第19話 奈良の夏

 奈良での初日は無事過ぎた。聖ちゃんのお祖母ちゃんのベッドはフカフカで寝心地が良くて、窓香は久々にぐっすり眠ることもできた。


 それからの数日は夢のようだった。聖ちゃんのお父さんが管理する神社のお盆行事、近所の夏祭り、奈良公園のナイト・イベント、窓香は大忙しだった。お客さんとしてだけではなく、時に裏方となって、参拝客の案内をしたり、給仕をしたり。


 「マドカちゃんがおってくれて助かったわ」


 聖ちゃんやりっちゃんだけでなく、お父さんやお母さんまでが褒めてくれる。諒さん、リキ君も彼らなりの表現で、窓香の頑張りに感謝してくれる。素直に嬉しい。大勢で囲む食卓も楽しい。食卓ではむしろ男性陣の方が饒舌で、リキ君でも冗談を言う。そこにお母さんと聖ちゃんが時々ツッコミを入れて、さらに笑い声が大きくなる。こんなに賑やかで楽しいお盆休みってあったっけ。苦痛でしかないお盆休みの記憶が、幸福な記憶で上書きされて良かった。


 ただ懸案事項がないわけではない。ブーッブーッ。昨日くらいからLINEが鳴りっぱなしだ。送信者はダブル・タバタこと帯刀と幸人。「今どこ?」「勉強してるか?」

「図書館には来ないの?」「数学の教科書復習終わったか」と矢継早にメッセージを送ってくる。途端に現実に引き戻される。それぞれに「奈良だよ」「図書館もお盆休みじゃん」「勉強してるよ」「そのうち」とか、適当に短文で返信してたら、両方から「塩対応すぎる」というクレームが来た。どうしろと。


 明日は東京に戻るという日の午後。リキ君が「お父さんが、マドカちゃんのために祝詞をあげると言っています」と呼びに来た。リキ君と共に神社に急ぐと、そこにはきちんと神主装束を身に着けたお父さんが待っていた。


 拝殿に上って深くお辞儀をする。隣に聖ちゃんとりっちゃん。後ろにリキ君が座る。


 「たかまのはらに〜かみづまります〜…」お父さん、もとい、神主さんの朗々とした祝詞が響き渡る。

 最後に御幣をサッサッと振り、祝詞が終わる。窓香は聖ちゃんたちの見様見真似で柏手を打つ。


 「払え給え、清め給え」


 良い言葉だと思う。おまじないにしよう。これから何か嫌なことが起こった時は、これを唱えるんだ。


 翌日朝、早起きして準備を整えた窓香は部屋の窓から、石庭をぼんやりと見つめていた。


「準備出来た?」聖ちゃんが迎えに来る。


「聖ちゃん…色々ありがとう…とても楽しかった…呼んでくれて本当にありがとう…」


「マドカちゃん、そんなん気にせんといて。ウチらも楽しかったよ」


「聖ちゃん…!」


 窓香は思わず聖ちゃんに抱きついた。悲しいし嬉しい。でも悲しい。また私は一人ぼっちになるのだ。涙が次から次へと溢れる。


「あらら…」

 聖ちゃんは左手を窓香の背中に回し、やさしくポンポンと叩いた。そして右手は窓香の頭の上に置き、グイグイと撫でてくれる。


「可愛い可愛いマドカちゃんに良いことだけ起きますように…」

窓香の身体中に力が満ちていく。


 帰りの車も諒さんの運転だった。今回はりっちゃんも一緒に行く!といって聞かないので、りっちゃんが助手席に乗ることになった。でもリキ君が「何で僕が残るんですか」と譲らず、結局、リキ君も聖ちゃんや窓香といっしょに後部座席に乗り込んだ。


「大人気やね、マドカちゃん!元気でな」


 聖ちゃんのお母さんが玄関まで見送りに来てくれた。お母さんの背後では、お父さんがニコニコ笑いながら手を振っている。本当に仲の良い両親だ。


 「おじさんもおばさんもどうかお元気で。本当にお世話になりました」窓香は丁寧に挨拶をする。だめだ、また泣きそうだ。


「またおいでや〜。何のおもてなしもできへんけど」


 車が発進する。リアウインドウ越しに見えている、手を振るお父さんとお母さんがどんどん遠くなっていく。本当のお父さんお母さんだったら良かったのに。窓香は何度そう思ったことだろう。でも、現実は違う。違うんだ。窓香はやればできる子。だから天は窓香に試練を与えてくださったのだ。今はそう思うことにする。



 京都駅について、新幹線が発車するまでの30分。いやはや大騒ぎだ。りっちゃんとリキ君があれもこれも持っていけ、と大量のお土産をもたせようとするのだ。


 「もうマドカちゃんのカバンに入らへんよ」聖ちゃんが必死で止めるんだけど、そういう聖ちゃんも、「この阿闍梨餅の箱くらいなら、マドカちゃんのリュックに入るやろ?」って小声で囁く。そしてそれを耳ざとく聞きつけたリキ君に「聖ちゃん、抜け駆けは許されませんよっ!」って注意されている。りっちゃんも交えた姉弟ケンカが面白くて、いつの間にか窓香の淋しい気持ちも薄まっていく。本当に楽しくて優しい人たちなんだ。


 明日からはまた東京の生活だ。夏休みも残り2週間足らず。結局、お盆休みは問題集は開かないまま。さてさてどこまで頑張れるか。でも、HPもMPも300%くらいチャージ出来てる。おまじないも覚えた。きっと受験まで乗り切れる。私は頑張れる。うん。

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