように掴み上げた。


「ぎゃーっ! 痛い痛い痛いッ! ちぎれるから! 頭皮ごと逝っちゃうからーっ!」

「どーこーのーもんだぁー? 言わねえと毛ぇ毟ってハダカデバネズミに植毛すんぞ」

「何そのネズミ!? 知らねえんだけどッッ痛い痛い痛いーっ! ごめんなさい、許してください! 華龍ファロンです! 華龍医療財団!」

「——だ、そうですよ。


 ロビンはそう言って乱暴にモヒカンから手を放し、道路に放り捨てた。


 こつ、こつ、と淀みない、よく響く革靴の音がロビンの背後から聞こえてくる。涙目のままモヒカン男は彼を凝視した。


 スラリと伸びた背筋。糊の効いたスリーピース。この汚らしい路地裏にはかなり似つかわしくない。まさしく「英国紳士」と呼ぶべき風貌の人物であった。

 目元は黒いサングラスで覆われて、いまいち視線を伺うのは難しい。だがサングラスがあろうと、その容姿が人並みでないことを、男は本能で理解していた。


「ほう」


 甘いバリトンボイスが響く。

 死人のように白い肌は、この南の国では大いに目立った。外気温が三十五℃を超えているというのに、彼は汗のひとつもかいていない。


「上海に拠点を構える統合企業財団だったか。わざわざ私一人のために、こんな人数を寄越すとは」


 紳士──アレキサンドリア・ブラックはそう言って、薄い唇を軽く引いて微笑んだ。


「ギャーッ!! ヴァンパイア-ッ!!」


 モヒカンが騒ぎ始める。ロビンは慌てて「~~莫ッ迦!! 黙れ!」と男の口を勢いよく塞ぐ。もごもごと必死にその手から逃れようとしている男は赤くなったり青くなったりしながら、必死に逃げる方法を探している。


「失敬な。私にはちゃんと理性が残っている」 ブラックは少し呆れたように、「ロビン。窒息してしまうぞ。重要な情報源だろう」


 彼の視線の先には、ロビンが薙ぎ倒し、あるいはちぎっては投げたヴァンパイアハンターたちの屍(生きてはいる)が積み上がっている。時折積み上がった彼らは呻き声を上げながら、勝てるはずもないロビンへ愚かにも挑んだ事を悔いているらしかった。


「……華龍がどうこうってより、闇サイト経由で情報を掴んだバカ共が押し寄せてきたって感じですけど」


 ロビンは乱暴に男を解放した。ぽい、と棄てられた彼は貪るように呼吸を繰り返している。すっかり戦意は喪失してしまったようだった。


「それは同感だが……キナ臭い噂がある。あくまで噂程度だが」


 ブラックはそう前置きして、ロビンへ顔を寄せて耳打ちする。ロビンはその言葉で、華龍医療財団が中国大陸地域で暫定政府化している現状を思い出した。


「……そりゃ面倒なことになるわけだ。おいダサモヒカン」

「どこがダセーんだよ!」


 モヒカン男は必死に逃げながらロビンを見上げた。


「赤か青かって話だよボケが」

「し、知らねえよ! 俺らはただ、華龍が雇ってくれるっつうから、それに乗っかっただけだ!」

「ハア? ヴァンパイアハンターを? 正社員雇用? 寝言は寝て言えよ。正社員のヴァンパイアハンターは納棺師だけだっつの」

「うるせえ! とにかく俺たちはみんなそうだ、このクローズドSNSの奴らから、華龍がヴァンパイアハンターを探してるからって……」

「ふーん……」


 ロビンは男が表示した3Dホログラムを凝視した。どうも中華製の半閉鎖型SNSのようだが、並んでいた言説や面々ときたら。


「どう見たって陰謀論者の集まりじゃん。こんなのに踊らされてんの? バカすぎんだろ」

「んなわけあるか。だって確かにいたんだ、華龍の上層部っていうやつが! それに俺と兄貴は」

「う、うう……」


 モヒカン男が兄貴と呼んでいる黒装束は、地面とすっかり癒着していた。ロビンと対峙する気概を完全に喪失している。


「とにかく! 本当なんだって!」

「まーそのよくわかんねえ旗振り役に踊らされたってのは、本当みたいね。こんだけいっぱいいるんだから」


 ロビンは積み上がった有象無象を見つめた。


「頼む! 見逃してくれ! バカみたいな額の報奨金に釣られただけなんだよお」

「あ? んなわけねえだろてめー。立派な公務執行妨害だわ」


 ロビンは斧の柄をタングステン合金製の義手で掴んだ。


「ま、待て待て待て! 流石に命は獲らないで! ごめんなさい死にたくありません!」


 ブラックがビビり散らしている男を見て、斧を掴む手に力を込めている彼女を諌める。


「こらロビン。その辺にしておきなさい。これ以上はこちらが恐喝罪に問われかねない」

「そうだそうだ! そのおっさんの言う通りだ、こんなに震えてる小市民をこれ以上脅かすな!」


 ロビンは情けない命乞いに深々とため息をついた。そして斧をブラックが担いでいた武装ケースに収納する。

 彼女は大層機嫌が悪かった。理由は二つ。一つは上海の超高級中華を食べそこなったこと。もう一つはロビンが食べたがっていた料理が、実は韓国料理だったと判明したこと。そのせいで彼女は小一時間ほど拗ねていた。

