STAGE.11 高円寺に来てほしい――情の通り

 帰還循環による発振音フィードバックノイズが止めどなく溢れている――。


 ステージ上のバンド/sweet16girlスウィートシックスティーンガールは微動だにせず、そのまま二十秒は経っただろうか。


 ドラムのカウントも、合図も、何のきっかけもなしに三つの音/ギター/ベース/ドラムが寸分のずれもなくダダンと重なって一歩ずつ曲が歩み始める。


 ギターの子は伏し目がちにマイクの前に立ったまま。

 ベースの子はゆらゆらりと揺れながらリズムを取り。

 ドラムの子はダイナミックにスティックを振るって。


 テンポはややスロウ。

 ズンと重低音を効かせたヘヴィなリフ。

 かと思えば水に滲むように輪郭を失くしたギターが残響。

 低域を支えながらも時おり主旋律と踊るベース。

 ともすればルーズになりそうな曲調の中でタイトなドラム。

 ギターは歪み量が過剰なのか休符の度に発振。

 重低音とノイズに足を絡め取られコールタールの海に深く沈んでいく感覚――。


 次第にフロアに浮かぶ頭がふわふわと揺蕩う。

 みなこのノイズまみれの轟音に身を委ねている。


 金髪のギターの男の子がボーカルを取っておりその声はどこか幼さが残る。ライブハウスを圧迫する爆音の中で妙に通って聴こえた。


 何について歌っている歌詞なのかはっきりとは分からない。しかし、断片的に耳に入ってくる言葉の連なりがナナコの胸の奥をぎゅうっと締め付ける。


 それはナナコが心の奥底に仕舞い込んでいたはずの痛み/孤独感/疎外感/悲痛感/絶望感/無力感にそっと寄り添って、僕たちは独りじゃないと、強くあざなえるんだと、手を差し伸べてくれるようであった。


――あーしの中の、ここにまで響くか……。


『孤独』に寄り添う歌は終わりを迎え、長く尾を引くディストーションギターの残響音とフィードバックノイズとを綯交ぜにしながらゆっくりと、ゆっくりと収束していく――。


 ※


 彼らは全六曲を演奏し終わると、睫毛を伏せたままでいる金髪の子の「ありがとうございました」の一言だけを残して静かにステージを降りた。


 ナナコもスズカも、音と歌にすべてを込めてそれだけを置いていった彼らのステージに、このイベントの成功を見た。


「あーいう音のジャンル。なんつーんだっけ? シュ……。え? ゲイズ? 何? パワーゲイザー?」


 轟音と耽美なメロディーが特徴で確かなんとかゲイザーって聞いたことある気がすんだよなーとスズカに問いかける。


「それを言うならシューゲイザーでしょー。凄い迫力の音だったねー」


 歪みや残響、複雑な音色を作り出すために足元の機材/エフェクターの操作のために俯いて靴を凝視している様子に見えることから『シューゲイザー靴を見つめる者』と呼ばれているジャンルだ。轟音と耽美な旋律、彼らのサウンドはそこにドゥームメタルのヘヴィネスがプラスされた変則的なものだ。


「そうそれ! なんかこう……なんつーの? うん……とにかく良かったな!」


 ナナコは胸の郷愁を突いて心の奥にじんわりと広がったものを上手く表現できないでいたが大変気に入ったと興奮している。


「うんうん。面白いバンドだったねー。さすが店長さんの一推しバンドだ。あとでどんなエフェクター使ってるのか聞きに行っちゃおうかなー」


「あんまし面倒かけないようにな! んじゃ、あーしはそろそろ楽屋に入るけど飲み過ぎんなよ!」


 そう釘を刺されたスズカは目を細めて笑うばかりで何も答えない。ナナコが楽屋の中に消えたのを確認すると速攻でスミノフのおかわりを取りに行った。


 ※


 ナナコは楽屋の中、椅子に腰を下ろして天井から吊り下げられたモニターに映る二組目のバンドのステージを眺めていた。


 ボーカル、ギター、ベース、ドラムの四人組。

 熱く情熱的に歌い上げるストレートなロックバンド。


 三曲ほどモニター越しに彼らの姿を追っていたが映像から視線を外すと座ったまま腰をくの字に曲げ俯いて目を閉じる。そして、祈るように固く結んだ拳の上に額をそっと乗せた。


――キックスタート、マイハートあーしの心を始動させろ

――キックスタート、マイハートあーしの心を始動させろ

――キックスタート、マイハートあーしの心を始動させろ


 ナナコがそうしているうちにヒロノブとシンタロウも楽屋に合流。彼らはナナコのその儀式を邪魔することなくモニターでフロアの様子を見たり、軽いストレッチをしたりして出番を待った。


 二組目のバンドの持ち時間がそろそろ終わるかという頃、始動の儀式を終えたナナコが立ち上がって包拳の形にして拳を打ち鳴らす。


「んじゃ。あーしらもバチッとカッコいいとこ見せますか!」


 ナナコがヒロノブとシンタロウの間に挟まると二人の背中をバチンと叩く。続けて自らの両頬にも気合いを注入した。


 ※


 楽屋の前で情熱ロックのバンドとすれ違うとステージに上がり暗転の中で準備を行う。楽器とエフェクターを配線し、さらにそこからアンプに繋ぐ。アンプもつまみを弄っていつもの音が鳴るようセッティングする。


