第7話 冷たい手と熱を持つ頬

──静かな部屋の中、布団の上で、蓮は浅い呼吸を繰り返していた。

額に浮かぶ汗は熱の証。けれどそれを拭う手は、驚くほど冷たくて。


「……ん……」


「目は、まだ覚まさないか」


カイルの声が、静かに落ちる。

膝をついてベッドのそばに座るその姿は、まるで見張りの騎士ではなく――ただ、目の前の青年を心配する男のようだった。


もう何度、冷たい布を取り替えただろうか。

自分でも数え切れないほどだ。

だけど、蓮の熱はなかなか下がらない。


「……悠真……」


かすれた声に、カイルの手が止まる。

誰だ、その名は。

不意に感じた胸のざわめきに、彼自身が戸惑う。


「……熱があるせい、か」


言い訳のように呟きながら、カイルはゆっくりと身を屈めた。

額に手を当てるのではなく、そっと、自分の額を彼のそれに近づける。

重なる距離は、ごくわずか。


「……ん……」


「高いな……」


互いの体温が伝わる距離で、カイルは目を閉じる。

その瞬間、蓮のまつ毛が微かに揺れた。


「……カイル……?」


「目が覚めたか」


ほんのわずかに触れ合っていた額を離し、カイルは優しく微笑む。

けれど蓮の目は、どこか驚きと混乱の色を宿していた。


「俺……寝てた……?」


「熱を出して倒れた。今はまだ安静に」


そう言って、カイルは蓮の髪をそっと撫でた。

その手つきは、普段の鋼のような姿からは想像もつかないほど、やさしい。


「……ずっと、そばにいてくれたの?」


「ああ。お前の命は、私が守ると決めているからな」


「…………」


不意に鼓動が跳ねた。

自分のものか、カイルのものか、わからなかった。


そして、蓮は思う。

この人の言葉が、なぜこんなにも温かく感じるのだろう、と――。





「……俺、どれくらい寝てたの……?」


声はかすれて、掠れて、まるで風のように頼りない。

けれどそのひと言に、カイルの眉が少しだけ下がった。


「半日ほどだ。高熱だった。薬草を煎じたが、まだ完全には効いていない」


「薬草……? あ、そっか……」


ここは、異世界。

そうだった。

熱に浮かされていたせいか、その実感さえも遠くに霞んでいた。


ふと、周囲に視線を巡らせる。

白く塗られた天井、木の柱、淡い花が飾られた陶器の壺。

それらが、どこか落ち着きと懐かしさを感じさせるのに、明らかに“見慣れない”。


「ここ、どこ……?」


「私の家だ。……隠れ家のようなものだがな」


「家……?」


蓮がぽかんとすると、カイルはわずかに苦笑する。


「元は古い狩猟小屋だったが、今は私の休息地だ。……騎士にも、静けさが必要でな」


「……騎士、なんだ」


頷くカイルの横顔は、どこか静謐なものを纏っていた。

その横顔を見ていると、また胸の奥がざわつく。


「……迷惑、かけた」


蓮はぽつりと呟いた。

寝込んで、世話をされて。知らない世界で、また誰かに助けられて。

不思議と、涙がにじみそうになった。


けれど――


「迷惑だと思うか?」


カイルの手が、再び蓮の頬に触れる。

大きくて、包み込むような手。

少しだけ冷たくて、でも安心する温度だった。


「……俺、知らない場所に来て、何もわからなくて……。なのに、優しくされて……」


「当然のことをしたまでだ」


「……でも……」


言いかけたその唇に、カイルの指がそっと触れる。

蓮の目が見開かれる。


「言い訳も、遠慮もいらない。……今は、回復することだけを考えろ」


そのまま、カイルは布団を静かにかけ直す。

けれど、その手は蓮の手の上に重なったままだった。


(……なに、この距離……)


(この人、落ち着いてるけど、俺、なんか……変な感じする)


鼓動が速くなる。

息が浅くなるのは、熱のせいか、それとも――


「額……熱いな」


また、カイルがゆっくりと顔を寄せてくる。

さっきと同じように、額と額が、そっと重なる。


「ん……っ」


蓮は小さく息を呑んだ。

目を閉じれば、まぶた越しにカイルの気配が濃くなる。


「……下がってきてはいるが、まだ安静が必要だ」


「……こんな風に……するの、こっちの世界の文化?」


「……違うな」


「えっ、じゃあなんで……」


「……お前に、してみたかっただけだ」


静かな声が、耳元で落ちる。

その音が、脳まで届いて痺れるようだった。


蓮は目を開けた。

カイルの瞳が、真っすぐに自分を見ていた。


逃げられない。


いや、逃げようと思わなかった。


そのまま、蓮はそっと目を閉じた。


(なんか、……変だな俺)


(でも、悪くない)


不思議と、体が軽くなっていく気がした――。

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