第15話 帆澄の過去.1

 *

 帆澄が初音と初めて会ったのは、もう十年も前になる。

 幕末の動乱の影響で邪気を帯びた妖が増えたにも関わらず、それを狩れる人間が少ないせいで帆澄は忙しかった。

 宮應の当主は代々短命かつ病弱で、例もたがわず父もそうだった。それは本家の当主にだけ受け継がれる「妖を滅する秘伝の術」が、身体に負担がかかる――いや、命をも脅かすものなのに起因している。

 「秘伝の術」を使いこなすには莫大な破魔の力が必要で、それを持って生れたのは長男ではなく次男の穂澄だった。

 そのせいか、いつ頃からか兄は帆澄と距離を取るようになった。そうして、帆澄が十四歳のときに姿を消したのだ。

 世間では失踪とされているが、実際は妖を滅しに行ったきり帰ってこないので生死不明である。本来なら帆澄が行くべきところを体調を崩してしまい、兄が向かった。だから帆澄は、兄の行方不明は自分のせいだと捉えている。

 それと同時に、破魔の力の大きさに関係なく、宮應は兄が継ぐべきだと考えていた。

 幕末の動乱の影響で増えた妖も、世が平和となれば数が減るだろう。それならば、「秘伝の術」を受け継ぐ有無に関わらず、帆澄ではなく長兄が継ぐのが自然だ。

 かろうじて現役だった父に、自分は兄が帰ってくるまでの中継ぎだと主張を貫くと、それを示すように帆澄は家を出てひとり暮らし始めた。

 十五歳で独り立ちは早すぎると心配する人間も多かったが、印を結んだ棟馬を傍におくことで納得させた――というか意志を押し通した。

 宮應の一門が、滅の力を纏わせた刀で邪気に侵された妖を斬るのは知られているが、「秘伝の術」については門外不出。

 あまりにも力が強く負担が大きい「秘伝の術」は、術者にとって両刃の刃でもある。それを頼りに勅令が来ては、当主の身が持たない。

 乱用できない術を持つ宮應は、必然的に滅すべき妖を選択するようになった。

 そうして、滅する必要がないと判断した妖を、人間の世で暮らせるよう補佐するようになったのだ。


 桜が見頃の夜、一人暮らしを始めたばかりの帆澄のもとに勅令が届けられた。

 前日に、秘伝の術を使った帆澄の消耗は激しく起きるのも億劫なほどだが、勅令とあっては無視できない。痛む身体を起こし受け取った手紙には、夜な夜な男が姿を消すので調べて欲しいとあった。

 女子供ならまだしも男ということもあり、初めはそれほど深刻に捜査されなかったようだ。どこぞの女のところに行ったのだろうと邪推されていたが、日ごとにその数が増し、とうとう愛妻家で有名な軍人まで姿を消した。それでやっと、これはおかしいとなったらしい。

