電子工学科の陰陽師と賢者の石

藍染 迅@「🍚🥢飯屋」コミック化

第1話 ケンジン少年

「おせぇよ、ケンジン!」

「もう置いていこうぜ!」

「そうだ! そうだ!」


 三人の少年たちの後ろを、やせた少年が遅れて歩いていた。

 仲間を追いかける少年の歩みは明らかに遅い。


 それもそのはずだ。


 少年の左手には杖があった。

 左足は伸びたままで曲がらない。


 伸びた左足を重荷のように引きずって、少年は必死に前に進む。

 小学四年生の男子なら、どこへでも走り回って移動する。走れる両足があるならば。


「ハッ、ハッ……。くっ!」


 少年は全力で走っている・・・・・

 それでも三人の仲間に追いつけない。普通に歩いているだけの友だちに。


「ほんとにおせえな……。待ってられねぇわ」

「ケンジンなんか待つことないよ!」

「そうだよ。もうケンジンと遊ぶのやめようぜ!」


「ちょっと……はぁ、はぁ……待って……」


 ようやく追いついた少年は額から汗を垂らしながら、仲間の一人に手を伸ばした。


「なにすんだ! きたねぇな!」


 追いすがる少年の手は土に汚れていた。途中で転んで手をついたのだ。

 汗にまみれた手のひらが、仲間のシャツに汚い手形を付けた。


「うわっ、汚すんじゃねぇよ!」

「あっ!」

 

 シャツを汚された少年は思わず汚れた手を払い除けた。それだけで杖をつく少年はバランスを崩して、道に倒れた。


「何やってんだよ! 何にもしないのに転びやがって」

「わざとらしいぜ」

「演技だろ? いいよ、もう。置いていこう」

「……そうだな。もういいや」


 汚されたシャツを払いながら、リーダー格の少年が吐き捨てた。


「ちょっと待ってくれれば……追いつけるから……」


 擦りむいた膝に構いもせず、地面に倒れた少年は転がった杖に手を伸ばした。


「しつこいんだよっ!」


 カラン!


