第34話

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恒亮さん!

大学受かりました!

来週から小説の続きを書き始めるので、よろしくおねがいします!

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そのメッセージは水曜の昼前にやってきた。


二月の頭、数週間ぶりの連絡だった。


返事を書きながら恒亮の口元が緩む。


(きっと今ごろお祭り騒ぎだろうな)


この年若い友人のことを考えると、かつて見た光景が蘇るようだった。あの頃の焦燥感や万能感、そして光に照らされた明るい場所で生きること。その新鮮さを、恒亮は久しぶりに思い出していた。



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合格おめでとうございます。


しばらくは入学手続きなどでお忙しいでしょうが、御本の出版について、改めて打ち合わせの場を設けさせていただきたく思います。


ほむらさんのご都合のいい日時を教えていただけますか?


(当日は合格祝いも兼ねて、とびきり美味しいお店を予約します。楽しみにしていてくださいね)


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きっとすぐに返信は来ないだろう。彼はその身に祝福を受けるので大忙しのはずだ。


そのことがこんなに嬉しいのは、親しい友人だからだろうか?


恒亮はふ、と笑ったあと、目を閉じて息を吐いた。吐いた息を吸うころには意識が切り替わって、次の仕事へと手を伸ばす。


(彼の身に幸福がありますように)


無意識の祈りは恒亮にも作用したのか、その日は羽が生えたように体が軽かった。




***




ほむらは開放感と達成感に包まれていた。


長かった受験生活がようやく終わって、小説に集中できるようになって、恒亮とも久々に会えるのだ! これを喜ばすにいられるだろうか。


「ちょっとほむら、あと二ヶ月もそんな調子で居るつもり? 勉強したこと全部頭から抜けるんじゃない」


入学手続きを終えて、ようやく落ち着いたからと、昨日は合格祝いのパーティー──といっても母子でケーキを食べただけだが──をしたのだ。その余韻のまま翌日の昼までぐうたらしていると、頭上から呆れたような声が落ちてくる。ほむらは一瞬目を開けてすぐに閉じた。


「抜けてもいーの! 受かったんだから」


言い終わらないうちに頭を叩かれた。


「よくないでしょうが。ほらほら、せめて体を動かしなさい。そんなにだらしないと一人暮らしはなしにするわよ」


ぺちぺちと肩を叩かれている間も無反応だったほむらだが、その言葉には反応せざるを得なかった。


「うぅ……はい……」


念願の一人暮らしだ。絶対にこの機を逃すわけにはいかなかった。


むく、と体を起こして、ぼさぼさの髪を手櫛で整える。当然それではどうにもならなかったので諦めて洗面所に向かった。


「明李ちゃんはまだ受験終わってないんでしょ。あんた一人でなんか予定とかないわけ?」


リビングから声が響いてくる。ほむらは顔を拭ったあと、開け放した扉に向かって返事をした。


「明後日恒亮さんと会うよ」


バタバタッと足音がして母親が現れる。


「あ……あさって?」


「うん」


「お母さん仕事だけど⁉」


あ……と声を漏らしたあと、ほむらはぎこちなく笑みを浮かべた。


「言うの忘れてた。ごめん」


対する母は手のひらを額にあて、天を仰いだ。高校生になってもまだこんなことがあるのかと途方に暮れている。


「とりあえず名刺渡しといて……次はご挨拶に行くから。日時が決まったら、絶対に二週間前に報告すること。いいね」


「はい……」






「──ってことで、これ母の名刺です。何かあったら連絡くださいって」


二日後。


ほむらは席に着いて早々、端の折れた名刺をテーブルに置いた。鞄の中から裸で出てきたそれはどこかやつれている。


「あぁ、ありがとうございます」


それを受け取った恒亮は、大事そうに両手で受け取ったあと、アルミケースに仕舞った。


「きみはまだ未成年ですからね」


「もう十八ですよ?」


「高校はまだ卒業していないでしょう。法的には、きみは四月まで未成年です」


その返答にほむらは片眉を上げた。納得していない表情だ。


「授業で教わりませんでしたか? 四月からは契約も自分でできるから気を付けなさいって」


「あー! やりました、あとなんか保険とか税金のことも」


「今はそこまで教えてくれるんですか。すごいな」


「……聞きながら思いましたけど、大人になるのってめんどくさいですね」


前世と違い、今世は決まりが細かい。それに辟易する気持ちがないではなかった。


左右ちぐはぐに歪められた顔を見て、恒亮は笑う。


「そんなに悪いものでもないですよ」


「ほんとかなあ。恒亮さんだって、学生時代のほうが楽しかったんじゃないですか?」


「うーん……学生時代はあまり記憶にないんですよね……流されるまま生きてきたので、色々やれる今が一番楽しいです」


ほむらは唇を尖らせて、ふうん、と声を漏らした。彼が知る限り大人はいつも疲れていて、やる気がなくて、いつも過去を懐かしんでばかりいたが──この人を見るとそればかりでもないのかもしれない。


