STAGE.7 どてらい奴ら
「お巡りさん、こっちです! 楽器持ってる女の人が襲われてます――!」
どうやらナナコがバール男たちに絡まれ始めたところから見ていた人が途中で交番に駆け込んでいたらしい。
「えーと、こちらの女性が? 誰に?」
お巡りさんの問いかけに騒ぎの震源地をぐるりと囲んでいた一同がゲロまみれでうずくまっている男をすっと指差す。
カメラマンはというと、酒がかかってしまったカメラなんかより面倒になると踏んだのかいつの間にか姿を消している。
「……ちょっと状況がよく分からんので署の方で詳しく聞かせてもらっても? そちらの被害者? の女性……」
「あ、はい……」
ナナコはこうなったら、面倒だからといって適当に誤魔化してずらかることはできないなとため息。
はいはーい、と元気よく挙手して群衆から抜け出てくるべらべらの酔っ払い/戸塚スズカ。
「すみませーん。わたしー、その子の同居人? 保護者みたいなあれなんで、ついていきまーす」
――保護者じゃねーだろ! 余計なこと言うなよ!
ナナコとスズカはそのまま武蔵野の方の署に同行して事のあらましを都合の悪い部分だけ省いて話した。
お巡りさんからは、危ないので応戦しないようにと、この間も吉祥寺周辺で不審なサラリーマンと女性がトラブルになっているのでねと、厳重な注意を受けた。
ナナコはそれも自分だとは口が裂けても言ってはならぬと知らぬ存ぜぬ顔をしていたが、隣の酔っ払いが「あー! それねー」聞いて聞いてと口を割りそうになったので慌ててテーブルの下で足を踏みつけて制止した。
「ぎえ!」
「はい? 何かありましたか?」
「い、いえ……。近くで勤務しているのでそのトラブルは耳に入っておりました……」
――大変よくできました。
そんなこんなで署での話を終えたあとにスズカの勤める楽器店へ戻ったが、ベースを勝手に持ち出した挙げ句、連絡もなしに何時間も店に戻らず、戻ったかと思えば酒の臭いを発しているので、いよいよ上に報告するぞとスズカはこっぴどく叱られた――。
※
迷惑配信者突撃の事件から数日後。
この日、ナナコは夜から新宿のスタジオで
DIExDAxLAxBOCCHIというのはベース/草薙ナナコとドラム/
この名前はもちろん、日本の伝承に登場する巨人『だいだらぼっち』から取っている。富士山を作ったとか、足跡が湖になったとか様々伝説があるのだが、そんなことは露と知らないナナコが「なんかでっけーやべー奴」にあやかりたいと名付けた。
リハーサルスタジオはJR新宿駅の東南口の方なのだが、ナナコは西武新宿線を使っているので十分弱歩くことになる。
改札を出て西武新宿駅前の広場に立つ。夏を終わらせることを忘れた九月の夜の生温い風がナナコをじっとりと撫でている。
ついこの間この場所で大立ち回りを演じてインターネット上ではバズっているというのに、今この瞬間にナナコを気にする通行人など誰一人としていない。現実の世界は凪そのものだった。
――あれ、何だったんだろうな。
ナナコの頭の中であの一夜が夢か現か怪しくなるが、傷だらけになってしまった機材たちがその記憶を現実たらしめる。
そんなことをぼんやり考えながら人の海を縫ってとぼとぼと歩いているとスタジオに到着した。
ナナコがスタジオの重たい防音ドアをがちゃりと開けるとすでに須佐山ヒロノブと品田シンタロウが到着しており機材の準備に取りかかっていた。
「うわ! 出た! パンク娘! 本物じゃん! マジでウケるわ! 草薙ナナコ、西武新宿敗走センター!! ぎゃはははは!!」
新宿でのライブ以来に顔を合わせたかと思ったら品田シンタロウから手厚い歓迎を受けるナナコ。
「うるせー! 逆さ長ネギヤロー!!」
