第17話 子供と大人達。


 稲刈りや鍛錬などがあろうが、冒険者は依頼を受けてこそのもの。

 いつも通りに朝も早くから冒険者組合に顔を出しているレンツォである。早起き三文の二つ名は伊達ではないのだ。

 依頼票と睨み合い、仕事を探している。

 そして、これは。と見つけた依頼票へ手を伸ばしかけた所で。


「おっと。悪ぃな。こいつは俺のもんだ。依頼は早い者勝ち。だよな?」


 酒臭い息を吐き掛けられた。


「その通りだし、別に構わんのだが良いのか? 結構しんどいぞ」

「あぁん!? 文句あんのかよっ!」

「いや。ないぞ。寧ろ、感心な冒険者もいたもんだとな。だが、急いで酔いは冷ました方が良い。仕事が増えるぞ」


 最近では珍しい類の、チンピラの様な冒険者であった。だが、人は見掛けに寄らないとも言う。多少酒が残っていそうであるのが、気になるものだが。

 正しい意味で、人の嫌がる事をしようとする男を、レンツォは僅かばかりの尊敬を込めて見ていた。

 それを不思議そうにする、破落戸の皮を被った推定善人だった。彼は繁々と依頼票を見た。


「てめぇっ! 騙しやがったな!」

「あ」


 急に怒り出し、掴み掛かられる。

 しかもあろう事か、依頼票を、紙の依頼票を握り潰してしまう。

 呆気にとられたレンツォは、チンピラ冒険者に胸ぐらを掴まれるという暴挙を許してしまった。

 体格にそう変わりはない。だが、体勢の不利は避けるべきものだった。

 おまけに、今日も街中だという事で背広姿である。

 弱々な生地やボタンに破損があれば、何を言われるか判ったものではなかった。


「すまない。何か俺に、無礼があったのならば詫びよう。手を、離してはくれないか?」

「んだぁ? ビビってんのかよ。坊ちゃんがよう」


 言動に、漸く不審を覚え始めたレンツォである。これってもしや、噂に聞く因縁なのではないかと。

 だが、迂闊に怒ってはいけないし、事を荒立ててはならない。ここは何処だ。

 言うまでもなく、冒険者組合シシリア州カターニア市支部である。


「おほほ。冒険者組合内での揉め事は、このカターニア支部においては御法度ですのよ。ねぇ子猫ちゃん」


 言葉遣いは淑女風であるものの、声は男のものだった。警備員がやって来ている。

 そのまま破落戸冒険者の頭を鷲掴み、持ち上げた。

 不可抗力に、レンツォの背広を手放すしかないチンピラ冒険者。アガアガという苦悶の声が漏れている。


「お疲れ様」


 労いの言葉を送れば思いっきりウィンクされたので、頭を下げておく。表情は見せられない。

 オェッとしかけていたので。


 くしゃくしゃに丸められ、落ちた依頼票を拾い上げたレンツォは、皺を伸ばしながら受付へと向かった。

 この依頼票は紙位階以上を対象とするものだ。

 大都市の依頼票素材は位階に準じる。受託可能冒険者は素材以上を対象とされていた。

 効率化や取り違え防止の為の措置だった。加えて。


 依頼票の準備費用なども依頼料に上乗せされている。高位の冒険者を対象とする依頼は高額であり、また依頼票の作成も素材に応じて高額となった。

 現代としてのこれら意味は、富の再分配にある。

 徴税権を持たない冒険者組合は、こうやって暴力装置としての力のみならず、ある意味での世界への影響力を保っていた。

 といった所で、それはあまりレンツォには関係のない話だ。

 彼が依頼票を丁寧に扱うのは、粗末に扱うと受付達が激怒するからである。

 また、近頃のカターニアでは特に、紙の依頼票を粗末に扱う事は許されぬ事となっている。


 この支部には『あの子』がいる。


 『あの子』や、若い冒険者達が受けるかもしれない依頼を粗略に扱いなどすれば、受付達は元より、他の冒険者達までもが黙ってはいなかった。

 皆して、未来や可能性に夢見ているのである。若者達が自分の先を歩んでゆく事を期待していた。

 冒険者の街カターニアの住人達は、面倒臭いが愛情深く、お節介達ばかりでもあった。

 ちなみに、この皺くちゃになってしまった依頼票。

 借馬屋ブッテラからのものだった。依頼内容は馬房の掃除である。清掃の労働依頼であった。

 だが、ただの掃除と侮るなかれ。

 馬房には馬用の厠なぞ、用意されてはいない。そんな物、馬達も理解しないからである。

 つまり、糞尿が垂れ流しであった。あと、食べカスとか寝藁とかも。

 簡単な掃除などは従業員だってするのだが、誰だって、糞尿の始末など薦んでしたいものではない。だからこそ、一縷の望みにかけて依頼にも出されていた。

 請け負って貰えるならば、嫌な仕事が一つ減る。

 大抵は自分達でやる事となるのだが、内容が人気でないので、高報酬な依頼であった。

 元は農家であったレンツォだ。そういった事にも慣れている。

 高報酬な癖に人気もないので、遠慮をする必要もない。まさに、願ったり叶ったりの依頼であった。


 それに、困った事に『あの子』は人気がなくて、大変そうな依頼こそを好んで請け負おうとする。

 