 そこへこのヴァンパイアハンターの襲撃である。すこぶる不機嫌だったロビンは、彼らをサンドバッグにした。情け容赦一切なしに。


 ブラックは内心彼らに同情していた。機嫌が悪い時のロビンは扱いを間違えると爆発する。何せ容赦なく重量ある義足で、こちらの足を勢いよく踏んづけてくる──ブラックは己の経験からよく理解していた。



「しかし……華龍医療財団か。まさかここでその名を聞くとは」

「ASEAN支部に連絡して、CoffinBird回してもらいましょう」


 ロビンが投げやりに言った。


「あーもうマジで最悪、めちゃくちゃ中華の口なのに」

「だからカンジャンケジャンは中華ではないと……」

「とにかく今はなんでもいいから中華の口なんですって」


 ロビンはブラックが持っていたHardPhoneを引ったくった。


「Hoi, Laplas! 美味しい中華食べれるとこないの!?」

「申し訳ありません、声紋認証の確認が取れませんでした。もう一度おっしゃってください」

「このポンコツAIが、スクラップにすんぞ」

「私の携帯なのだが?」


 騒ぎながら去っていく二人をモヒカン男は見送る。そして彼は決意した。

 台風にでも遭ったと思って、きれいさっぱり忘れよう、と。





 クアラルンプールの裏側でこんな事が繰り広げられていたとは、誰も気づかない。それどころか誰一人関知しないだろう。ここはそんな忘れ去られようとしている場所であった。


 天へ真っ直ぐ伸びている高層ビル。ペロブスカイト太陽電池、或いは球状のドームで覆われた都市と、その内部に造られた緑化地区。ここにも行き過ぎた医療の祝福が添えられ、つまらない無菌室に成り果てている。ただし大部分の人類はそれを望まざるを得ないのだと、ロビンはある種の諦観を浮かべていた。

 そんなドームの外側は、システムに縛られない自由と引き換えに、常に命の危険が伴う場所ではある。しかし、ロビンはよっぽど、こちらの方が人間味に溢れた世界だと感じていた。


「けど華龍ファロンが、ご主人様の命を狙う理由って何でしょう?」


 ロビンは防弾仕様車のハンドルを握ったまま、ブラックへそう問いかけた。

 その問いには似つかわしくない、じゃかじゃかとギターの喧しいロックサウンドが車載システムから流れている。すっかり懐古主義が流行っている欧州人の間では、〈ヴァンパイア・インシデント〉以前の世界で好まれたものが再燃していた。


 おそらく世界で唯一、理性を保つ吸血鬼──アレキサンドリア・ブラックは、まったくもって趣味ではないロックに耳を痛めていた。しかし運転手の機嫌を損ねてしまえば後が面倒くさいうえ、大変なことになる。

 ならばここは一つ、紳士として女性の意見を尊重して我慢しよう。それがブラックの思考回路、ではあったのだが。



「……ロビン。まずは音量を下げてくれ」


 流石に聞き慣れない若者の音楽を聞かされ続ければ、我慢強いブラックも嫌気がさしてくるようだった。ロビン・ホワイトは面倒くさそうな表情で、ブラックの言葉に「はあ……」と大げさな溜息を零した。そしてブラックの言葉は一度無視し、ロビンはハンドルをぐるりと右へ回す。その指示に従って、車は律義に右折した。


「何でですか。ロックは爆音で聞くものって百年前から決まってんですよ」

「耳が痛い。そういうのは広い、こう、開けた会場の話だろう」


 実際、車載システムも『音量が聴覚に悪影響を及ぼす恐れがあります』という警告文を健気に出し続けている。


「せめてもう少し絞りなさい。耳にも悪い」

「ったく、しょうがねーな……普段からしけたクラシックばっか聞いてっから、ロックの良さが分かんねえんですよ。本当にQUEENと同郷ですか?」


 ロビンは粗野な口調で不満を述べながらも音量を半分まで落とす。警告が消え、システムの表示はカーナビゲーションに切り替わる。そして目元の丸眼鏡の縁へ手を遣れば、ぴぴ、と小さな電子音が響き、車内のカーナビに〈Sound Only〉の文字が表示される。ハンズフリー通話が開始された合図だった。


「苦労をかけたわね」

「別に~? 危険手当と残業代はよろしく~」


 ロビンは軽やかな声で電話の相手へ言った。仮にも上司に対する態度ではないが、これが二人の距離感である。ブラックは諫める事もなく二人のやり取りに耳を傾けた。


「またあなたはそんなことばかり言って。……アレク、大事ないかしら」

「ああ」 ブラックは穏やかに応じる。「何かあったのか?」


 電話越しの女性──エレナ・ブリュンヒルドは、ブラックの問いに僅かな迷いを巡らせていた。だが数秒もしないうちに意を決して口を開く。


「香港へ飛んで頂戴」

「はぁ~!? まだミーゴレンも食べてないんだけど!」

「そんなの後回しよ」 エレナは有無を言わせない口調で告げた。「もう航空券は手配してある。急いで戻ってきなさい。──わ」

「許可……? 許可ってもしかしてそれ、」


 ロビンは驚いた表情で目を見開いている。


「ええ。日本への渡航許可が降りた」

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