第26話 “最低限”の恐怖と悦楽

 夜の静寂を破るように、キーを叩く音が続いていた。

 ノートPCの光がコアの白い肌を照らし、その横顔は、どこか陶酔に近い静けさを帯びている。


「……知識は得ました。次は、実際に形にしましょう」


 彼女は指先をかざし、宙に魔力のウィンドウを展開する。

 ウィンドウ上には既存モンスターのリスト。

 そしてその横に、新たに設けられた分類欄――“通常群”と“誘惑群”。


「バランスが崩れては意味がありません。

 まずは、基礎を支える通常群から」




■ 通常モンスター群(迎撃・制御・演出)


スライム

 構造物に最も馴染みやすい。

 通路の床、壁、手すり。あらゆる場所に潜み、侵入者の足元を奪う。

 “殺さない罠”として有効。拘束と混乱を狙う。

「……ただ足止めするだけ。彼らは“導線の演出”です」


ゴブリン

 知能をわずかに引き上げ、集団での奇襲に特化させる。

 目的は撃破ではなく“心理的追い詰め”。

 狭い通路、暗がりからの襲撃、連携する囁き声。

「恐怖は、数よりも『どこから来るかわからない』こと」


グール

 死体の模倣、声の真似。

 “助けを求める女の声”で誘い、触れた瞬間に牙をむく。

 通路を歩くだけで不安を植え付ける存在。

「……哀れみを利用する。人は情けを捨てきれない」


ミノタウロス

 階層ボス。力の象徴。

 だが今回は単なる暴力では終わらせない。

 “強者だけを狙う”条件を設定。

「誇り高き者ほど、己の無力を知る。屈辱の味は、敗北より深い」


---


■ 裏仕様モンスター群(特別調整個体)



 粘液の分体を自在に生み出す。

 触れた対象の体温と呼吸を感知し、最も敏感な箇所へと集中して絡みつく。

 分泌液には微弱な魔力刺激が含まれており、皮膚から吸収されることで感覚を増幅させる。

 逃げようとすればするほど粘度が増し、刺激はより深く――より濃く、肉体を支配していく。


「……刺激を繰り返せば、恐怖より深く心に残ります。

 やがて自分から求めるようになる――そうなれば、このダンジョンの糧となるんです」




ゴブリン(繁殖個体)


強化された生殖本能を持つ個体群。

 争いよりも“捕らえる”ことを優先し、標的を囲い込むと互いに興奮を伝染させていく。

 それは繁殖であると同時に、群れ同士の支配関係を確かめる行為でもある。


「……本能に流される姿は、滑稽で、愛おしいですね。

 けれどその混乱と熱こそが、このダンジョンの糧になるのです」




 人間の女性を模した外見を持ち、見る者の好みに応じて微妙に姿を変える特性を持つ。

 発する香気と声音には、人の思考を鈍らせる魔力が含まれており、接触せずとも心拍数を上昇させる効果が確認されている。

 一定範囲内の探索者同士の理性を曖昧にし、協調関係を崩壊させる。

 また、視線を合わせた対象には夢を介した暗示を送り込み、無意識下に“欲望の残滓”を刻み込む。


「……甘い言葉で包み、心の温度を上げていく。

 気づけば、誰もが自分から手を伸ばすようになるんです」




リリス(上位淫魔)〔高等誘惑個体/限定出現種〕


 既存のサキュバス系統を基礎に、快感誘導と精神侵食を極限まで高めた高等個体。

 接触した対象の脳波を解析し、“最も心地よい刺激”を学習して再現する。

 唇、指先、吐息、声音――そのすべてが個体ごとに最適化され、拒絶を選べば選ぶほど深く絡みつく。

 理性を奪うのではなく、理性のまま悦ばせ、心を反転させるように設計されている。


「……望まれた分だけ与えてあげます。

 でも、止めてほしいと願う瞬間までが一番愛しいんですよ」


 体液には微弱な魔力依存性があり、数分の接触でも中毒症状を誘発する。

 満たされるほど渇望し、拒むほど惹かれる――その構造自体が罠となる。

 ごく稀に“愛”と錯覚する者もいるが、最終的にすべてを吸い尽くされる。




■ 共通仕様:人間タイプモンスター(汎用構造体)

• 基礎モデル:天海美月の外見データを解析し、人間型構造の標準テンプレートとして採用。

• 派生特性:髪型、体格、性格パターン、声質、仕草などを個体ごとにランダム変化。

• 目的:人間らしさを最大限再現することで、探索者との心理的距離を詰め、違和感を排除する。

• 副次効果:一部の個体は“特定人物の面影”を強く残す場合があり、探索者に錯覚・混乱を誘発。

• 備考:この仕様はあくまで効率的な構築の結果であり、特定人物の模倣を目的としたものではない。




 すべての項目に、彼女の指が静かに印をつけていく。


「……これでいい。防衛ではなく、“試練”として動くように」


コアの声は穏やかで、どこか楽しげだった。

そしてそっと目を伏せ、静かに息を吐いた。


「……ご主人様は、誰かを傷つけたいわけではありません。

だから――私が代わりに“学ばせて”あげます。

自分がしたことの意味を、ゆっくりと。」


コアは静かに画面を閉じた。

「……学ぶには、少し痛みが必要です。

きっと、そのほうが忘れませんから」


穏やかに微笑むその顔は、どこまでも優しい。

けれどその奥では、冷たい光がゆっくりと燃えていた。

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