「お困りだから、依頼を出してらっしゃるのでしょう? 私、頑張っちゃいますよ!」


 丁度。こんな風にして。幼女は朝も早くから、元気いっぱいであった。


「アンナちゃんは身の程を弁えないといけませんね。貴女のお手手で、チリ箱を持てますか? 大きな箒で掃いたり、熊手を引けますか?」

狂化バーサークを使えば、余裕です! それに、雑巾がけなら得意です!」

「街路は雑巾掛けをしませんわ。それに、街中での不必要な術式行使は禁止されております。市民の規範たる冒険者が、その様な愚行を?」


 こうして大抵はアリアにより弾かれるのだが、通ってしまう事もあった。

 今回はぐぬぬと唸っている。反論が思いつかないらしい。所詮は子供であった。


「はい。アンナちゃんは失格ね。清掃の労働依頼。私が受けるから。……あー。困ったなー。郵便配達と時間が被っちゃってるよー。大切なお手紙が届かないと、困っちゃう人が出ちゃうなー。どーしよー」


 彼女の背中越しから依頼票を掴み上げ、どう聴いても棒読みな台詞を宣うのはユウさん。

 受付であるアリア嬢と目配せ合い、頷きあっている。


「それじゃ、私が郵便配達に一走りしてきますよ! その後は、お掃除のお手伝いです。依頼はダメでも、お手伝いなら大丈夫ですよね!」


 ふんすと気合いを入れる女の子であった。周囲の者達は、皆して微笑みあっている。

 組合支部は結構広い。先程の依頼票掲示板の周囲にあまり人影がなかったのも、お人好しで過保護な冒険者達が、ここに集っている為だ。

 この現象は幼女行列とも呼ばれていた。

 ここ暫くのこの子は、オリヴェートリオ街道沿いにある牧場から指名依頼を受けていて、決まった曜日の朝一で、組合へ顔を出す。

 毎朝依頼を漁っているレンツォと出会す事も、よくある事だった。だが、ユウさんを含む行列参加者達が常連ばかりであるのは問題だろう。

 大丈夫なのか? カターニアの冒険者達。手枷を嵌められはしないか? そうレンツォが考えるのも、無理からぬ事だった。


 そんな感じで眺めていると、幼女は此方に気付いた様だった。綺麗な淑女の礼。パタローニと厚服でするものではないが、様にはなっている。

 ニコニコと微笑む彼女だが、レンツォの手に持つ依頼票に視線を送ると、ひどく羨ましそうな表情を見せた。中身から、馬房の清掃だと認めたのであろう。

 身体能力はクソ雑魚の癖に、目は良い。

 動物絡みの依頼と知って、羨んでいるのだろうとはすぐに察せた。

 彼女に動物絡みの依頼は殆ど受けられない。

 アレルギー持ちであるからだ。多少なりとも接触の必要がある場合、必ずアリア嬢が止める。

 委員長の様に術力への過敏反応であったなら、恐らくこの子は生きてはいられない。その位、貧弱な肉体をしていた。

 それが良い事なのか悪い事なのかも判らなくなり、ついレンツォの心も謎に締め付けられる。


「幼女ウォッチなんかしてると、手枷を嵌められますからね。気を付けてくださいね」

「あんま、ユウさん達みたいなド変態とは一緒にして欲しくないのだが」

「またまたー。幼女は良いものですよ。この間、同志も検挙されてガチ泣きしてましたからね。あれも乙なものでした。レンツォさんもお気を付けください」


 肘で突かれる。ユウさんだった。

 余計なお世話であった。そして、その事件は知っている。速報で流れていたからだ。

 幼児鑑賞罪で検挙されたのは、シシリアでは六名しか登録されていない上級登録者であった。

 凡人のレンツォとしては、実力者にはもっとマトモな理由で世を騒がせて欲しいものである。

 しかし、それは難しいだろうという諦めもあった。

 どうにも強者程、性格的に癖が強い。

 平凡の自覚のある男には、そうでなくて良かったという残念さと、そうでなくて残念だという羨望が同居している。

 確かに、どちらもある気持ちなのだ。

 大幅に、良かった方が優勢ではあるが。


「いってらっしゃーい。気を付けるんだよ」


 駆ける幼女を見送るユウさん。

 幼女の脚は鈍足だ。おまけに駆けながら話せる程の体力もなかった。

 それでも此方に確りと意識を向け、僅かな目礼。礼儀正しい子であった。

 その僅かに色味の異なる二つの紫瞳はキラキラと輝いている。


 それは昔の自分と一緒で、懐かしいものだった。

 幼き日のレンツォが、『兵』である彼へ向けていたものと同じもの。

 最近ともなると、あの子にも懐かれて、慕われてしまっている。あの爆弾姉妹に習って、あの子にまで『先輩』呼ばわりだ。


 朝一に良く会う事を指摘され、何故なのです? と問われた時に、一番、やり甲斐のある依頼を受けたいからさ。などと答えてからである。

 感銘を受けでもしたのだろう。実にチョロかった。だが、それも。

 擽ったくはあるが、嬉しくもあった。

 あの子も自分と、自分達と同じ様に、出来る事をやり、その範囲を少しずつでも広げて生きたいと、望んでくれるだろうか。そう願ってしまう。


「レンツォさん。流石に幼女眺めながらニヤニヤするのは引きますよ。もしかして、師匠の同類ですか?」


 スンとして、憮然とするレンツォであった。

 行列に押し込まれた師匠からの殺気も突き刺ささっている。ちょっと勘弁して貰いたい。

