第17話 円環


 街外れで行われた告解の儀。


 誰もいなくなった天幕の中で、ナァラは憔悴しながら椅子の背もたれに体を預け、目を瞑って天を仰いでいた。


 執政官と商会の長。


 普通に生きる庶民では、一生交わる事のないであろう彼らの懺悔。



 執政官は、貴族や商人から賄賂を受け取り私腹を肥やしている事を告白した。


 彼は、強大な権力と、その力を私的な理由で行使することで得られる富の循環の輪の中に捕らわれ、それを世界だと認識していた。

 その輪の外側でどれだけの血や涙が流れているかなど、知る由もない。何故なら、それは世界の外側だからだ。


 権力に対する強い執着を持ち、人々は自分を敬うべきだと考える。

 敬われることで正しさを確認し、己の罪を正当化する。


 権力闘争に明け暮れ、相手を抑え込むために権力を振りかざす。

 だから、良くない事とは知りつつ、賄賂でさらに力を付けなければ自分が引きずり降ろされると怯えていた。


 終わりの見えない円環の中で、そんな自分に気づく事すらできていなかった。


 ナァラは純粋に、「人の上に立つ者が人間的に優れていないのが何故なのか」と疑問を覚えたが、こんな円環の中の世界でその頂に上り詰められる人物が、そもそも人間的に優れている訳がないと、妙に納得した。



 商会の長は、地上げや賄賂、数々の犯罪行為について告白した。

 その中で公然と語られたのは、貧しいの者を金で雇い、数々の犯罪行為に用い、使い捨てているという事実。南方人を罠にはめて借金漬けにし、支配しようという計画。


 彼は、自らの飽くなき富への欲望が招いた罪を告白し、「許しを請いたい」と言った。


 巫女に許されれば楽になれると考えたのだろう。

 けれど、それは巫女の役目ではないし、そもそも彼のその行動の結果を、ナァラは許したいと思わなかった。


 彼は許しを得られないと知ると顔を歪めた。

 悪い事と知りながらそれを行い、その結果を受け入れず無かったことにしようとするその心根は、そう簡単に変わるものではないだろう。



 ……だが、どんなに自己正当化の言葉を並べてみたところで、彼らの中には罪悪感が確かにあった。


(私は、彼らのその罪悪感という薪に、仄暗い火を放った…。)


 その黒い炎が彼らを焼き尽くすのか、それともその円環から解き放たれる術を見つける道標となるのか。

 何がその後を分けるのかは分からない。分からないが、恐らく、そこに巫女は関与できない。少なくとも今、ナァラはそう感じた。


 執政官は涙ながらに顔を歪めつつ、それでも、自分なりの出口を見つけ出したいと思うと、そう言っていた。

 商会の長は、途中からうわ言を言うようになり、恐怖に顔を引きつらせながら逃げ出して行った。



 誰もいない天幕で、逃げてゆく彼の背中を思い出しながらナァラは怒りが湧きおこってくるのを抑えることができず、思わず心の中で呟いた。

(炎に、焼かれてしまえ!)


 自分の中から湧き出したどす黒いその気持ちに自分で驚き、思わず椅子から立ち上がった。そして、絶望する。

(……私も、彼らと何も変わらない。目先の感情にふりまわされ、自分の役目を忘れてしまっている。)


 けれど……彼が鬼神に裁かれないのだとしたら、一体誰が裁かれるの言うのだろうか?

 心は乱れ、静まる気配はない。


 ナァラはうなだれ、再び椅子に腰を下ろした。

(自分が、分からない。私は……。)


 蝋燭の火が風に揺られ、生き物のように身じろぎする。長い沈黙の後、ナァラはふと、そちらに目を向けた。

(それに比べて、あの人たちは……)


