第9話
「そろそろ出番です。お二方、スタンバイお願いしまーす!」
女性スタッフに声をかけられる。
私もメイクをし、用意された衣装に身を包み、準備万端。もちろん、百合営業をする気持ちももう作ってある。
私の隣にいる海老名は私の好きな人で、私の恋人で、私が愛すべき人。
己に暗示をかける。
人を騙すにはまず己から。
「今ならまだやめるって言っても間に合いますよ?」
「間に合うもなにもやり切るから」
「声震えてますけど。イキって失敗するのが一番ダサいですからね?」
「この震え、武者震いだから。ビビってるわけじゃないから」
女性スタッフが居なくなったことをいいことに、ぐぐぐと睨み合いながらステージへと向かう。
少し前までは、別に海老名のことなんとも思っていなかった。私のことを嫌っているキャラの立つ可愛い後輩だとしか思っていなかったのに。最近は……なんだろう、反抗してやろうと、不思議と反骨心が芽生えるようになっていた。
ネットで言われるのはともかく、直接反抗的な態度を取られるとこっちもそれに対抗したくなるから……なのだろうか。
真偽は未だ不明である。まあ、なんでもいいか。
ステージに立てば、睨み合うことはもうしない。
私の隣にいるのは、私の好きな人であって、恋人であって、愛する人。海老名詠海。
可愛くて、綺麗で、スタイルもいい。ちょっと性格が悪いのが玉に瑕であるが、それもまた一つの個性と言える。
「みんなー! こんにちはー!」
ライブを進める。挨拶をして、MCを行い、どのタイミングで百合営業を挟もうか、思案する。中々タイミングが難しい。頭の中でやりたいことは山のようにあるのだが、脈絡なくやれるものじゃない。あまりに不自然な形でやったら、きっとお客さんも冷めてしまうだろう。
自然な形で。そう意識すると難しい。
さあ、どうしたものか。と、少し考えていると、沈黙が生まれてしまった。
それに気付いて、適当になにか喋ろう。と思った時だった。
「この前デートしてたなーーー」
というオタクの声がフロアから響いてくる。
なんたる偶然。沈黙というMCとしてやってはいかないことをしたのがなぜか功を奏した。
「そうそう! デートしてきたんだー。詠海ちゃんと。二人っきりで。丸一日デートしてきたんだよ?」
海老名の手を無理矢理掴んで、指を絡める。
微笑みながら、海老名を見る。
海老名は余裕綽々な表情を浮かべながら、笑みを返してきた。
手を繋ぐくらいのことじゃ、ドキッとしてくれないか。
「ね? 詠海ちゃん」
「はい。してきました」
「せっかくだから、その話少ししよっか〜」
「早く歌えって声が聞こえてこないならいいですよ?」
海老名はフロアに目をやる。
「いいぞー」「聞かせてくれー」「イチャイチャしてくれー」
オタクの野太い声があちこちからあがる。
「いいってさ」
「じゃあ少しだけしましょうか」
「うんうん、あのね。これ、本当に皆に聞いて欲しいことなんだけど。詠海ちゃんったら、朝市歩いてる時に、胸揉んできたんだよ!」
「はっ!? ちょ、狭山――琴寧さんっ!? な、なにを突然言い出して」
ジャブ程度に放った言葉であった。だがしかし、海老名は露骨に動揺をした。
狼狽して、言葉を詰まらせている。
よくわからないが効果がバツグンだったらしい。
結果オーライだ。
ここを攻めれば、海老名をギャフンと言わせられる。
「こうやって揉んだんだよ」
私の胸を海老名に触らせる。もちろん露骨に揉ませるのは、ファンも引くだろうから、あくまでソフトタッチ。軽く触らせるだけ。
「やばいよね! 詠海ちゃんったら、こんな澄ました顔して、本当はめっちゃえっちなんだよ」
「だ、もう、琴寧さん。営業妨害ですよ、営業妨害!」
「えー、なんでえ? だって事実じゃん。それとも私が嘘吐いたって言いたいの?」
「いや、それはまあ……嘘は言ってないですけど」
「でしょ?」
オタクたちは叫ぶ。
どいつもこいつも腹の底から声を出している。
なんかめっちゃ楽しそうだな。フロア。「えろー」とか「えっちー」とか「かわいいー」とか本当に盛り上がっている。
私のやり方は間違っていなかったんだ、と盛り上がりを見て安堵する。
「あとはね、詠海ちゃんが私の後頭部についてた糸くずを取ってくれたんだけどね」
海老名の両肩に手を乗せて、身体をぐいっと寄せる。胸を押し当てて、手を後ろに回し、抱き締めるような形になる。それからキスをするんじゃないかって距離まで顔を近付ける。
マイクの電源を切った海老名は私のことを思いっきり睨みつける。
「狭山さん、やり過ぎです。キスとか勢いでしないでくださいね。ファーストキス、狭山さんに捧げるとか、死んだ方がマシなので」
私の耳元で囁くように脅してきた。
そう言われると、してみてもいいかなと思ってしまう。まあ私もファーストキスになるから、しないけど。
キスをするんじゃないか、するんじゃないかって距離まで顔を近づける。
鼻の息も、吐息も、ぜんぶ、はっきりくっきりとわかるような距離まで顔をくっつけてから、キスをせずに離れる。
「こうやって、糸くず取ったんだよ」
「キスはー? キスはしたのー?」