 行列常連であるセッシ師は危険物扱いで、最近は女冒険者達に押し込められている。ド変態であるので仕方がない。

 そんな彼と一緒にされるのは、本当に勘弁して貰いたいものだった。


「とても、心外なのだが。男というだけでそう見るのは、偏見だと思うぞ」

「奴らは皆、野獣ですからね。男性は男性同士で、愛を育むべきなのです。それが自然というものです」

「いや、俺も男だぞ」


 なんだ。そのどこぞで聞いた様な危険思想は。呆れるレンツォには二の句が継げない。


「まぁ。私はノマカプにも寛容ですので、ちゃんとイラーリアちゃんを捕まえておくのなら見逃しますよ」

「いや。別に」

「またまたー」


 何故。こうも癖の強い者達ばかりであるのか理解が出来ない。セッシ師の殺気も膨れ上がっている。

 数少ない女弟子を取られたとでも思っているのだろうか。本当にしょうもないオッサンである。

 恩師といえども、評価は別なのだ。

 レンツォは、それなりに出来る男でありたいと思っている。


「んじゃ、馬小屋の清掃依頼を受けてくる。ユウさんも、精々手枷を嵌められないようにな。泣かれるぞ」


 彼女もまた、多くの人達に慕われていた。

 何事にも一生懸命で、それでいて視野が狭くならず、周囲への気配りが出来ている。

 それはまだ、レンツォが身に付けられていないものだった。

 こういった大人達がやれる事をやり、それを広げ、続けてゆくからこそ平穏が齎されているのだと信じられるものだ。

 だからまぁ。信じて、幸運を祈っておく事とする。


 本当に、しょうもなくどうしようもない連中であるが、そんなバカ達だからこそ、快い。

 これからの文字通りの汚れ仕事だって、やってやるぞという気になった。

 誰かが喜び、安心するのなら力を尽くしたい。そう思える自分は、とても幸運なのだなと思えた。


「いってらっしゃいませ。レンツォ様。どうか、ご武運を」


 アリア嬢でない受付から送り出される。

 あの娘も大概に過保護であった。

 心配で、着いて行ってしまっている。初めてのお使いでもあるまいし、仕事しろ組合職員。

 そう心中で罵ったレンツォは、組合前道路にて簀巻きされ、涙を流す冒険者を見ている。

 見覚えのある男だ。先程に、因縁を付けられかけた男であった。ボコボコにもなっている。

 仕方がない。組合警備員は冒険者達の諍いを収める為に、それなりの実力者が当てられる。しかも、志願制であった。

 日当程度しか出ないのに、とてもヤル気に満ちている彼等の、その下限は黄金位階。

 本当に、仕方がない事なのだ。

 ここはシシリア。都市カターニア。謂わばギルドマスターのお膝元。いと尊き撲殺聖女ちゃんの居城であるのだから。

 半端冒険者なぞ、お行儀良くしていなくては、生き残れないものである。


 ——どうか。これ以上の面倒事にだけは、巻き込まれません様に。


 そう祈りを捧げる冒険者であった。

 イラーリアと参加をする夜会も十三日後となる。

 三日前には現地入りしている必要があった。準備の為だ。

 その前には天日干しを終えた米を袋詰めし、蔵へと仕舞わなければならない。正直、忙しい。

 この作業。依頼でない為に収入はない。飯こそ出るが、タダ働きである。

 だからこそ、その前に。僅かにでも収入を。

 潤いある生活の為にそう願う、働く男であった。




 そんなこんなで毎日を過ごしていれば、夜会も翌々日となる。レンツォはアルトベリ男爵一行と共に、パレルモへと来ていた。

 一家でなく一行だ。

 貴族には公式の場において、定められた人数を侍従として随行させる事が求められる。

 最下位である男爵家の場合では、貴族籍一人につき最低一名の侍従とされていた。

 爵位が上がれば必要人数は増えるが、下限はあれど特に上限はない。

 一家は三名なので、最低三名。レンツォを含めてあとは二人。基本的に同性が望ましいとされている。世話係を兼ねるので。

 そして、今回におけるその人員とは。


「それじゃ、私はドレスを受け取ってくるからさ。お留守番をお願いね」

「お任せください。行ってらっしゃいまし。ユウお姉様」

「とっても素敵な騎士様ですねー。アンナちゃん、頼りにしてますよー」


 元々予定していたレンツォは当然として、もう一人はユウさん。これは男爵一家とも親しいので、妥当な人選だろう。

 加えて『432』の三馬鹿は、雑用兼護衛として来ている。

 というか正確に言えば、あの三人は別件で荷運びの依頼を受けており、せっかくだからと言って合流する事となった。

 荷運びとは、夜会参加者の衣装などである。

 貴族や富裕層などには荷物を現地へ送る習慣があった。荷物を抱えての旅行など大変なので。

 特に人数の不安はないのだが、護衛などは何人いても良いとされている。

 更に、こういった催しにおいては申告をすれば、僅かながらも主催から人数分の金が出る。小遣い程度のものだが、彼らにとっても美味しい副収入となった。


「イラーリアお姉様のお髪。こんなに綺麗なのに、長さが足りないのが残念です」

「あらー。お上手ねー。田んぼの為ですからねー。貴族としてはイマイチかもしれませんけど、短い髪は農家の誇りでございましてよー」

「ですねっ! 美味しいお米に、スズメさんもほっぺた落ちてますもの!」

 

