第13話 夜景の向こうは、ふたりだけ

高級ホテルのスイートルーム。

 壁一面の窓から、煌びやかな夜景が広がっている。

 静音ガラスが街のざわめきを切り離し、この空間を密やかに閉じ込めていた。


 湯上がりの天海美月は、白いガウンをゆるく結び、ベッドの端に腰掛けている。

 結わえた髪から落ちる雫が、鎖骨を伝って胸元に消えた。

 ワイングラスを細い指で支え、ふっと笑みを浮かべる。


「……遅かったですね、祐真さん」

 柔らかな声。人前で見せる優等生そのままの口調。

 しかし瞳の奥は、静かに温度を上げている。


「お前って、自分が待たされるのは嫌くせに、待たせるのは平気だよな」

 タオルで髪を拭きながら、祐真は口元だけで笑った。

「ま、今日は許してやるけど」


「そう言うということは……許してくださるんですよね?」

 美月は首を傾け、視線を絡める。

「……でも、嫌いではないでしょう?」


「嫌いなわけない」

 祐真はグラスには手を伸ばさず、彼女の隣に腰を下ろす。

 わずかに開いた距離に、石鹸と甘い香りが漂った。


「祐真さん」

 名前を呼ぶ声は落ち着いているのに、温度だけが高い。

 美月はグラスをテーブルに置き、彼の肩にそっと手を添えた。

 肌に触れた瞬間、距離は一気に縮まる。


「今日は……帰さないでください」

「へぇ、珍しいな。お前からそう言うの」

「言わなくても……おわかりになりますでしょう?」


 祐真は短く笑い、ガウンの結び目に指をかける。

 結び目が解け、布が肩から滑り落ちた。

 露わになった素肌に、彼の指先がゆっくり触れる。


「冷たいな」

「……温めてください」

「言われなくても」


 指先がなぞるたび、美月の肩がわずかに揺れる。

 呼吸が深くなるのは、抗いではなく受け入れの証だった。


「……相変わらず、加減が上手ですね」

「褒めてる?」

「ええ。だから……続けてください」


 祐真は片腕で美月の腰を引き寄せ、もう片方の手で頬をなぞる。

 美月は視線を逸らさず、わずかに唇を開いた。

 触れる直前、一拍置く──その間さえも、計算のうちだ。


 唇が重なり、短く熱を交わす。

 すぐには深めない。間を楽しむように、また離れる。


「……もっと」

 美月の声は、囁きというより呼吸に近かった。

「祐真さん、わたし……今夜は、長くしてほしいです」


「注文が多いな」

「叶えてくださるでしょう?」

「……まぁな」


 再び唇が重なり、今度は間を置かない。

 背中に回された手が、ゆるやかに曲線を辿る。

 美月は瞼を閉じ、吐息だけを許す。


「……ふふ、やっぱり……上手です」

「お前もな。……他じゃこうはいかねぇ」

「他は……ありませんから」


 短いやり取りの後、言葉は熱に溶けて消えていく。

 窓の外の夜景は変わらない。

 しかし、この部屋の温度は確実に上がっていた。


 美月は、計算通りに祐真を絡め取っている。

祐真は、それを分かっていても外せない。

 欲と相性で繋がる夜──それだけで十分だった。

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