 ナァラは、今日の昼過ぎに守護主神官に連れて行ってもらった貧民街を思い出す。

 宿場町よりもはるかに大きなこのヌクメイでは、貧しい人々の数もその比ではなく、浮浪者たちは街の郊外の一角に貧民街を形成していた。


 そこは、同じ街でありながら、ヌクメイの大通りとは何もかもが違っていた。

 手入れされていない廃屋のような建物が並び、道にもゴミが散乱、一帯に浮浪者が溢れていた。

 また、ナァラ達のような「普通」の人間に対する視線も鋭く、守護神官たちがいなければナァラの身にも危険が及んでいただろう。


 そんな貧民街で、守護主神官が連れて行ってくれた先では、教会勤めの神官が炊き出しを行い、そこに住む浮浪者達にスープとパンを振舞っていた。


 列をなす浮浪者達。時々その列に割り込む者が現れ、その度に神官が仲裁に入る。


 神官達は慣れた手つきで、黙々と作業をこなす。

 スープを木の器に注いで渡す者。箱からパンを取り出し配る者。食べ終わったスープの器を回収する者。

 更にその横で、列に向かって声を張り上げる者。


「いいですか、皆さん。苦しい事も沢山あるかもしれません。ですが、我々はより良く生きる事ができる。その選択をすることができるのです。貴方も、私も。希望を捨てないでください。神は、我々はあなた達を見捨てません!」


 ナァラは、それまで教団の事をよく知らなかった。村には教会は無かったはずだし、村長たちも特別に教団について何か言っていた記憶もない。

 ナァラ自身、生贄の巫女に仕立て上げられて、そこで奉献の徒に会って初めて教団というものを意識した位だ。


 そういうことをする人たちがいるという事、教団がこういう活動をしているという事実。それを知り、ナァラは純粋に教団に、その神官達に尊敬の念を覚えた。


(彼らは世の中の不公平に対して、その手を動かして行動していた。それに比べて自分は……)


 その時、ナァラは守護主神官に施しを手伝わせて欲しいと願い出た。守護主神官は少し考え、教会の責任者に話を通してくれた。

 彼らは、半面の不審者に初めは警戒感を示したが、奉献の徒の一行だと知ると悲鳴を上げてナァラにひれ伏そうとした。


「巫女様はそんな事は望んでおらん。普通どおりに頼む。」

 守護主神官がそう制し、困惑する彼らから何とかパン配りの仕事を得ることに成功した。


 真横に守護主神官が立った状態でのパン配りとなったため、彼の威圧感に顔が引きつっている者もが多かったが、ナァラは一人一人と目を合わせて残りのパンを配り切った。



 ふと、風に揺られた蝋燭の炎が目の前で大きく揺れて、ナァラは我に返る。


 告解者達には全く同情する気が起きない。けれども、誰も彼もが欲望に狂い、苦しみもがいている。それは、何だかとても哀れな存在に思われた。


(彼らのあの身勝手な苦しみはどこから来るのか。どうすれば彼らを救えるのか……)


 答えが出ないまま、時間が流れる。

 何者にもなれていない自分に焦りを覚えつつ、瞳を閉じる。瞼の裏で踊る蝋燭の炎を見つめ、ナァラは疲れた頭で辛抱強く思いを巡らせた。




 主教が言っていた「この街で一、二を争う宿」という言葉に偽りはなく、貴族の屋敷のような立派な宿。個人に当てがわれたその部屋で一人、管理神官は机の前に座りじっと手元を見つめていた。


 胸元から取り出した、首にかけた細い紐。紐をつまんだその先端には、小指ほどの長さの細い金属棒が左右にバランスを取り、水平を保っていた。


 厳しい顔で見つめる管理神官の目の前で、その金属棒は小刻みに振動する。わずかに震えては止まり、そしてまた震える。

 一向に静まる気配を見せないその棒の様子に、彼は眉間の皺を深くした。


 その時、扉の部屋を叩く音が響いた。

「失礼いたします。宿の者ですが、今、教会の主教様がお会いしたいといらっしゃっています!」


 告解の儀も終わり、夜も更けようというこの時間の来訪者にますます眉間の皺を深くし、管理神官は金属棒を胸元にしまい込んだ。

「今行く。」



 借りた部屋の中にある応接間のような広い部屋に一同を集め、管理神官は皆に告げる。

「夜分に申し訳ない。今教会関係者から連絡があり、旅程上の問題が発覚した。時間も遅いため詳細は省くが、各々荷物の詰め替えを実施してもらいたい。」


 ナァラは既に眠っており、その部屋の前で赤の守護神官が警備についているため、この部屋にいるのは八人だ。

 彼らが一様に管理神官を見つめる。


「現在食料は大部分を纏めて馬に積んでいるが、これを小分けにして各自の荷物に入れるようにしてくれ。これは、地形上、天候上の理由により奉献の徒が分断された場合に備える措置だ。」