 スズメの髪飾りを撫で撫でしている小さな手の事は今は置いておこう。イラーリアは米作りの為に髪を短くしていた。

 貴族女性の習慣というか美意識として、髪は長ければ長い程に美しいとされている。

 今でもその影響からか、夜会などをも含む貴族としての公式の場において、長い髪を結い上げる事が正装となっていた。

 ところが、現代においては女性の社会進出が進んだせいか、煩わしい長髪を嫌がる者も多かった。

 その為に、こういった場合では鬘を被る事となる。

 それ自体は別に気にする事ではない。イラーリアも長かった頃の髪を使って、鬘の用意をしていた。

 既に十年ものではあるものの、手入れを欠かさずしている為か、非常に状態も良い。


「はい。綺麗に纏まりましたよ。えーと……」

「はい。ここよ。アンナちゃんが被せてあげて」

「良いのですか?」

「その方が、この子も喜ぶわ。ね?」

「お願いしますよー。被らせてくださいなー」


 問題は、イラーリアへ鬘を被せる為にその髪を纏め上げ、フンスとヤル気を見せている幼女がいる事だ。


「素敵です。やっぱり綺麗な方は、どんな髪型でも似合っちゃいますね!」

「あらあら。お上手ですねー」


 その行為自体に問題があるではない。イラーリアも奥方も、実に楽しそうにしている。今は衣装合わせの最中だ。下地造りはこれで終わりといった所だろう。

 特に手伝う事もない為に、レンツォは部屋の隅でボケっとしている。男爵と二人してだ。こういう場において、彼等に出来る事などなかった。

 手で鬘を整えて、スズメの髪飾りを差し直した幼女は「いかがですかお嬢様」と言い、「良くってよ」の言葉を受け取ると、ぴょこんと椅子から降りた。

 此方を向いてやって来る。そして背中へ回られた。


「もうっ! レンツォお兄様先輩! 見てるんなら、ちゃんとお姉様へお言葉を贈ってくださいな! 気の利かないお兄様ですね!」


 そして腿裏をグイグイと押される。キャンキャン吠える言葉によれば、どうやら行けという事らしい。


「あー。長いのも似合うな。素敵だよ。イラーリア」

「あらー。お上手ですのねー。でもちょっと、棒じゃありません?」

「俺は、普段のお前が好きだからな。こういうのも、ちょっとした刺激にゃなるけどよ」

「……」


 あらあら。と微笑む奥方と、パチンと手を叩き合い喜ぶ幼女がいる。何故ここに、この子がいるのか。

 何故。まだ主と国家の間の愛し子である子供が、家を離れたパレルモまで来ているのか。

 なんでも御守りらしかった。

 レンツォは依頼を出しに向かった、安息日である昨日の事を思い出している。




「女性冒険者の方ですか。うーん。明日からで五日間となりますと、正直……」

「ですよねー」


 忙しさにかまけ、準備を怠っていた事を恥じねばならない。何故、自分はユウさんへ頼んだ時に、もう一人を確保しておかなかったのかと。

 そう悔いているレンツォだった。

 大勢いる女冒険者。誰か暇な者もいるだろうと甘く見ていたツケが、ここに来て回ってきていた。

 以前から依頼していた事であるが、今回の女冒険者一名への指定依頼。難航していた。


「パーティならば、なんとかなりますけど。今空いているのは四名からですね」

「予算の問題がなぁ」


 アルトベリ男爵家は高名な貧乏男爵だった。米造りで高名は訳でなく、貧乏で高名なのだ。そしてそれは事実であった。


「最低賃金で平日だと、無茶だもんなぁ……」


 嘆息するレンツォは、男爵家の代理人として依頼を出している。

 女冒険者一名を、夜会の侍従として求めるものだ。年齢は問わない。

 報酬は依頼内容並。通常の日当仕事と変わらぬものであるのだが、募集人数と、様々な意味での条件が良くなかった。

 それに気付かずに出発当日を迎えた事は、痛恨の過ちである。

 予定では今夜に出発し、朝にはパレルモへと着く。

 それが当日となっても必要な人員が揃っていないのは、大問題であった。


「ごめんなさい」

「ユウさんは悪くありませんよー。レンツォさんの怠慢ですのでー」


 切羽詰まっているので、今日はイラーリアとユウさんにも同行して貰っていた。

 実質的な依頼人と共同受託者である。彼女達の人柄で、なんとかならないだろうかという打算もあった。


「もう少しご予算に融通が付けば、空いている者もない訳ではありませんけど」

「流石に、それは苦しい。錬鉄が限界だ。可能なら、紙か若木が望ましい」


 今回の労働依頼である、パレルモの夜会へ随行する侍女としての労働募集。ここまで難航するとは思っていなかった。

 温い仕事であるし、夜会などは女の娯楽である。暇な誰かが適当に請け負ってくれる。そう見ていたレンツォの失策であった。

 今になって考えてみれば、当然の話なのだ。

 この労働依頼。拘束時間が長かった。

 夜会の三日前に現地入りする必要があるので、移動時間も含めれば、正味で言えば五日から六日の拘束日数となる。

 特に難しい仕事ではないのに関わらず、紙や若木が請け負わないのは学園があるからだ。そしてこの季節。学園での定期考査にぶつかる。

 学生を離れてからも長いので、つい失念していたものだった。

 これがあるから、ユウさんも知人などを誘えない。ナイトクラブの冒険者達の大半は学園生である。そうでない者も居なくはないが、位階が高過ぎたり、子持ちであったりもした。

