第21話

砂漠の国は王の帰還を祝福しなかった。


かの地の水は戻らず、また、王の肌を見た民たちは皆恐れを抱いた。


「王の病だ」


「あの王はまだ若いのに」


「だから皆、王になどなりたくないのだ」


ひそひそと囁かれる声は、王にとっても、そして客人にとっても恐ろしいものだった。


王の天幕に入った途端、王はうち崩れるように倒れ込み、顔を覆った。


「タタユクよ、どうか皆の言うことは聞かないでくれ」


王の泣きそうな声に、客人はぎゅっと自分の手を握って、答えた。


「いいえ、カシュハさま。あなたの耳に届く声を、わたくしもこの右耳で聞いています」


隠れるように羽織を被った王は、ちらと客人を覗きみた。そこには太陽のごとき光があった。


「あなたが暮らしてきた国です。あなたが守ってきた国です。それがあなたを傷つけるとき、わたくしはあなたと同じだけの傷を受けましょう。あなた独りには決して背負わせない。たとえあなたが夜空に沈んでも、民に石を投げられようとも、わたくしがここに─あなたの隣に在ると誓いましょう」


王はタタユクの柔らかい手をとった。それは苦労を知らない、木の影でひっそりと暮らしてきた者の手だった。それをはげしい太陽の下に晒し、無理矢理に強さを与えてしまったことを、王は深く後悔した。そして喜んだ。


「タタユク」


王はただ名を呼んだだけだったが、客人はそれに何が込められているか、すぐに分かった。客人も同じものを思っていたからだ。


「わたくしもあなたを愛しています。この砂漠のように広く、熱く、わたくしの手では掬えないほど。ですから何も覆い隠さないでください。不安も、痛みも、わたくしの半身で受け止めます」


王はそれを最後まで聞くまえに、耐えきれず泣き出して、その身を羽織の中に隠してしまった。


「この朽ちゆく体では、そのような光は受け取れない」


「受け取らずともよいのです。わたくしはただあなたを愛しています。あなたが朽ちても、たとえこの国が沈んでも、愛をみすみす捨てる理由にはならない。もし翼を授かったとしても、わたくしはあなたの右肩に留まるでしょう。あなたこそが、わたくしにとってもっとも肥沃な湖で、唯一の星なのです。カシュハさま」


客人は羽織のなかの王が肩を震わせながら泣いているのを、じっと見ていた


王はひとしきり泣いたあと、恨みが滲むような低い声で、客人を責め立てた。


「タタユク、私は言葉にしないようにしてきたのに、どうして今さらそんなことを言うのだ」


「あなたの星をいただくためです」


「星ならやる。そなたの星はいらない」


その言葉に客人は傷付かぬわけではなかったが、ぐっと耐えて、やさしく手を差し出した。


「いいえ。受け取っていただきます。わたくしの国では、星は互いに交換するものですから」


「砂漠の国ではそんなことはしない」


「そうですか。ですがわたくしは森林の民ですので、あなたのいう決まりは守りません」


「タタユク」


王の声はもうほとんど縋るような色に変わっていた。


「私はそなたの人生を、自分の手で握りつぶしたくないのだ。死にゆく相手に心を預けても、失うだけだ」


「あなたとともにいられぬ人生など、拾い上げる価値もありません」


王は、いつか見たのと同じくらい強くかがやく客人をみて、だんだんと力が抜けてしまった。動き出した星は、もう自分にはどうにもできないのだと悟った。


「あのときそなたを国へ帰すべきだった」


「あのときあなたと共に歩いてよかったです、カシュハさま。あの時間がなければ、わたくしはあなたへの愛に気付けなかった」


「どうしても私の星が欲しいのだな」


「はい」


「そうか」


王は涙の滲んだ、強く、大きな声を出した。それは客人のかがやきに負けぬためであり、己の諦めを取り払うためでもあった。


「ではこの国を救わねばな。そなたという次なる王をうばっておきながら、国も沈めては、私はとんでもない大罪人になってしまう」


客人はうれしくなって、羽織の下から現れた王のその頬を手で包み、煌々とかがやく瞳を王のそれに映した。


「では、わたくしは、あなたを救ってみせましょう。王の病を治す方法を必ず見つけて、この地であなたの右目となりましょう」


二人はほんとうに、それができると心から信じた。互いの愛にあたいする奇跡があるとすれば、世界を変えることなど容易いと思ったからだ。


次の日から、王と客人はこの国で一番大きな所蔵庫の書物を片っ端からひっくり返して、研究を始めた。二人は体の痛みをごまかしながら書物を開いては閉じ、この国の水脈や王の病について調べ続けた。


この国の水脈は不思議だ。湖はひとつ所にとどまらず、夜を越すと共に旅に出る。翌朝には綺麗さっぱりなくなったり、遥か彼方に移動していたりして、その正体を捕らえておくことはできない。


はるか昔にそれを研究した者は何人かいたが、湖がどうしてさまようのか、その秘密を明らかにできた者は一人もいなかった。


王の病に関しても同様で、王は必ず、夜空のような色のあざが体じゅうに広がって死ぬと決まっている。はっきりと分かっているのはそれだけだ。森林の国ではさらに曖昧で、王はみな人知れず山の奥へ行ってそのまま戻ってこないと言い伝えられていた。一縷の望みをかけて森林の国へ手紙を送ったが、森林の王はタタユクが帰ってくる気配がないことをしつこく責め立てるばかりで、王の病については自身も詳しくは知らないと一言答えるのみだった。


所蔵庫の書物に目を通す間にも砂漠の国の水はみるみるうちに枯れてゆき、この乾季を越えた先のことは全く分からなくなってしまった。水が足りるか、この状態で生き延びることができるのか、王にも不死鳥にも判断できないほどに切羽詰まっていた。


あるとき、山沿いの川に避難させた民が、子供を連れて王都へ帰ってきた。何事かと王が話を聞くと、民は生気の抜けた様子で、ぐったりと首を垂れた。


「川の水も枯れつつあり、わたしたちを受け入れられないということでした。せめて子どもだけはと頼みましたが、だめでした。おそらく他の川も同じでしょう。カシュハさま、わたしたちは一体どうすればよいのでしょうか? ここで─この地で太陽に焼かれる以外に、道はないのですか?」


王は言葉を失った。しかし羽織の重さが彼の口をこじ開ける。


「いいや、いつか必ず元に戻るはずだ。その時まで耐えてくれ」


言いながら、あまりに無責任だ、とカシュハは苦しくなった。ぼろぼろの民も、唇を噛んで訴える。


「この調子ではひと月も保たないでしょう。ここでわたしが死ぬわけにはいかないのです、カシュハさま。わたしの小さな子供たちは、わたしが死んでしまえば生きていけない。だから生きねばならないのです。たとえどんなにつらい世界でも……。どうか氷の国へ行かせてください。民の少ないあそこなら、きっとまだわたしたちを受け入れてくれるはずです」


「あの山は高すぎて、人の身では越えられぬ。しばらく耐えてくれ、それまでにどうにか水を得ると約束するから……」


「水が枯れ始めてからもうずいぶんと経ちましたが、いまだ策はないと聞きました。そのような状況で、どのようにして水を得るおつもりなのですか?」


王は困り果てて、湖も川もだめならば地下の水を掘り起こすしかないと言った。問題は、その水脈が一体どこにあるか、その一点だ。



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