ナナコの言う「逆さ長ネギ」とはシンタロウの頭髪のことを指す。極限までブリーチして銀色となった髪の毛は毛先にかけてライムグリーンのグラデーション。この奇抜な髪色が長ネギを逆さまにしたようなのでナナコが揶揄してそう呼んでいる。
アイデンティティーを弄られたシンタロウは一瞬だけむっとしたが、このおもちゃはまだまだ遊んでやれるとナナコをおちょくり続ける。
「お前、ストリートファイターにでもなったらあ? 毎回、万バズでバンドの宣伝になんだろ! ぎゃはは!」
ナナコの顔に突き付ける勢いで指先を向けて、さらには腹を抱えて笑っている。
何がそんなに面白いのか、なおもぎゃはぎゃは笑い続けるシンタロウの頭にヒロノブがぼかっと拳を落として制する。
「お前なあ、ナナコはバンドの顔なんだからちゃんと心配しろよ」
シンタロウは、バンドの顔は俺の方だろと納得のいかない顔をして頭にできたたんこぶを
確かにシンタロウの見た目はまあまあイケててパフォーマンスも映えるので男女問わずファンが多い。このきつい性格もバンドサウンドと相まって、らしい、と人気の一助を担っている。実際にナナコとシンタロウがDIExDAxLAxBOCCHIの両翼となり、ヒロノブが縁の下の力持ち、という構図であるというのがバンド外の、ファンや同業者からの評価だ。
「ぱっと見は大丈夫そうだけど、何ともないか? ベースも無事か?」
「全然! 余裕だぜ! ベースもスズカがきっちり直してくれたから
ナナコが親指をびっと立ててにかっと笑う。その様子を見てもヒロノブは「本当か? 大丈夫か?」と不安を払拭できていない。
――にしても……。面倒くせーイジりと、極度の心配性が相手じゃ、新宿のあとでさらに二回も絡まれたなんて言えねーよな……。
ナナコは極力それを顔に出さないように努めたが結局エフェクターボードのセッティングをする間にトホホと肩を落としてしまった。
新宿でのトラブル以来の音合わせととなるが、災難続きのナナコは意外にも好調。ナナコの低音はうねりにうねってドラムとギターを絡め取りDIExDAxLAxBOCCHIのサウンドをより強固なものとして押し上げた。
「おい、ナナコ! 今日、絶好調だな!」
ベースとドラムで二人三脚のヒロノブがあまりにも気分の良いアンサンブルに興奮を隠せない。ナナコも久しぶりの音合わせが楽しくて仕方ない。シンタロウも練習前に散々ナナコとやり合ったが演奏での意志疎通はばっちり。ご満悦の様子。
実りある練習を終えた三人は帰り際、JR新宿駅の東南口のエスカレーター前の広場にいた。
「よし! じゃ、次は川崎だな。お前ら変なことに巻き込まれるなよ」
ヒロノブが帰りの会とでもいうように次の予定の確認。シンタロウは「そりゃナナ公だけだろ」と鼻を鳴らしている。
「わーってるよ。そう何度もあんなことがあってたまるかっつ――」
ナナコは目の前の雑踏の中に見覚えのある影を見つけ、口が喋っている途中で固まり意識のすべてをその影に持っていかれる。目に飛び込んできたシルエットは痩せ気味の猫背。そしてすっと垂れて顔を隠す黒髪。
――間違いねえ……! あのロン毛の猫背! 服は着てるが刺青ヤローだ!
ナナコはその姿を追って駆け出そうとしたが、一瞬にして人混みに紛れて見失ってしまう。
「おい、ナナコ。どうした? 大丈夫か?」
ヒロノブに「悪い。大丈夫だ」とその心配を静めるように落ち着き払って返すナナコであったが、内心では捕まりもせずのうのうとしている様子の刺青痩身男に腸が煮えくり返る思いだった。
――あいつ……。あーしに恥かかせた借りはぜってー返す……!
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