 意外と都合の付く者は少ない。暇な中級冒険者はいるが、その場合では報酬が問題となる。見合った報酬や待遇を用意する必要があった。

 予算の都合上、大盤振る舞いとはいかないものだ。こちらは貧乏男爵家なのだから。そして、ソロでの依頼受託は安全の担保が難しい。

 労働依頼に応じる者がいない理由も同じであった。


「報酬を上乗せしても、キツイでしょうかー?」

「バディであってもキツイぞ。予算がな」


 今回の夜会への準備という一連の仕事には、アルトベリの騎士。というよりも家の者。家人としての意味もあった。主家を支え、切り盛り出来ぬ騎士なぞ侮りの対象となる。

 こういった仕事も卒なく熟さねば、主へ恥を掻かせる事にもなるという理屈だ。

 社会の発展に伴い職の分業化、専業化が進んだといえど、やはり古来より尊ばれてきたのは文武両道だ。

 何も全てを完璧に。までとは言わぬが、何事も卒なく熟す器用さは求められるものだった。

 特に、物語などにも語られる騎士などには。


「言っては何だが、此方としても必要なのは員数合わせだ。問題を起こす様では論外だが、腕などはあまり問わん。なんとかならんか?」


 無茶な要求だというのは承知の上である。

 だが、本音であった。優秀な受付程、依頼内容と受託者の相性を気にするものだ。

 州内屈指の大貴族アルティエリ。当主であるネーピ侯爵アレッサンドロは同時に、王国内務省の三人しかいない次官の一人でもある。

 例え臨時の侍従であったって、それなりの行儀作法や礼節が身に付いていなければ、問題があった。


「行き先が、行き先ですしね。組合としても安易な人選をする訳には参りません。報酬の見直しを提案いたしますわ。時間は有限にございます。良く、ご相談して下さいまし」


 いつの世も、金の問題は頭の痛いものである。

 イラーリアは、多少ならば大丈夫でしょう。などと暢気に構えているが、男爵の暴挙を知っているレンツォには頷けない話であった。

 無念な事に、その理由をここで語る訳にはいかない。どう説得したものかと頭を悩ませていれば——。


「アンナ。本日の牛乳配達による巡礼を終え、無事、冒険者組合へと戻りました。皆様、ただいまです!」

「キマシタワー」


 いつぞやも聴いた、元気の良いご挨拶。ここ最近は毎週の様に聴いている。

 受付の——。彼女はアリア嬢ではない。

 あの方もアルティエリのご令嬢。夜会へ出席する為に、組合職員としては休暇を取っていた。なので、この見習い以上の窓口担当は代理であった。


「猫が剥がれているぞ。エルヴェンタ」

「それは失礼を。おかえりなさい。アンナちゃん」

「いや、こっちは相談中なんだが……」


 そして、この受付をしているのは黄衣の巫女。風の踊り手、エルヴェンタ。

 あの騒ぎの後にカターニアへと留まって、冒険者組合へ受付として就職していた。ソフィアとジュリアと共に生活している。

 最年少冒険者は今日もまた女性達に囲まれて、キャイキャイしていた。イラーリアもユウさんも、その輪の中に加わっている。

 俺の手伝いは飽きたのか。そう思ったレンツォだったが、傍へ退く。


「ほら、お嬢。達成依頼をしちまいな。俺達は一旦退くからよ」

「あら旦那。お優しい事でして。まぁ、気付いてないけどさ」

「いや、頭悩ませたって結論は出ないしな。効率の問題だ。それに、二人も役に立たねぇし……」


 皆に構い倒されているので、聴こえてなかったのだろう。幼女はイラーリア達に代わり代わり抱っこをされたり、お話をねだられたりで忙しい。

 まぁ、いいか。どこも人で溢れているが、どこから苦情が入るものでもない。

 そう嘆息し、壁へと寄りかかる。エルヴェンタも嬉しそうにして幼女を眺めていた。実に平和な安息日のお昼であった。

 実はこの時間。紙以上を対象とする受付利用者は少ない。

 まず平日では、日中に紙の連中が組合へやって来る事が珍しいからだ。学園があるし、勤めていても就業中である為である。

 利用者が少ないので、開いているのも一つであった。朝夕にだけ、他の受付も紙以上。つまりは全ての位階を対象とした受付として開かれている。

 十五、あるいは十八。珍しいところでは十二で冒険者登録をする新米冒険者達は、学生であった。

 兼業でいて、本業があるので日中にやって来る事自体がほぼない。では、今日の様な安息日ではどうかと言えば、人気の依頼は一日仕事にあった。

 朝に出て、夕に帰る。

 時間効率や難易度などは別として、短時間の労働よりも実入りがよかった。

 複数の時間制労働を上手に捌くのには計画性なども必要とされるし、気持ちの切り替えだって簡単ではない。

 第一。そういった場合でも、移動時間の短縮の為には一つ終えたからといって、態々組合へ報告になどは来ないものなのだ。

 という事で、受付は基本的に空いている。

 それまで冒険者になどなる必要もなかった成人が仕事を求める事もあるのだが、そう多くもなかった。

 