 ステージの上で機材の準備を終えたDIExDAxLAxBOCCHIダイダラボッチはこのまま出囃子なしで演奏を開始するつもり。

 ワンマンライブとは違い潤沢な時間を与えられているわけではないので異なる演出を選択する必要があるのだ。


 ベースを構えたナナコは一人一人の顔を記憶に深く刻みつけるようにしてフロアに目をやる。シューゲイザーバンドの子たちも情熱ロックのバンドメンバーも見える。そうして少しずつ後ろの方に視線を動かしていくと、最後にフロア最後列のスズカと目が合う。スズカは微笑んだままこくりと頷いた。


 バンドが互いに視線を交わすとスタートラインに立ったことを確認。


「死にたくねえ奴、今のうちに帰っとけよ」


 尊大な態度のシンタロウがマイクを通してそう吐き捨てるとバンドは最速のナンバーで疾走する。


「もうおせえけどなァァ!!」


 ささくれ立ったイントロの中、不遜な笑みを浮かべてがなり声を上げる。


 DIExDAxLAxBOCCHIの暴力的なサウンドによってフロアは一瞬にして興奮の坩堝るつぼと化した。一組目のバンドの時には海を漂う海月のように静かに揺れていた頭は、いまやイカれたヘッドとなって汗を散らして上下左右に激しく振動している。


 ナナコの視界の先、熱狂の火柱を上げるフロアの一番後ろで目尻を拭うスズカが目に入った。


 その光景は、金髪の子の歌によって感傷的な部分を剥き出しに露出させられたナナコの心に追い打ちをかけるようであったが、まだステージの上にいるのだからカリスマを演じきらねばならないと、かぶりを振った。

 揺れ広がったナナコの紅梅色の毛の先から汗が迸る。

 強くあろうとする今のナナコと、何もできなかった昔のナナコ、その狭間で人知れず踠いていた――。


 ※


 記念すべき第一回を終えた轟音イベント『轟轟雷音ごうごうらいおん』。ジャンルを問わず集めたバンドがどのような化学反応を見せるのか、一抹の不安がなくはなかったのだがそれは杞憂に終わった。終演後もしばらく興奮冷めやらぬ観客を見たライブハウスの店長はぜひ次もとナナコたちに泣いてせがんだ。このあとこのまま箱で打ち上げをするからスケジュールを詰めさせて欲しいと。


 ライブハウスのスタッフがフロアの清掃をしている間、DIExDAxLAxBOCCHIは楽屋でいつでも撤収できるように機材を部屋の隅に寄せながら閑談を交わしていた。


「対バンの日に帰んのはさすがに感じ悪いからな。今日はちょっと残るわ。最初のバンドの子らも気になるし」


「いつも残れや、ナナ公!」


「嫌だね! ま、でも? お前がトチったら打ち上げ出て慰めてやるよ」


 そう言ってナナコはシンタロウの肩にぽすりとパンチを入れる。それを受けたシンタロウは「んにゃろー、お前がしくれやー」とナナコにヘッドロックをかましてわちゃわちゃ二人で戯れる。


「よし、じゃあそろそろ。機材を積んでおくか」


 バンドの父、ヒロノブの一言に問題児二人も従って撤収作業をはじめる。


「今日の撤収作業は無料で承りますー」と言ってスズカはナナコのベースとエフェクターを担ぐ。四人は荷物を抱えて機材車を止めているコインパーキングに向かった。


 あと角をひとつ曲がれば駐車場が見えてくるという頃、先頭を歩いていたシンタロウが角の先で肩をがくりと落とす。


「おーい……マジかよ……」


 いかにも面倒くさそうな声が漏れてくる。


「あ? どうしたんだよ?」


 ナナコたちも角を曲がってシンタロウの向ける視線の先を見ると、黄色で揃えた衣服に身を包んだ三人組が今まさに何かを振りかぶってバンドの機材車/黒塗りのハイエースに対し乱暴なことに及ぼうとしているところだった。


「おい! 待てやァ!」


 一人が凶器を持っているのも構わずにシンタロウがずいずいと車上荒らしたちに近づいていく。


「んだよ……戻ってきちまったじゃねーか――」

「はあー。だっるうぅ――」


 ふてぶてしい態度の男たちから、面倒事を起こそうとしているのは自分たちだというのに、いかにも面倒事に巻き込まれちまったと「我々はあなた方と会敵してしまいとても億劫です」という声が聞こえてくる。

 そのうちの一人が指をポキポキと、関節の滑液から気泡を発生させて弾けさせて、音を立てながらシンタロウに詰め寄ってくる。


「寄越すもん寄越してくれりゃあ見逃してやるぜぇ? どうするぅ?」


 それを受けたシンタロウはため息をつくとぎゃはっと短く笑う。


「もちろん俺らは抵抗するぜェ! 拳でェ!!」 


 そう声を荒げて拳と拳を撃ち合わせるとスパァンと乾いた音が高円寺の夜闇に木霊した――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る