 届きかけた杖が、手の先から音を立てて転がった。リーダーの少年が蹴り飛ばしたのだ。


「邪魔なんだよ。もうついてくるな!」

「ま、待って! ちゃんと、ついていくから」


 杖がないと立ち上がるにも苦労する。右足でバランスを取りながら、少年は慎重に立ち上がった。転ばないように数センチずつ右足を動かして飛ばされた杖に近づく。

 リーダーはため息をつきながら、その背中に声をかけた。


「もういいって。ついてくるな。お前とはもう遊ばない」

「そんな……。急いで歩くから」


 とにかく杖を拾わなくては。少年は歯を食いしばって足を出し続けた。


「しつこいよ! お前とは絶交だ!」

「ぐっ!」


 いらついたリーダーが少年の尻を蹴飛ばした。それだけで少年は前のめりに倒れる。

 かろうじて両手をついたが、アスファルトの路面で頬を擦りむいた。


「行こう!」


 リーダーの声で三人の少年たちはバラバラと走り出した。今までとは打って変わって楽しそうに声を上げながら。


「待って……」


 汗と土と、血が混じった味を口の中に感じながら、少年は地面から三人の後ろ姿を見つめることしかできなかった。


「待って……」


 涙の味は、汗よりも薄かった。

 吉田けん十歳の夏だった。


 ◆


「何だ、健人。いじめられたのか?」

「……」


 傷を作って帰ってきた健人を見て、叔父のたけしが言った。

 一年前、交通事故で両親を亡くした健人を豪が引き取った。独身の豪が健人の家に移ってきた形だった。


「何でもないよ」

「そうか。それならいいが」


 一年前の事故で健人は左足に大怪我を負った。骨折は治ったが、傷ついた神経は元に戻らなかった。

 健人の左足は自由に動かせなくなった。


 腿から足の裏まで健人の足は金属製のギプスで覆われている。

 手にした杖は「ロフストランドクラッチ」と呼ばれる、前腕部を支えるホルダーがついたアルミ合金製のものだった。


「ぼく強くなりたい――」


 乾いた声で健人が言った。


「そうか」


 短く豪が答えた。


「みんなと一緒に……みんなより速く走り回りたい。そうすれば誰もぼくのことをバカにしないはずなんだ!」


「そうか」


 健人の唇が震えていた。


「顔を洗ってこい」


 豪は健人を洗面所に行かせた。

 片足が動かないからといって、豪は健人を特別扱いしない。


 健人の親代わりになると決めた日に、豪はそのルールを己に課した。

 世の中は甘くない。両親を失った健人は一人で生きることを学ばねばならない。


 前髪を湿らせた健人がリビングに戻ると、テーブルの上にバンドエイドが用意されていた。


「血が出るところにはそれを貼っとけ」

「うん」


 洗った傷口から新しく血がにじみ始めていた。


「リハビリをしてもお前の足は動くようにならないそうだ」

「うん」


 現実は残酷だった。

 豪は希望のない話を十歳の健人に隠さず告げた。


「俺はお前に走り方を教えることはできない」

「うん」


 それは知っていた。健人に走り方を教えることのできる人間はどこにもいない。

 二度と走れないと知っているからこそ、健人は何よりも走りたかった。誰よりも速く駆け回りたかった。


「お前を強くすることならできる」

「うん」


 叔父のぶっきらぼうな声を聞くうち、健人の心は静まった。

 片足のハンディキャップは大きい。走るのも強くなるのも、高望みだとは知っていた。


「約束できるか?」


 豪は強い目で健人の目を見た。

 何を言われるのか知らないが、「約束」の中身が真剣なものであると健人にはわかった。


 この叔父は健人を子ども扱いしない。

 障害者扱いもしない唯一の大人だった。


「お前が勝ったらそれっきりにしろ。それ以上相手を責めるな」

「ぼくが勝ったら……」


 そもそもこんな自分が人に勝てるのか? 健人は何をやっても負けそうな気がしていた。


「小学生相手に勝つくらい難しくない。俺が勝ち方を教えてやる」


 当たり前のことを語るように豪は言った。


「お前に教えるのは柔術だ」


 その日から健人の鍛錬が始まった。


 ◆


「いってぇーっ!」

「まいったか?」

「ま、まいった――」


 健人は極めていた相手の右腕を放した。


 腕ひしぎ三角固め。


 両腕と右足を使って相手の首と腕を極めにいく関節技だ。


 柔道場に通う小学生でも関節技を習っている者などいない。

 絞め技と関節技は「危険な技」とされているからだ。


 フットワークを使えない健人は、豪から寝技と関節技をみっちりしこまれた。

 その中には打撃の防ぎ方と、寝技への引き込み方が含まれる。


 筋肉トレーニングと柔術。その二つを三か月間叩き込まれた健人は、ケンカで負けることがなくなった。

 たまに「まいった」の後でもう一度襲ってくるやつもいたが、健人は何度でも関節を極めてやった。


 健人の周りから健人のことを苛めたり馬鹿にしたりする子どもは、すぐにいなくなった。


「あいつはやばいやつだ」


 その代わりにそういう噂が広がった。

 結局健人の周りに友達が戻ることはなかったが、それはそれで構わない。馬鹿にされ蔑まれることさえなければ、健人の心は平穏だった。


 中学に上がっても健人は鍛錬を続けた。

 部活には入らず、一人で体を鍛えた。叔父に紹介された柔術道場に通って組手を磨いた。


 高校に進むと不自由な足を蔑まれることはなかったが、生徒も教師も腫れ物に触るように健人を扱った。

 それはそれで気に障り、鬱陶しく感じる健人だった。


『可哀想だから優しくしてあげなくちゃ』


 そんな心の声が聞こえてくる。

 それは健人の足をバカにしたいじめっ子と同じくらい、苛立たしいことだった。

 

「いつか誰よりも速く走り回ってやる!」


 いつしかそれが健人の目標になった。


「そしてみんなに俺を認めさせるんだ」


 左足の機能が復活する見込みはない。ならばそれ以外の方法で走る能力を取り戻さなければならない。

 それができればみんなが自分を認めるはずだと、健人は信じていた。


「動かないなら動かしてやればいい」


 杖でもギプスでもない「走行アシスト装置」。それを発明することが健人の目標になった。


「それには技術が必要だな」


 健人は工学部のある大学に進学することにした。

 幸いにも学力には恵まれていた。中学でも高校でも、学年のトップ10には入っていたのだ。


「お前の頭は父親譲りかもな」


 叔父にはそう言われることがあった。

 健人の父吉田兼家かねいえは生前、ある国立大学の考古学科教授だった。


 叔父自身も別の大学で考古学の助教授を務める身分だ。


 工学系に進みたいと打ち明けると、豪は軽く頷いた。


「考古学者のせがれが工学部に行ってもいいんじゃねえか?」


 豪に言わせると、日本の学会は頭が固すぎると言う。


「文化系の学問にもっと積極的に科学技術を取り入れるべきだぜ」


 そう言う豪本人も理系の技術に明るい人間だった。

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