「はい! 私、やります! お花屋さんもお休みですし!」

「ちょっと相談しますねー。待っていてくださいねー」


 元気なお声。いつも通りにヤル気に満ちている。何か良い依頼でも見つけたのだろうと、レンツォも一安心だ。喉の渇きを覚えたので、水を飲みに行く。

 無償であるのがありがたい。聖水は美味かった。

 人は、人同士との関わりの中で成長してゆく。

 それを識る『先輩』としては、何やら事情があって社交の場でもある学園へ通えていない少女に対し、心配もあるのだ。

 構い倒す女性達も、似た様な心配をしているのかもしれなかった。


 そして戻って来たレンツォは、エルヴェンタに手招きされる。群れをなす女性達の中にはイラーリア。その腕に抱え上げられているのは小さな淑女。


「どうかしたのか?」

「よかったね。旦那の依頼にも、受託希望者が来てくれたよ。位階は紙。ソロだから、条件もばっちりだ」

「ほう。それは助かった。どなたか知らぬが、かたじけない」


 女性達の中に、受けてくれた者がいるのだろう。頭を下げて、礼代わりとしておいた。

 それにしても、紙もいるのか。ぱっと見では、皆成人女性であった。この年代で紙であるのは珍しい。もしかしたら、移住者なのかもしれないと考えて、顔付きを引き締める。

 ならば、見せてやるのは片手片足を地に着ける騎士礼だ。ここ数ヶ月練習した成果を披露してやろう。

 どうせやらなきゃならない事だ。人に見られる事は良い修練となるだろう。


「ありがとうございます。どなたかは判りませぬが、ご厚意のお陰で、我が主への忠義。無事果たせる事でしょう。アルトベリの騎士、レンツォ=ガッリ。皆様のご期待に応えるべく、精進して参ります」


 しっかり、おやり。頑張りなよ。などという声援を頂いている。

 こういった口上。格好付けで面映くはあるが、女性達が好みとしている。恋愛物やら騎士道物の放送番組は、根強い人気を誇ってた。

 女性達の支持には無視できない力がある。集めて損なものではない。騎士道とはそういうものだった。


「これはご丁寧にどうも。騎士様。私、シシリアがカターニアにて冒険者として認められたアンナと申します。赤金の英雄と同行し、汚れなき真珠、イラーリアお姉様の叙爵の一助となれる事、誇りと致します」


 抱かれていたイラーリアに降ろされて、トンと軽い音で立った幼女による淑女の礼。薄らと湛える微笑。

 丁寧で、所作も綺麗なご挨拶。よく躾けられているな。この子が同行してくれるのか。

 世話焼きなイラーリアなら、問題なさそうだ。ユウさんもいるしな。そうレンツォは考えた。

 

「はい?」


 考えに、漏れてしまう声。裏返っていた。


「この子が、今回の依頼を請け負ってくれた冒険者よ。まだ紙だけど、新米は卒業しているよ。旦那、よろしくお願いね」

「トトが馬車を用意してくれるそうです。マリアも、いってらっしゃい。ですって! ……なのですよね? エルヴェンタお姉様?」

「そうよ。可愛い子には旅をさせろっても言うもの。楽しんできなさい。いってらっしゃいな」

「はい! 目的地はパレルモ。アリアお姉様達のお家です。イラーリアお姉様の晴れ舞台です。行きますよ。レンツォお兄様先輩!」


 エルヴェンタが明るく言えば、イラーリアとユウさんに挟まれて、手を繋いだまま宣う幼女であった。


 何故だか、カターニアの冒険者には癖の強い者が多い。平凡なレンツォには、これが判らない。

 幼女が何故。危険——でもないが、数日家を空ける事となる依頼に同行するのかが判らない。

 主と国家の間の愛し子に、触れるべかざる。


「イラーリアちゃんとアンナちゃんには、傷一つ付けさせないよ。頼りにしててね」


 そんな、掟の様なものもあるのに。まったく気にした風もなく、軽々と大楯を掲げたユウさんが言えば。


「頼りにしていますわー。ユウさま。ですけれど、貴女が手傷を負われるのは、私が手傷を負うのと同じ事なのですよー。アンナちゃんもですからねー」


 釘を刺し、コロコロと笑うイラーリア。頷いて、フンスとしているユウさんと、小さな子供。

 二人は受け入れてしまっている。

 だが、常識的な大人としては、苦言を呈さねばならない。


「いや。待ってくれ。流石に何かあった時に責任が取れん。悪いが、アンナお嬢。お家で大人しくしていて貰う事は出来んか。無論、報酬は払う。それで、どうにか……」

「心配しなくて良いよ。旦那。冒険者は自己責任。『英雄』のお仕事には、背中を見せる事も含まれるかんね。若い子に見せてやんなよ。それに、御守りみたいなもんさね」

 