 指定された場所は、帝都の西にある川に掛けられた橋のひとつ。やや北にあるその橋は本来なら八重樫の担当地区だが、あっちもあっちで人が足りていないそうだ。

 夕暮れの中、橋のたもとに座り様子を窺っていると、妖が現れた。長い髪のその女は帆澄を見てにんまりと口角を上げる。

「これはまた、今夜はついているね。若くいい男が転がっている」

 女の肌は透けるように白い。だけれど、黒い瞳は濁っていた。帆澄は重い身体を奮い立たせ立ち上がると、刀を構えた。

「女郎蜘蛛か」

 厄介ではあるが、妖力はさほど強くない。ただ、棟馬が父の手伝いに駆り出され不在なのが痛手だ。

 帆澄の正体を察した女郎蜘蛛の行動は、予想より数倍早かった。

 軽く跳躍すると橋の欄干に飛び乗り、さっと風のごとく対岸へと駆けていく。

 帆澄も急いで後をおったが、いかんせん、足が気持ちについてこない。

 それでも必死に走り、あと少しで刀の間合いに捕らえられるという時、土手を歩く少女の姿が見えた。

 穂澄より早く少女に気づいた女郎蜘蛛が、少女めがけ糸を放つ。人質にして逃げようという算段だろう。

「くっ、間に合わない」

 帆澄が舌打ちする。少女の腰に糸が絡み、それを女郎蜘蛛が引き寄せる。と同時に人型から八本足の禍々しい容貌に姿を変えた。

 糸は女の子の口を塞ぐと、右腕も絡み取る。何かを棒のようなものを握っていたようだが、白い糸で繭玉のようになってしまい、それが何か帆澄には分からない。

「その子を離せ!」

 叫びながら「術」を放てるか考えるも、回復していない身体では無理だった。どうすべきかと刀を構えたまま睨み合っていると、突如、女郎蜘蛛が苦しみ始めた。

 穂澄が目を見張りその様子を観察すると、少女の手が何かを握り糸に押し当てているのに気づく。それと同時に糸が霧散した。

「ぐわっ」と苦しそうに女郎雲が悲鳴をあげると、少女は這うようにしてその場から逃げる。帆澄は少女に駆け寄り、腕を持って立たせると背後に庇った。

 そこでようやっと、少女が何を握っているか気が付いた。

「その封じ紙、八重樫の人間か?」

 肩越しに振り返り聞けば、少女は真っ青な顔で頷いた。歳のころは七歳ほど。幼女ともいえる頼りなさなのに、周りに大人の姿は見えなかった。

「ひとりか?」

「うん。阿紫霊を封じた帰りで……勅令が来て、初めてひとりで……」

 恐怖で少女の身体は震えている。しどろもどろで要領を得ない部分もあるが、勅令を受けひとりで妖を封じた帰りなのだろうと帆澄は推察した。

「封じ紙はまだあるか」

「うん、これ」

 そう言って懐から数枚の紙を取り出し帆澄に見せた。

「糸が迫ってきたらそれを投げつけろ。本体は俺が滅する」

 そう言い、帆澄は刀を構えると、地面を蹴った。数本の蜘蛛の糸が襲い掛かってくるも、帆澄は刀でそれを両断する。一束斬り損ねたが、振り返った少女が封じ紙を投げていた。

「小癪な、これでどうだ」

 女郎蜘蛛が大量に糸を空中に放った。しかし帆澄はそれをも切り裂くと、女郎蜘蛛の頭目掛け刀を振り降ろす。

 グワッッツ

 悲鳴と共に女郎蜘蛛は黒い煙に姿を変え、霧散した。帆澄はそれがすべて消えるのを見届けると、地面にころりと転がった漆黒の玉を拾い上げ、少女に駆け寄る。

「怪我はないか?」

「うん、あの妖しは? 封じたの?」

「いや、滅した。これがその証拠だ」

 手のひらの玉を見せると、少女は慄きながらそれを見つめた。

「……怖くないの?」

 玉のことだろうかと一瞬考えたが、震える丸い目を見て妖との対峙を言っているのだと理解する。

「少し、怖いかな」

 正確に言えば、「術」を使うたびに増える自身への呪いが怖かった。

 帆澄の答えに、少女の目にぶわっと涙が溜まる。

「私も怖い。手が震えるし、足もぶるぶるするし、涙が出てくる」

「それなら大人に任せればいい。君はまだ子供だ」

「駄目。だって私が一番強いから。私がしなくてはいけないってお爺さまが言ってた。たくさんの封じ紙を帝にけんじょうするから、八重樫は一番なんだって。だから、私が頑張るの。それが私のかち、だから」

 話ながら少女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 堰を切ったように話す口調から、少女がどれほど追い詰められていたか伝わる。

 帆澄は言葉を失う。八重樫の一門が衰退していると聞いてはいたが、こんな幼い女の子に重責を負わせるほどとは考えていなかった。

 そして、そこまでして地位にしがみつく彼らを許せないと思った。

 帆澄がひとりで妖を退治したのは十五歳になってからだ。それまで誰かしら大人がついていた。それでも、始めて妖と対峙したときの恐怖は、今でもまざまざと思い出せる。

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