第21話 告白


 その管理神官の紐飾りを見て、ナァラは酷く驚くと共に、どうしてもその出所を知りたいという衝動を抑える事が出来なかった。

(お母さんの事、何か分かるかもしれない!)


「その紐飾りは、どうやって手に入れたのでしょうか?」


 しかし、その問いに応える者はなく、ただ虚しくリュートの音色が響くのみだった。



 今まで、彼は質問に対して答えをはぐらかす事はあったが、決してナァラの思いを無下にはせず、無視するという事は一度もなかった。そんな彼の、明確な拒絶。


 ナァラは、管理神官の無言の意思表示を前に、自分が彼の心に土足で踏み込んだことを理解し、そして後悔した。

 けれど……、どうしても知りたかった。もしかしてこの人は本当の母の事を知っているのではないか、と。


 自分の知りたい気持ちを優先して、相手の心を傷つけた。そして、彼の心が明確に遠ざかるのを目の当たりにして、ナァラはどうしていいのか分からなくなる。


 彼が私に愛想を尽かしたら……良く分からない人たちがうろつくこの街に一人ぼっちになってしまったら、私はどうなってしまうのか。


 元々、ナァラは巫女として大したことは何もしていない。それなのに、奉献の徒の皆は何も言わず、血を流しながら彼女を守ってくれていた。そして、最後まで傍にいて自分を守ってくれていた管理神官。その心を踏みにじってしまった。


(私は、なんて自分勝手なの……)


 管理神官の顔を見ていることができなくなり、ナァラはうなだれる。

 その瞳から、静かに涙が零れ落ちた。


 恐怖に苛まれる中、笑顔で励ましてくれた彼の心は、もうここにはない。


 沈黙のを、ただ、リュートの音色だけが埋めて行く。




(完全に嫌われた……)

 再び、世界に一人ぼっちになったような孤独を感じた。

 もともと、村長の家でナァラは一人ぼっちだった。だれも味方なんかいなくて、誰からも必要とされていなくて、誰も、私の事を知らなくて……。



 そう、一人ぼっちには慣れている。



 ……そのはずだった。


 だけど、どうしてこんなに心細いのだろう。知らない街の路地裏でうずくまって泣いて、いったい私は何をしているのだろう。


 この曲が終わったら、彼はいなくなってしまう。そんな考えが浮かんだ。だから、この曲が永遠に続いて欲しかった。


 一人にしないで欲しい。傍にいて欲しい。巫女では無くて、ナァラでは無くて、私自身を見て欲しい。



 ……なんて傲慢なんだろう。



 私は元々誰にも必要とさていない。たまたま、ナァラの身代わりにされただけ。期待外れの私は、もう用済み。ここでお終い。また捨てられる。


 でも、ここは村長の家ですらなく、良く分からない人たちが私を探している。


 さっき、知らない人から刃物で切り付けられた。その瞳には、何のためらいも感じられなかった。


 見捨てられて、あの人たちに掴まって、そして……。


 不意に、森で襲ってきた盗賊の死体が思い出された。

 土色の顔をして、だらしなく口を開け、どこを見ているのか分からない瞳。

 気付くと、それは私の顔に変わっていた。


 倒れた私の死体に誰かが近づいて来くる……。そして、突然首に剣を突き立てた。


 恐怖のあまり目を見開く。

 気付くと額にびっしりと汗をかき、呼吸が浅くなっていた。胸が、苦しい。

 瞳からは止めどなく涙が溢れる。


 もう無理だ、私に巫女なんて勤まるはずがなかったんだ。


(もう、お終いにしよう……。)


