別館には、昼間でも霊が出るという噂があった。

 だけど、その霊は弱者の味方だという。


 霊感なんてなかった詩織は、霊なんて信じていなかった。

 恐怖心というものはほぼ無かったし、その噂を信じていたわけでもなかった。


 別館は怪しいオカルト研究部という同好会が部室として使っている他は、特に使われていない。


 空き教室が倉庫代わりに使われているため、普段から施錠することなく出入りは自由な状態だった。


 試験数日前のその日、日直だった詩織は歴史の時間に使った世界地図を戻しに、昼休みに別館の二階へ一人で来ていた。


「たしかに辛気臭いけど、なにが怖いんだか」


 詩織はビビって一緒に来るのを拒んだ日直の原田君に対して、軽蔑するようにボヤいた。


 掃除のされていない埃っぽい教室は心地よくはないが、電気をつけて中に入ると、詩織の心には別に恐怖など沸かなかった。


 三十人分の白地図が入った段ボールを空いている場所に置くと、詩織は埃っぽくなった手をパンパンッと叩いて払い、電気を消して教室を出た。


 別に、なにもないじゃない。


 ふいに仲が良かったころの沙里と夕夏が怖がっていたことを思い出すと、詩織は二人をバカにする気持ちでいっぱいになっていた。


 同時に、どうしてあの子たちに裏切られたのか、という真っ黒なモヤモヤが詩織の心の中を占めていく。


 あれ以来、二人とは怒りで口もきいていないが、二人も詩織と仲が良かったなんて嘘だったように知らん顔しているのだ。


 階段を下りている時、詩織はガタンと扉が閉まるような音を聞いた。


 誰かが自分と同じように、物を置きに来たのだろうか?


 だけど、その音は階段下から聞こえた。


 詩織は一階に着くと、その階段下へ回った。そこには、人が通るには少し小さな扉が付いていた。


「物置き?」


 詩織の家には階段下に収納がある。そんな物だろう、と思った時、扉の中から人の声がしたような気がした。


『助けて……』


 女の子の声だ。


 誰かがここに入ってしまって、扉が閉まってしまったのかもしれない。


 詩織は急いで扉に付いていた取っ手に手をかけると、拍子抜けするほど簡単に開いた。


 中は細い階段が地下に向かって伸びているが、その先は真っ暗でよく見えない。

 入口付近の壁に電気のスイッチを探すが、どこにも見つからない。


 さすがに詩織でもこの中へ入っていく気持ちにはなれなかった。


「誰か、いるの?」


『……たすけて』


「上がってこれない?」


 返事はない。誰かが何かに挟まっているのかもしれない。


「ちょっと待っていて。誰か呼んでくる」


『だまされたの……』


 ふいに泣きそうな声がして、詩織はふり向いた。


「えっ?」


『友達だと思っていたのに――だまされた!』


 その言葉を聞いた詩織の脳裏には、沙里と夕夏のニヤニヤ笑う顔が浮かんでいた。

 詩織は真っ暗で姿の見えない女の子の方へ向きなおった。


「……私もだよ」


『前から、あたしのこと嫌いだったって。みんなに人気があったから、いつか突き落としてやろうって思ったって――』


「何それ、ひどい」


 もしかして、沙里や夕夏も何かくだらない理由があったのだろうか?


 詩織は誤解があるんじゃないかと思ったりもしたが、やはりタチの悪すぎる嫌がらせだったのではないか。


 そう思うと、詩織の心には一層、怒りが沸いてくる。


『でもね、復讐はできたの』


「復讐?」


『うん。あなたも同じなら、復讐しない?』


 復讐、という言葉に、詩織の心は高揚感を覚えた。


「結城、いるのか?」


 ふいに、遠くから原田君の声が聞こえた。


「いるよ!」


 詩織は階段下の扉をバタンと閉めると、声のする方へ走った。


 本館に続いている入口から顔を覗かせている原田君は、ホッとしたような笑顔を見せた。


「な、なんだよ。ビビるじゃん。幽霊に連れて行かれたかと思うだろ」


「なにそれ。原田君って男のくせにビビりなのね」


「あっ、それ差別ってやつだぜ! 男だからとか、やめろよな」


「幽霊なんて、ただの噂でしょ」


 詩織は涼しい顔でそう言ったけれど、心の中で今の『声』は恐らくこの世のものではないだろう、と思っていた。

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