 暴風の様な圧力に抗えない。エルヴェンタは猛烈に推してくる。組合職員としての仕事なので当然だ。

 だが、まだ間に合う。依頼人はレンツォなのだ。労働依頼とは対等なもので、労使両者の納得がなければならない。当たり前の常識で、一般的な話だ。


「若いってか、愛し子じゃねぇか。やだよ。俺だって余計な面倒はごめんなんだよ」

「あら。随分と連れない事を仰るのですね。ご安心ください。まだ駆け出しとはいえ、私も一人の冒険者。自己責任を背負う者なのでしてよ?」


 そう。冒険者は自己責任。だからこそ、社会では基本的人権が保障され、労働資格を持つ。納税の義務も負うし、十二歳未満の子供とは異なり、刑法の対象ともなった。選挙権だってある。確か、十二以上には。

 つまり、扱いの上では社会人。一人前。


「アンナちゃんは、シシリアの玄関口とも呼ばれるパレルモへは、行った事ありますかー? カターニアとは趣きが異なりますけど、とっても活気があって、色々な州からも文物が入ってきますのよー」


 ブンブンと首を振る子供。行った事はないらしい。

 さっきから、イラーリアはアンナ嬢を随分と猫っ可愛がりしている。

 レンツォの識る限り、イラーリアはあまり組合へ顔を出す事がない。彼女も若木であるが、副業としての労働をするのでなければ、用もないからだ。

 年末の税申告時には協力を求めて組合に顔を出す事があるものの、そう頻繁ではなかった。

 毎日組合へと通うレンツォやユウの様に出会う事もない筈なのだが——。


「今朝の牛乳も、美味しかったですよー」

「ワンちゃん印の牛乳は、絶品でございまからね」




 繋がってしまう。

 春先くらいからか? 安息日になると、イラーリアから牛乳を届けられる事があった。

 安息日になると田んぼからの帰り道で、牛乳配達の子と街まで同行する事があるからだそうだった。

 その縁で牛乳を定期購入をしていて、レンツォにも届けられる。牛と犬の印字のされた牛乳瓶は、お裾分けであるらしい。

 イラーリアも、真っ当な意味での子供好きである。というよりも、子供好きな女性は結構多い。子持ちでも、子なしでも。

 ここで問題となるのが、彼女の様に子がなくて、身辺にもいない女性達だった。子供は好きだが、身近にない。そういった女性も結構いるものなのだ。

 ところが、都市カターニアの様な大都市では治安が行き届いており、民度も高い。

 良識として子供達へは『触れるべかざる』とされており、親戚縁者でもなければ身近に接せられる存在ではなかった。

 治安は良いので、街中に溢れる子供達。大人として見守るも、危険もないので接触の機会はない。

 親しき関係でもなければ、声掛けなど憚られる事である。そうなる機会もなかった。

 風潮として、遠巻きに見守る事こそが、大人達の嗜みとなっている。

 一部淑女達の母性本能というか、欲求は燻った。

 触れ合える距離にいながらも、接触が憚られるのである。

 少し前まではカターニアにも孤児達がいて、十二で冒険者登録をしている。彼女達も女性達には大人気であった。可愛らしいし、健気な子供達だったので。

 時が経てば子供達も成長してゆくものだ。

 それは眩しく嬉しい事でもあるのだが、そうなると、まるっきり子供扱いなど出来やしない。成長の邪魔となるし、非礼ともなるからだ。

 再び燻ってゆく女性達。

 そこに現れたのが、七つで冒険者登録を果たした女の子。夢中にならぬ筈もない。冒険者組合内での幼女大人気の背景には、そういった経緯があった。


 レンツォに何故、そんな知識が備わっているのかなど自明な事である。何かの折にイラーリアやユウに、そんなご高説を聴かされていたからだ。

 その時に彼は漫然と考えたものだ。約束が果たされたならば、子沢山の家にしてやろうと。

 これは何も、愛情による純粋な想いからのものではない。寧ろ少し濁ったものだった。

 最近の彼は、というか、夏前辺りからなので、半年にも近いか。女を抱いていない。それまでは、理容室の半分程の頻度で通っていたにも関わらず。

 彼の専らの恋人は右手であった。漠然とした想いはどちらかというと、性欲からきている。

 

 大人とはいえ、女も男も、実にしょうもないものなのだ。それでも変わらず、世界は回った。

 何はともあれ。

 

「私も行った事ないからさ。楽しみだね。皆でお出掛けもいっぱいしようね」


 世の中ってものは、結構多数決により成り立つ事も多いのだ。だがレンツォは、それでも理不尽には抗いたい。


「いやさ。女性三人、いや奥方を含めると四人か。俺の力じゃ、もしも。があった時に、護り切れるとは言えんよ。——騎士として、冒険者として。果たせぬ責任は背負えん」


 弱気からのものなのだが、取って付けた様な、騎士として、以下の下りはキリリと言えた。本当に取って付けたものなので、当然であった。

 格好を付けて言ってはいるが、荷が重いという、ただの白旗である。

 ユウならば、ある程度の自衛であれば可能であろう。だが、イラーリアと奥方には護身以上の嗜みはない。

 男爵もいるが、お歳を召して腰をいわしている彼に負担を強いるのも酷だろう。軽く見ても二人。相手によっては四人を守らなくてはならない。

 それだって、最低限のものだった。

 以前の様に、明確な悪意を持って襲われれば抗い難いし、護り抜ける保障はない。

 投げ出すつもりはなくとも、負担や危険は減らすに越した事はなかった。

 最低限、自衛程度が可能な一人を。費用的には紙や若木を求めたとはいえ、あわよくば錬鉄が望ましかった。

 そこに、足手纏い。守護らなければならない子供である。レンツォに易々と頷ける筈もなかった。


「だからさ。御守りなんだよ。この子、強化ストレングセンの上位術式の狂化バーサークを身に付けているし、治癒キュアも結構な強度で扱えるよ。探知サーチなんかも上手だし、ぶっちゃけて言うなら、こんな姿形なりでも術師としてなら、旦那よりも上手さ」