 堪えきれず、俯いたまま、破れかぶれでその言葉を口にする。


「あの……わ、私、本当は生贄の巫女じゃないんです。」



 その刹那、演奏が止まった。



 ああ、ここで終わりか。みんないなくなってしまう……。自分で決めたことなのに、さらに涙が溢れてくる。


 ふと、彼の声が聞こえた。

「少年、悪いがこれで果実水を買ってきてくれないか。喉が渇いてしまってね。

 そう、二人分。いや、君も好きなものを買って良い。お釣りは手間賃として取っておいてくれ。」


 すぐに駆けてゆく小さな足音。



 そして、演奏が再開された。どこか物悲しさを感じさせつつ、美しい旋律が奏でられる。


 ……ああ、そうか。ちゃんと説明しないと分からないよね。私って本当に馬鹿。

 説明を終えるまでは、演奏を続けてくれるのかな。


 何か考えるたびに溢れてくる涙を流れるままにしながら、私は言葉を紡ぐ。


「私、本当はナァラじゃないんです。ナァラは村長の娘の名前。私は、村長の家の使用人なんです。小さいころにお母さんは死んでしまって、一旦別のお父さんお母さんに引き取ってもらったけれど、その二人も七年前に流行り病で亡くなって……。そこからは義理のお父さんの親戚の、村長さんの家で使用人として暮らしていたんです。」


 ああ、お義父さん、お義母さん。私、頑張れなかったよ……。


「本当は、村長の娘さんが巫女に選ばれたのですが、村長が私に身代わりになれって……。」


 そして、名前と一緒に捨てられた。


「わたし、皆を騙して、巫女のふりをして……。何も知らない皆は、私の為に人を傷つけたり、傷つけられてりして……。」


 ああ、そうだ。神様までも騙していたんだった。そうすると、私は鬼神様に裁かれるのかな……。


「嘘をついて、ごめんなさい……。ずっと騙していて、ごめんなさい……。貴方の気持ちを踏みにじって、ごめんなさい……。うぅ……。」


 堪えきれず、嗚咽が漏れる。


 ああ、何もかもお終いだ。ここで、全てを話すことが、私の最後の罪滅ぼしなんだ……。


 泣きすぎて途中で喋れなくなったけれど、彼は何も言わない。



 泣き続けて、ようやく少し落ち着いて、続きを話す。


「……私の足の紐飾りも、本当のお母さんが残してくれた物で、私はお母さんの顔も名前も知らなくて……だから、何かお母さんの事が分かるんじゃないかって、あなたの紐飾りについて聞いてしまって。

 貴方の心を傷つけてしまって、ごめんなさい。……ううぅ……」


 また嗚咽が漏れる。上手く話せたかは分からないけど、言うべきことは言った気がする。だから、最後に一言だけ……


「いままで、ほんとうに、ありがとう……ございました……」


 泣きながらで酷い声だったけど、本当に言いたかったことは言えた。あとは、裁きを待つだけだ。

 この後どんな事が待ち受けているか分からなくて怖いけれど、でも、本当の事を言えて少しスッキリした……。


(ああ、楽しい旅だったな……)


 もう話すことも無くなって、私はただ泣き続けた。



 やがて、演奏が終わる。



 ああ、ついにお終いなんだな、何だか長いようで、あっと言う間の時間だった……。


 すると、ナァラの足元に何かが置かれる音がした。

 躊躇いながらも、マントの中から恐る恐る手を伸ばすと、それは、彼の紐飾りの入った袋だった。


 どういう事だろう……


 袋の中の紐飾りを見つめ、意味が分からず黙っていると、彼は演奏を再開し、そして語り始めた。


「その紐飾りは、ある少年が、偶然出会ったある少女から貰ったものです。」


 私は、驚きのあまり彼の顔を見つめる。

 その顔には相変わらず表情がなく、何を考えているのかは分からなかった。


「少女の名前はラニーア。彼女は過酷な運命を背負っており、少年は、彼女を助けたいと願いました。

 少年特有の、万能感があったのでしょうね。自分ならなんとかできると、本気でそう思っていたのです。……ですが、それはもはや一個人の思惑ではどうしようもできない出来事でした。本来、彼女を助けるということは、その少年の死を意味していたのです。

 幸い、協力者がいたお陰で少年は死なずに済みましたし、何とか彼女を匿う事にも成功しました。


 少女を匿った場所は、少年が住んでいる場所から馬を飛ばして2日かかりましたが、少年は機会を見つけては少女のもとに通いました。


 もちろん、あまり大っぴらにやり過ぎると彼女の居場所が特定される恐れがあったため、月に二、三度と言った所ですが。

 ちなみに、彼自身がその隠れ家に住むというのは、突然姿が見えなくなった彼に疑いがかかり、そこから彼女を匿っていることが発覚する恐れがあったためできませんでした。


 少年は、隠れ場所から出る事の出来ない彼女の為に、色々と考えた結果、やったことのないリュートを練習して、彼女に聞かせたりしました。彼女は、とても喜んでくれて……少年は余計リュートにのめり込みました。自分の家にいる時は、殆どずっとリュートを弾いていたんじゃないですかね。彼の父親は温厚な人でしたが、一度、せめて夜はやめろと怒られましたよ。」


