第3話
タクシーで帰宅すると、風呂はキャンセルしてすぐに着替えて眠ることにした。本当は道端で倒れていたのだから、お湯に浸かりたかったのだが、今日は風呂は禁止だと医者に言われたので仕方がない。十二時を過ぎた頃だから、そんない長く倒れていたわけでもないだろうと変な言い訳を自分にする。
「そうか、今日は新年会だった」
ベッドで落ち着くと今日の出来事が鮮明に甦ってきた。
二月、雪が降っていた。遅い新年会。五十人ほどの教員、職員が一同に集う新年会を欠席するのは至難の業だ。春に新規採用で赴任してきたばかりの私には、欠席するという選択肢はなかった。お酒が入ると面倒臭くなる人は、聖職者だろうが教員だろうが関係なく存在する。
「三田先生! 帰るな! 二次会に行くぞ! 明日は土曜日! 休みなんだから大丈夫だ!」
生徒指導主任の山下先生は酔っ払うと本当に面倒臭い。私の二の腕のあたりを掴んで引っ張って行こうとする。パワハラ兼セクハラ兼モラハラを受けているが、この場で抗議しても、なんの効果もないことは春の歓迎会で証明済みだ。私は、なんとかしてはぐれようと一番後ろを歩いていた。花見小路は酔った人たちがたくさん歩いているのだが、さすがに祇園だけあって、大声で酔っていることをアピールする人はいない。私たち十人足らずの団体は、山下先生のおかげでみんなから道を開けてもらえる存在だ。
「山下先生ってモーゼみたい」
私より十年前に採用されたお姉さん先生の声が聞こえる。酒好きの彼女は、この団体についていくことに抵抗はないらしい。二次会は全部山下先生が支払ってくれるからだろう。だが私はどれだけ高いお酒を飲ませてもらったとしても、山下先生と一緒にいる方が苦痛だ。
「よし、ここだ」
先頭の山下先生は狭い路地に入っていった。私は後ろから段々と距離をあけてついていく。あとで「路地を曲がったのがわからなくて迷ってしまった」という言い訳が成立する距離を保っている。
「よし!」
今だと決心して団体から離れ、私は建仁寺の方に歩いていった。振り返ってはいけない。私ははぐれてしまったのだ。さっきよりも足早なのは、誰かが私を探しにきても大丈夫なように。いや、どこに行ってしまったかわからない先生方を探しているのだ。頭の中の言い訳マシーンが発動する。
建仁寺を抜け、ゑびす神社の前を通りすぎ左に曲がった。このまま真っ直ぐ行けば東大路通に突き当たる。そこからタクシーに乗って帰宅という計画だ。ますます歩くスピードが速くなったのは、雪が激しくなったからだ。一方通行の狭い道を車が通り過ぎる。私は傘をさし六道珍皇寺の前を通り過ぎようとした。その時、急ブレーキの音が聞こえた。
「えっ?」
誰かが私を押した。
「誰?」
そう思って振り返ると六道珍皇寺の朱塗りの門を上から見下ろしていた。
いつもの土曜日よりも相当はやく目が覚めてしまった。いつもなら休日は惰眠を貪るように昼頃まで寝ている。だらだらと身体を起こし、シャワーで目を覚ますのだが、今日はスッキリ目が覚めてしまった。昨日の出来事がなんとなくしっくりこない。あの閻魔さまの夢を見たのは、道路で倒れていた時なのか、それとも病院に運ばれた時なのか。私の場合、不思議な夢は一瞬で見ることが多い。テレビを見ながらウトウトしてしまった時や職員室で考え事をしている時、一瞬の眠りに入ることがある。そういう時はだいたい変な夢を見る。
「三田先生、よだれ」
笑いながら教えてくれるのは、私と同期のみっちゃん先生。家庭科の先生というのは家庭的な人が多いのかと思っていたがそうでもなく、どちらかというと武闘派だ。授業の時もジャージが多い。
「だって、調理実習とかすぐに汚れるから。お出かけ用の服なんて着て授業をしたらえらいことになりますよ」
彼女のいうことも一理ある。というかよくわかる。私も四月当初は黒を基調としたパンツスーツで出勤していた。でも、授業が終わって職員室に帰るとチョークの粉が肩にふんわり積もっている。知らない人が見たら全く清潔感のない女性だと思われてしまうだろう。ということで私もゴールデンウィークが終わった頃から洗濯機で洗える手頃なファストファッションを着回すことにした。
今日は熟睡した爽快感がある。変な夢は目覚める直前にみることが多いのだが、そんな感じはない。
「ひょっとして現実?」
自分でも笑えるような妄想が頭の中を駆け巡る。
「でも、もし現実だったら、今日の夜にあの場所に行かないと」
そう思うのだが、あの場所がどこにあるのかわからない。死後の世界にどうやっていくのかは死んだことがないからわからない。
「まぁ、どうしても来てほしかったら向こうから迎えにくるでしょ」
「お迎え」という不吉な言葉を使うべきではないのかもしれないが、初めから信じていないのだから気楽なものだ。
私は土曜日を満喫するためにもう一度布団に入った。
「猫になった夢が見られますように」
そう願いながら。
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