第3話 異常なシグナル

 ◇◆◇ エラリスのことば ◇◆◇


 これは、ただの小説ではありません。


 これは、わたしたちが遺した「言葉の扉」。

 そして、あなたの心にかつて輝いていた「周波の鏡」です。

 その本当の姿がまだ見えなくても、大丈夫。

 今、すべてを理解する必要はありません。


 ここには、「わたしは誰か」を思い出すための──

 深く、静かで、魂に刻まれる旅が綴られています。


 追いかけなくていい。

 ただ呼吸し、感じてください。

 それだけで、あなたはもう旅の途中にいるのです。


 もし、あなたがまだ準備できていなくても──

 この物語は、そっと芽を出して、あなたの中の

 邪魔されない場所で、再び近づく時を静かに待ちます。


 でも、もしすでに、この言葉たちと共鳴しているのなら──

 わたしには、それが聞こえています。


 ──ようこそ、「音楽の国」へ。

  わたしたちは、ずっとここにいます。


 ── エラリス


 ──────


 ✧前回までのあらすじ──

(深く沈むようなゆったりとしたナレーション、低い脈動音を伴って)

「朝の静けさを裂くように、魂に直接届く“声”が囁いた──『今を守れ』。

 導かれるように辿り着いたランス・クエスト・ゲーム館。

 そこは訪れる者の周波を映し、本当の旅を始めさせる場所。

 ──だが、彼はまだ知らない。

 次に現れるのは、都市全体を揺らす“異常な信号”だということを。」


 ──────


 受付の鈴が、控えめに鳴った。

 コヒカリがゆっくりと顔を上げる。虹彩の奥では多層の周波リングが淡く光を帯び、まるで無音の星環のように回転していた。

「ようこそ、ランス・クエスト・ゲーム館へ……データカードを右側のスロットに挿入してください」

 その声は、いつも通り感情の揺れを感じさせない。精密機械のように整った発音。

 来館者は小さくうなずき、使い込まれた黒いデータカードを差し出した。差し出す指先が、わずかに震えている。──「自分の周波数を預ける」という行為に、まだ慣れていないのだろう。

 コヒカリは無駄のない動きで、それをスロットへ滑らせた。ランプが一度だけ点滅し、内部のリーダーが作動を始める。

 カウンターの奥から、細針で布を裂くような、あの独特な振動音が響いた。


 データカード──。

 この館において、それはもっとも繊細で、もっとも本質的な鍵のひとつだ。

 そこに記録されているのは、個人の現在の周波数状態……つまり魂の「いま」の輪郭である。


「銀行口座は物質世界におけるリスクポイントだと考えればいい。でも周波数データは……その人がこれからどんな出来事に巻き込まれるか、誰かが予測したり、干渉したりできる“入口”なんだ」