「こうして好きな本も出せますし。いいこと尽くしです」


そう言って笑う恒亮の笑顔がまぶしくて、ほむらは心臓がぎゅっと痛くなった。


「お、おれも嬉しいです」


「頑張りましょうね」


「……はい」


にっこり笑ったまま、恒亮はいくつか資料を取り出した。


「今年の夏に発売する計画で進めてますから、入学まで大忙しですよ」


「へ……」


受験が終わってすっかり気の抜けたほむらは、本についても軽く考えていた。恒亮はいつも優しいし、ほむらの方も大抵のことは何となくでやり過ごせていたから。


「学業優先といっても、今はこなすべき学業もそれほど多くありませんよね? 六月までに本編を書き終えて、そのあとの二ヶ月間で数回校正して完成、という流れです。……あぁ、そんな顔をしないで。本編は三分の二書き終わってるんですから、できますよ。ね?」


あぁ、この人はこういう人だった……。ほむらは一瞬気が遠くなりかけて、はっと意識を取り戻した。


「間に合わなかったらどうなりますか?」


「色んな人が関わっていますし、みなさん予定通りに仕事をしていますから……遅れる、は基本的にないと思ってください」


ほむらの顔がみるみるうちに青くなる。この青年は素直だが危うい。これくらい脅してちょうどいいくらいだろう……、と恒亮はにらんでいた。どうやらその予想は的中したようだ。


「遅らせないためにわたしが居るんですから、大丈夫ですよ。ちなみに、いま執筆はどこまで進んでますか? 更新は八月以降一度もされてませんよね」


「ぜ、ぜんぜんかいてません……」


前世のときも思っていたが、タタユクは──恒亮は、一度こうと決めたら絶対に曲げない。何が起きようと進むし、それを当然のようにこちらにも求めてくる。昔はそれが愛しく、嬉しかったが、今はただただ恐ろしい。


「三分の二という進捗を把握してらっしゃるということは、完結までの目処がある程度ついているということですよね。これからどういう内容で進めるおつもりですか?」


ほむらはびくっと肩を振るわせた。


「ええと……あの……まだ言えません」


こればかりはどうしてもまだ、ほむらの口から告げるわけにはいかない。彼にはないのだから──前世の記憶が。


「……言えないとは?」


「終わりは、決まってます。でも言えないんです」


恒亮は片目だけでほむらを覗き込むように見つめて、ふう、と息を吐いた。


「そうですか……書くまで細かく決められないという方はいますからね。ただ、一度書いたあとに確認するとなると、修正が大変ですよ」


青年が力なく頷く。恒亮は困った顔で首を掻いた。


「では、なるべく早く執筆をお願いしますね」


萎れた花のように肩を下げるほむらを前に、恒亮はそれしか言えなかった。何をそんなに落ち込むことがあるのか……と考えて、ふと動きを止める。


(……そうか。物語の終わりは、旅の終わりだ)


仕事モードに入っていて意識になかったが、恒亮自身も旅の終わりを寂しいと思っていたのだ。


ほむらにとってこの物語が特別なのは見ていれば分かる。その終わりを書くのに時間が必要なのは当然だ……しかしそれも限度がある。


恒亮は心配と不安でない混ぜになりながらほむらを見た。大きな図体でしょぼくれる青年は頼りなく哀れだ。しかし共に歩むと決めたからには、なんとかして奮い立たせねば──。


「せっかく来たんですから、ご飯でも食べますか。ここのビーフシチューは美味しいですよ」


空になったコーヒーカップのそばにメニュー表を広げた。恒亮には馴染みのあるものだ。ほむらの目には星のようにきらめいて見えるといいのだが。


「ビーフシチュー……」


どうやら杞憂だったようだ。


途端に目を光らせるほむらに安堵して、恒亮はページの端から手を放した。

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