「いや。だが……」

 

 エルヴェンタの褒め言葉へドヤ顔を晒してくるメスガキは無視する。

 世界へ干渉し、頑なな現実を踏破する力、術式。

 その起動鍵であり、燃料ともされる体内術力は筋肉に宿るとされている。

 故に、術師としての論理的力量は若い男が最優であるし、野生生物などの方が強大となる。

 一概に言い切れる理論ではないが、傾向としてはそう的外れでもない。こんな、小柄で華奢な幼女では。

 そう考えていると。イラーリアが此方へ向いた。

 何故だか、片手で自分のお腹を撫で摩っている。


「レンツォさんー。確か、大家族がご希望なのでしたよねー」


 女達の視線が結び合う。幻想が視えた。イラーリアだけでなく、皆して片手でお腹を撫で摩り始める。

 ユウも、エルヴェンタも、周囲の女冒険者達も。

 幼女だけは両手が繋がれたままなので、上を向いたり、自分のお臍の辺りを見たりで忙しない。

 何故だか男達の中にも腹を摩る者がいた。

 下してでもいるのだろうか。汚いからどっか行け。


「五年後からですとー。レンツォさんだって、衰えているかもしれませんからねー。若さってー、いつまでも許されるものでは、ありませんからー」


 何? 何を言っている。狼狽え始めるレンツォ。


「それでー。今、四人ぽっちを守れなくてー、どうやってカルチョチームが作れるくらいの子供達を守れるのでしょうかー? 気合いを入れなさい。男でしょ」


 取って付けた様な最後だけは、間延びしていない。

 それはともかくとして。

 え? お腹摩ってるのは、そういう事? 他の奴らも? と、混乱するレンツォだ。

 当然、覚えてはない。あってたまるか。恋人は右手だけである。

 彼は肉体関係もない相手の事を恋人とは呼ばない。

 現在の恋人は、右手だけであった。浮気良くない。

 ではなくて、何故。イラーリアは己の密かな願望を知っているのだ。という混乱だ。

 言った覚えはない。ヤッた覚えもない。知っている筈もない。言葉にした事など、ない筈だった。

 だが、レンツォは混乱中だ。責任の取り方など判らぬが、なんとかしなくては。という焦燥感。


「はいはい。皆も、悪ノリはその辺でお止し」


 明るいエルヴェンタの声だった。判ってた。揶揄われていたんだ。知ってたよ。畜生。レンツォは心の中で、そう涙した。ハーレムは男の浪漫であった。


「あはー。最低でも、ウンデクテッド十一人ですかー。情熱的で、驚いてしまいましたわー。まぁ、寝言でしたのですけどねー。レンツォさんは、お酒にあまり強くないのですから、程々にしてくださいね」


 どうやら、寝言でそんな事を言った様だった。冗談きついが、そんな事もあるのだろう。現実逃避の為にレンツォは、もう若くないからな。酒は程々に楽しもう。そう誓うのだった。

 イラーリアはクスクスと含み笑いをしている。冗談とも本気とも取れぬ態度だ。

 だが、レンツォにも判る事がある。というよりも、自分勝手な願望だ。


 こいつには、こいつの前だけでは。

 意地を貫き通す、格好の良い男を見せたいと、ありたいと。そんな男の我儘だ。


「私、すっごくお役に立ちますよっ!」

「あー。うん。そうなんだろうなー。よろしくなー」


 上の空であった。エルヴェンタにもそう言われていたし、なんとなく頷いてしまっていた。


 そしてノリと勢いに流されて、一行はパレルモまで有耶無耶の内にやって来ていた。


 なんとなくの貴族社会へのイメージや、イラーリアの叙爵や騎士としての就任への不安から、ナーバスにでもなっていたのだろう。色々と、考え過ぎていた。

 パレルモは、現州行政府であり、州議会代表でもあるアルティエリ・ネーピ侯爵のお膝元。

 そうそう物騒な騒ぎなどは起こらない。

 あったって、面子に賭けて彼等がなんとかするだろう。ならば、自分は目の間の事だけを。

 少しだけ荷が重いとは感じるが、これでも赤金だ。入り口に立つ、『英雄』の端くれなのだ。

 油断なく、傲りなく。やれる事をやる。それはいつも通りで変わらない。

 ユウさんが持って来る筈のドレスを待つイラーリアであるが、幼女ははしゃぎ疲れたのか、おねむな様である。彼女は幼子を抱き上げた。


 だが、こうやって子供を腕に抱き、優しく撫でる彼女を見ると思うのだ。早くコイツにゃ自分の子を、抱かせてやりたいな。と。

 退屈に、欠伸を噛み殺しながらも思う男であった。

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