フロアからそんな問いかけが飛んでくる。
私は唇に指を当てて、にやっと口角を上げながら答える。
「秘密」
と。
「今したー? 今したよねー!」
というような声も飛んでくる。
キスをしたか、否か。そんなのを本人に聞くのは野暮だ。
「してないよ。私たちだけのものを人に見せたりするわけないじゃん?」
完璧な匂わせをし、観客をわかせる。
珍しく顔を真っ赤にしていた海老名はマイクの電源を入れた。
「や、やりますよ! 歌いますよ! ハッピーウエディング――」
セトリ一曲目のカバー曲。曲名を途中まで言って、突然口を噤む。
「な、なんでこの流れて、この曲が一曲目なんですか!? あー、もう、めちゃくちゃじゃないですか! ど、どうにでもなれーーー」
海老名の叫びととともにイントロが流れ始めた。
意図していなかったが、すごい綺麗な入り方……だったと思う。
◆◇◆◇◆◇
今日のライブ一日は完全に私が海老名を手駒にしていた。
掌で転がすとはまさにこのこと。
我ながら完璧な百合営業だったと思う。
「馬鹿、阿呆、やりすぎです」
ライブを終えて、楽屋に戻ると、海老名は怒っていた。
「いや、言ったんじゃん。舐めんなよ、覚悟しとけよって」
「だからってライブ中に胸を触らせるアイドルがどこにいるんですか!? キスをしようとしてくるアイドルがどこにいるんですか!?」
怒り心頭である。
「ここにいるけど」
「あーそうですね、知ってますよ」
「百合営業的には完璧だったと思うよ。ファンはめっちゃ喜んでたし。海老名はすごいドキドキした顔してたし」
「……最低ですね。ほんと、最低です」
罵倒しながらも、顔を背ける。
ちらっと見える海老名の横顔はいつもの美術品のように綺麗で、凛々しさのあるものではなくて、今にも蕩けそうな甘さの感じられるものであった。瞳を潤ませ、頬どころか耳まで紅潮させており、その姿を隠そうと両手を横顔の前に持ってくる。
その反応やら仕草やら、ひっくるめて、まるで恋する乙女そのものであった。
もっとも、私は騙されない。
前回、もしかして私のこと好きになったんじゃね、と調子に乗って、そんなことないったことがあった。
だから今回もそのような展開にはならないのだろう。
私は気付いた。
海老名詠海は圧倒的初心であると。心の中に中学生のような乙女を飼っている、と。
攻撃力はあるけど、防御力は皆無であると。
「可愛いところあるよね」
海老名の髪の毛が乱れるくらいに頭を撫でてやる。
嫌った海老名がぱしんと私の手を弾く。その手に力はない。
「もう百合営業しなくていいんですよ」
「うんうん、そうだね。ここには私と海老名しかいないからね。しなくていいね」
「なんでわかってるのに、続けるんですか?」
海老名はキッと睨みながら問う。
なんで。
そんなの決まってる。
「可愛いからからかいたいだけだよ」
「……っ!? 死ね、死ね、本当に死んで! ばーかっ!」
ぽこぽこ私の頭を叩く。
私のアンチ、からかいがいがありすぎる!
◆◇◆◇◆◇
ライブを終えて帰宅する。
駅から家への道中、ずっとぶーぶー震えていたスマホを手に取る。
ツイッターのアプリを開く。案の定、海老名の裏アカが動いていた。
『舐められてる 最悪 ありえない』『ウザかった ダルすぎ なんなのまじで』『まさか いや、そんなわけないか もうわけわかんない なに どういうつもりなのあの人』
ネットの海で赴くままに嘆き続けていた。
私が好き勝手に動いていたせいで、どうやら海老名をかなり混乱させてしまったらしい。最初は楽しかったが、こうやって家に帰って、ふと冷静になると海老名の心を掻き乱しすぎてちょっと悪いことしたかもな、という気持ちになる。まあ挑発してきたのは間違いなくあっちなわけで、誰が悪いかと言われれば海老名になるのだろうが。
大人げなかった、というのもまた事実である。
「てか、やんなきゃ」
海老名がアンチをしているのは今に始まったことじゃない。
今更どう思うこともない。
それよりも、ライブ終わりのツイートをしなければ。
『本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございました! 皆さんにたくさんの歌をお届けできて良かったです!』
終演後に海老名と撮った写真ともに投稿する。
これで今日の仕事はすべて終わり。
楽しかったけれど、疲れた。
いいねとリツイート、それにリプがぽんぽこつく中、一つの引用リツイートがつく。
もちろんアンチだった。『ダンス下手くそなくせによくもそんなキラキラしたこと言えるな 考えられない ちゃんとダンス練習しろよ』といういつものツイート……って、え、ちょっと待って?
「私、見間違えた……ってわけじゃないかあ」
目を擦って、改めて見て、それでも私の視界に入るものは変わらない。
引用リツイートをしていたのは、いつものアンチアカウント『ピョンピョン』ではなくて、『海老名詠海』のアイドルアカウントであった。
――そうこれは、所謂『誤爆』……だ。
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