やったれ!華ちゃん先生!

都 るるる

第1話 笑顔の先生!鬼の課長。

「はーい、全員後退してくださーい!」


 場違いなほど柔らかい声が、戦場に響いた。

 絶え間ない轟音、耳をつんざく悲鳴。砕けたガラス片が靴底で軋む音――街はすでに、パニックの渦中にあった。


 その混乱の中心に、一際目を引く女性の姿がある。

 装飾が施された煌めく日本刀、猫のシール。

 スーツの上にひらりと舞う、淡い桃色の羽織。その袖口には、小さな花の刺繍。

 この荒れ果てた街の風景には、あまりにも不釣り合いな存在だった。


「落ち着いてー。ゆっくり進んでー、急いでもいいことないよぉー」


 のんびりとした彼女の声は、騒音にかき消され、市民には届かない。


「もー。私の声ってそんなに小さいかなぁ……せっかくお昼休みにカフェラテでも飲みに行こうと思ってたのにぃ!」


 崩れゆく街の中で呟かれた、あまりにも平和的なその声は、現実感すら奪っていく。

 だが――。


 路地の影から、異形が現れた。

 その瞬間、彼女の表情が変わる。


 鋭い眼光。浮かぶ笑み。

 ふわりとした声の主は、一瞬で〈狂気を纏う鬼神〉と化した。


「それではみなさん、今日の授業は――実戦です」


 鞘から抜かれた刃が閃き、空が割れた。





 異形災害〈モロー〉――それは、人の理を侵す汚染であり、世界を静かに蝕む終末の兆し。

 突如各地に発生するモローの侵食により、多くの人々と都市が崩壊し、*立入禁止区域〈モローポイント〉*へと姿を変えていった。


 唯一この汚染に抗えるのは、*モローへの適応*を果たした存在――適応者。

 彼らは身体に宿るモロー因子を制御し、人類のために戦う力を持つ。世界は今、適応者にかかっている。


 だがその裏で、適応に失敗し拒絶反応を起こした者たちは

 *異形〈ノクター〉*と化す。

 理性を失い、モローの意志に染まり、かつての人間性を捨てて世界を脅かす存在――それがノクターである。


 そんな中、希望を育てるために設立されたのが――アスター高専。

 ここではモローに適応した若き力が、モローと戦いを学び、対峙する力を養っている。


 彼らを導くのは

 *対特殊ノクター四課(通称・特四”とくよん”)*の課長


 天咲華”あまさきはな”


 教員であり、守護者でもある彼女は、常に笑顔を絶やさない優しさと、刀を抜けば誰よりも鋭い強さを併せ持つ存在。


 そして今年、学園には*黄金世代*と呼ばれる異例の才能たちが集まった。モローに完全適応した生徒達は十人十色の異能を発揮する。その力は〈アストラ〉と呼ばれていた。




 春の風が、白いカーテンをふわりと揺らした。


 朝のざわめきと、新学期の空気がこだまする教室。

 笑い声、椅子を引く音、名前を呼び合う声ーー

 春の陽射しに包まれたその空間を、ガラリと戸を開ける音が切り裂いた。


「はーい、みなさん。席についてくださーい」


 長い髪を緩くまとめ、どこか眠たげな表情でカフェラテと出席簿を手に、カツカツと教壇へ向かう華。

 教壇の前に立つと、そっとカフェラテを置き、お気に入りらしい猫のシールを取り出す。それを出席簿にぺたり。


 意味があるのかは不明だが、本人は至って真剣だ。


「はーい、それでは改めて――今年から教員でーす。天咲華でーす」


(何事もなかったかのように自己紹介し出したよ...)


 一部の生徒は困惑していたが、そんなことは気にも止めず、チョークを手に取り黒板にさらさらと名前を書く。

 その柔らかな仕草に、生徒たちがざわつき始めた。


(……天咲華って、あの*特四*の?)

(マジで本人……?)


 この教室に通う者たちは彼女を知っている。

 ――天咲華――今年からモロー学、対ノクター戦術を担当する新任教員にして、世界防衛局・対特殊ノクター四課 課長。

 その名は、数々のモローポイントで噂されてきた。

(通称、ハニービー)


 生徒たちの目が、一斉に華に向けられる。

 それは好奇心と緊張、そして――有名人を前にしたような視線だった。


 そんな中、他とは違うオーラを放つ生徒が数人。


 柳真一”やなぎしんいち”

 水瀬雫”みなせしずく”

 鶴崎琳”つるさきりん”


 この三人の存在は一際目を引いた。

 まだ学生でありながら、既に普通ノクター対応課の前線に立てると噂される実力を持っている。


「ではでは!まずはみなさんの自己紹介からいきましょうか〜」


 そう言って華は、パチンと手を叩いた。


「そうですね〜...今日はお名前と、趣味とー...あと夢とか?なんでもいいですよ〜。順番はそこの列から後ろにお願いしまーす」


 華の明るい声に、生徒たちは順番に立ち上がり、それぞれの夢や趣味を語り始める。

 だが、ある三人が口を開いた瞬間、教室の空気は明らかに変わった。


「……柳真一。夢は、特殊課への配属」


 短く、低く、ただそれだけ。

 だが彼の目はまっすぐに――教壇の華を射抜いていた。


「鶴崎琳です。……以上です」


 窓から吹き込んだ春風が、琳の黒髪をふわりと揺らす。

 .....彼女の簡潔すぎる自己紹介に、ほんの数秒沈黙が流れる。


「はーいっ、水瀬雫!気軽に“みなちゃん”って呼んでね〜!」


 雫の明るい声が、張りつめていた空気を一気にほぐす。

 お通夜のようだった自己紹介タイムに、やっと光が差し込んだようだった。


「ええっとー……はいっ、みなさんありがとうございましたー!」


 華が作り笑いを浮かべる。だが目はどこか焦っていた。


「今日からみなさんは、この場所で、三年間を共に過ごす仲間です。ええー……なんというか、その、がんばっていきましょうねぇ!」


 どこかたどたどしく締める華。

 普段はノクターとの最前線で刃を振るう彼女も、学生相手の教壇では、さすがに戸惑いが隠せないようだった。

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