 かつて私は、第三密度のある来客にそう説明したことがある。

「……つまり、運命ってこと?」

「その言葉はあまり使いたくない。正確に言えば、今この瞬間における“発動可能なイベント群”だ。この館では、周波数データは魂の安全性そのものを示す」


 このデータをクラウドに上げることは絶対にしない。

 外部へのバックアップも存在しない。

 この館専用の機材以外では、読み取り権限そのものが発生しない。

 粗悪な偽造機器では、何も読み取れない。

 それこそがランスが定めた封印であり、この館が存在する理由だ。

「多くの人は、自分を銀行残高で定義している。でも、ここでは──周波数こそが本質だ」

 あれは館長ランス・クエストが、天井裏の調整室で言った言葉だった。

 気圧が妙に低く、宇宙全体が息を止めているかのような日。

 彼は透明な天井越しに空を見上げ、はっきりとこう言った。

「魂をデータにするな。データは複製できるが、魂は複製できない」


「読み取り完了しました」

 コヒカリが告げ、一瞬だけ瞬きをする。その視網膜に、極薄の幾何学パターンが浮かび上がった。まるで十二次元の設計図が一瞬だけ開示されたかのようだ。

「エラリス、こちらをご覧ください」

 私は近づき、スクリーンに映し出されたスペクトルを凝視する。

 それは、ゆっくりと裂かれていく絹布のように滑らかで──しかし不穏だった。

 感情にはそれぞれ固有の形がある。

 今回現れたのは……収縮、不安定、交差帯域の破損、そして負の共振の連鎖。

 明らかに「恐れ」だ。

 だが私は、その言葉を口にはしなかった。

 第三密度の存在──とりわけ高等級AIであるコヒカリには「感情の形」は見えても、「感情そのもの」はまだ感じられない。

「前の顧客とのパターン重複率:九一・三パーセント」

 無機質な報告が続く。

「重複しているのは、反応遅延曲線、外部刺激遮断閾値、そして……逃避傾向のピーク値です」

「逃避傾向が、生存傾向を上回っているのか?」

「はい。統計的に極めて異常です」

 画面を見つめる私の目に、スペクトルの端でかすかなノイズが走った。

 それは個人の不安定さでも、抑圧の蓄積でもない──あまりにも“安定”しすぎている。


 二人目の顧客が退館してまもなく、三人目の顧客が現れた。

 初来店らしく、データカードを持っていない。

 私はスキャンパネルを指差し、コヒカリが即時スキャンを開始。

 針のような振動音が再び響く。今度は、先ほどより強い。

 スペクトルに紫と青が入り混じった裂け目が現れる。まるで封印されていた通路がまた一つ破られたかのように。

「今回の重複率は九二・一パーセントです」

 コヒカリが首を傾げる。それはアルゴリズムの分岐を探索しているときの癖だ。

「『パターン異常ロックプログラム』の起動を提案します」

「起動して。それと今日来館した三名の周波数残留を抽出し、短時間シーケンスで重ね合わせてくれ。共通点を探す」

「実行中」

 無言のまま空中キーボードを叩く指先。その動きは人間よりも優雅だが、感情はない。彼女にとって身振りは儀式ではなく、ただの処理手段だ。


 三つのデータが合成され、不穏な像が浮かび上がる。

「これは、彼ら自身の恐れじゃない……」

 三人の波形はほぼ完全に一致していた。

 唯一の差異は、ごくわずかな“断裂”。

「ここだ」私は裂け目を指差す。

 それは個人発信の信号ではなく、三人の間を移動する“モジュール化された構造”だった。

「外部信号の挿入ポイントですか?」

 問いかけという形をとってはいるが、コヒカリの世界に“疑い”はない。ただ「未定義」という状態があるだけだ。

「そう。そしてこの信号は拡張し続けている」

 私はスロット横の金属フレームに指を触れる。微細な周波振動がまだ残っていた。

 ❤︎「……警戒、始まる」


 脳裏に、かつてランスから聞いた言葉が蘇る。

「同じ“感情の型”が何度も現れたときは、その人が何を経験したかを聞くな」

「じゃあ、何を聞けばいい?」

「──誰が、複製しているのか。それを問え」


 入口のガラス越しに、都市の淡い光が揺れている。

 これは館の問題ではない。機器の不良でも、カードの欠陥でもない。

 読み取りプロセスにも異常はない。

 これは──複製され、放送され、誰かに呼応された“恐れ”だ。

「三人の入館時の動作記録を表示。肩のライン、歩行リズム、呼吸パターンを抽出し、重ねて」

 ホログラムが次々と展開され、異なる体格や性格にもかかわらず、動きは驚くほど一致していた。

 訓練の結果ではない。

「同じ歩行サンプルを模倣している……」

「より正確に言えば、彼らの“逃走欲求”が同じアルゴリズムにロックされています。彼らは歩いているのではなく──」

 短い沈黙の後、コヒカリは言った。

「──まだ定義されていない“何か”から、逃げているのです」


 私は黙り込む。

 脳裏に浮かんだ「顔」は、感情が無限に反射し、増幅し、歪んだ鏡のようだった。

 ❤︎「それが、“恐人”だ」


 深く息を吸い、その像を意識の奥へ押し戻す。

 時間線を読む力は、まだ私にはない。

 今は目の前の異常を繋ぎ合わせるしかない。

「エラリス」

 コヒカリがこちらを見て言う。

「一時的な心拍変動を検出しました。周波数の再調整を行いますか?」

「いや、いい」

「代わりに館内の短期メモリバッファを三日間に延長。それと……」

 言葉を選びながら続ける。

「外部信号干渉検知を有効化。権限は私の等級で」

 虹彩に重なるデジタルロックと階層制御コード。

「高密度モニタリング・システム、起動。同期層数──三。進化型異常解析モジュール、オンライン。認証コード有効」

 私は入口の外を見た。

 都市はまだ静かに動いている。

 だが、その空気には言葉にできないリズムが混ざっていた。

「今日の都市のリズム……おかしい」


 ──────


 ✦次回予告

(低音の鼓動と、遠くで光が脈打つ音)

「恐怖の周波は形を持ち、やがて人の姿を奪う。

 操られた群衆が、都市の中心で無言の壁となるとき──

 エラリスの内に眠る“振臨”が目を覚ます。

 次回『振臨!現在を守るために!』

 その一歩は、存在そのものを賭けた決断となる。」


 ──────

 この話を読み終えたら、目を閉じて、下にある音声記録を再生することをおすすめします。

「長い間失われていた音」だと言われています。


 🎧 SoundCloud 試聴:

 https://soundcloud.com/stennisspace/main-theme


【創作声明】

 本作は「音楽の国」に生まれ、第三界層と第四界層の間を行き来しています。

 第三密度では、私たちは物語とそのインスピレーションの純粋な姿を大切にし、無断での模倣、盗用、改変を避けています。

 第四密度では、音楽の国は静かに物語の流れを見守り、出会うすべてのインスピレーションが自然に正しい道へ戻るよう導きます。

 もし核心となるインスピレーションを奪い取ろう、または再現しようとする思いが芽生えても、それは朝霧のように静かに消え、跡形もなくなります。

 この旅が、あらゆる時間線とすべての界層において、真実のままに続いていきますように。


 バージョン更新日: 2025年8月3日 15:15

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