 遠くを見つめるような彼の瞳が、何かを愛おしむ様な優しさを帯びたように見えた。


「しかし、後に分かった事ですが、彼女はその少年と出会った時、既に妊娠していたのです。約一年後、無事に少女を生みましたが、予後が悪く、二月もしないうちに亡くなりました。


 最後に彼女に会った時、彼女が自分の娘を旅の夫婦に託したと聞き、少年は打ちのめされました。彼は、彼女の余命が幾ばくも無いと知った時、自分でその子を育てようと決心していたからです。

 でも、彼女は彼にそんな過酷な運命を負わせたくはなかったのでしょう。

 実際、少年は当時十五歳位で、自分一人で子供を育てられる訳ではありませんでした。自分の父親に、その子を養子にしてくれと頼みこんだりもしましたが、もしその子供の出自が明らかになれば、少年の父親や家族も危険に晒される恐れがあったのです。」


 彼の瞳から、一筋の涙がこぼれる。


「ラニーアは、隠れ場所にこもっている間することもなく、良く紐飾りを作って暇をつぶしていました。最後に、自分の娘と、その少年に同じ紐飾りを渡していたのですね。娘にも同じものを渡していたことは、少年も知らなかったようですが……。」


 演奏が止むと、近くの子供たちは既にいなくなっているようで、静寂が辺りを支配した。


 彼は、涙をぬぐう事もせず、こちらに振り向いてこう言った。


「彼女の娘の名前は、ユオーミ。」


 そして、再び正面を見つめる。

「きっと、今頃ユオーミは、ラニーアにそっくりな美しくて心の優しい娘に育っている事でしょう。

 少年は、ラニーアを失って誓いました。こんな悲しい事が起こらない世の中を実現すると。

 だから、少年は、仮にもしユオーミと再会することがあったとしたら、どんな困難な状況でも必ず味方となるでしょう。ラニーアの最後の意思には反するかもしれませんが、それでも、それはあの日の誓いを守ることと同義ですから。」


 お互いが涙を流しながら見つめ合う中、彼は力強くこう言った。


「大丈夫。貴女は一人ではありません。命を懸けて貴女を守ります。」





 太陽が今正に山陰にその姿を隠し、わずかに残ったその光が遠くに見える山並みを輝かせていた。


 街外れに立ち尽くす管理神官とユオーミ。

 風に吹かれながら、山並みの光に目を細め、ふと見上げる空には星が輝き始めていた。

 辺りは随分暗くなり、これなら目立たずに集合地点を目指せるだろう。


 管理神官は濃紺のマントをはためかせ、半面を片手にユオーミを振り返る。

「仮面を付けたら、すべて忘れてください。貴方は生贄の巫女。そして私は、奉献の徒の管理神官です。」


 その表情は、山並みを縁取る輝きの逆光に隠され、伺う事はできない。

 ユオーミは、そんな管理神官を見つめ返し、思いを告げる。


「名前を……最後に、その少年の名前を教えてくれませんか。」

「……」


 ユオーミは必死に言い募る。

「もしこの先、巫女としての務めを果たした先、もしくはそれ以外でも、母に、ラニーアさんに会うことがあったらその少年の話をしたいんです。貴女の期待を裏切らない素敵な人だったと。だから、どうかその少年の名前を教えて下さい!」


 管理神官は、無言で薄紫のマントに身を包むユオーミを見つめる。

 消えゆく太陽の、その最後の光に照らされた彼女の顔は、どこか儚げに見えた。

 けれど、その瞳には力が宿り、かつてのあの人を思い出させる。


(ラニーア、君の娘は立派に育っているよ……。)


 そして、告げられる名前。


「……その少年の名は、アガナタ。」


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