「分断、ですか?」

 太った青の世話人が困惑した様子で質問する。


「そうだ。例えば夜間に一時的に分断されても、食料さえあれば何とかなる。翌朝すぐに合流すればよいだけだ。さぁ、準備に取り掛かってくれ。」

 管理神官は眉一つ動かさずに、言外にそれ以上の質問受け付けないという雰囲気を出しながら指示を出した。


 準備を始めた奉献の徒のメンバーの様子を確認し、管理神官は守護主神官に声を掛ける。

「少し話したい。私の部屋で話そう。」


 守護主神官は腕を組んだまま意外そうに片眉を上げたが、何も言わずに守護主神官に付き従った。



 部屋に入りその扉を閉めると、管理神官は単刀直入に告げる。

「何者かが我々の周辺をうろついている。」


 巫女の安全に関わる情報に、守護主神官は強く反応した。

「何者か? どういう事だ?」

「分からん。教会側でも把握できていないようだ。警戒しろと主教から指示が来た。」

「馬鹿な! おぼろが動いているんだろ。どうして把握できないんだ?」


 管理神官は守護主神官を見つめ、声を押さえて苛立たし気に応える。

「その名前は出すな。存在を知っているのがばれた時点でお終いだぞ。それと、恐らく相手は以前からこの街に浸透していたようだ。新しく何かが入ってきた様子はないが、我らが到着した途端、明らかに何かが動き出したと。」

「おいおい、そうすると奉献の徒のルートが事前に漏れていたという事になるぞ。」

「そうだ。何者かは不明だが、そこまでの情報を持っているとなると、唯の盗賊等では在りえない。」


 只事ではない事態に守護主神官は考え込む。

「最悪の事態を想定するならば……襲撃があり得るな。この宿も焼き討ちされるかも知れんぞ。」

「そうだ。だが、宿を移す指示は無かった。今、あいつ等も必死で動き回っているようだ。窓の外を歩く憲兵の数が異様に多い。」


「執政官を動かしたか……。ならば夜襲は大丈夫そうだな。」

「問題は街の外だ。平和の象徴たる奉献の徒が憲兵をぞろぞろ連れては歩けない。」

「襲ってくるとして、相手の目的は何だ?」

「恐らく、奉献の徒が襲撃され、場合によっては巫女様に危害が及ぶことで、その威信を地に落とそうとしているのだろう。神から選ばれた巫女様が害されたとなれば、そもそも神自体の威信に関わる事態だ。……そう考えるならば、恐らくどこかの国が絡んでいる可能性がある。」


 守護主神官は腕を組んだまま目を瞑る。

「地の利は敵にあり、実力も不明。……教団が問題を解決するまでこの街に留まった方が良いんじゃねぇか?」

「それは、私の判断する所ではないが……。それを教団が選択しなかった理由として、賄賂等を使って、想像以上に敵がこの街に食い込んでいている可能性がある。その場合、ここに留まる事で想定外の事態が起こる可能性がある。」


 目を開き、管理神官を睨む守護主神官。

「強行突破するってか。勝てるかどうかはやってみなけりゃ分からないが、駄目だった場合はどうする?」


 その視線を受けて、管理神官も睨み返す。

「あの時、俺たちは守り切れなかった。だが、俺もお前もあの頃とは違う。どんな手を使ってでもあの娘を守り抜く。」


「そうでなくちゃ、嘘だぜ。」

 激しく睨み、まるで獣じみた狂気を感じさせる管理神官の視線を受け止め、守護主神官は不敵に笑った。


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