初恋は春風のように

りんごかん

第1章

第1話

 その恋は、まさに春風のように突然舞い込んだ。暖かく穏やかな風は、私の心を強かに舞い上がらせた。初めての感覚ではあったが確かな確信がある。これが、私の初恋なのだと。わたしは今、目の前の少女に一目惚れしたのだと。


​───────​───────​──


 生徒会室の窓からは穏やかな日の光が差し込んでいる。時は春真っ盛り。校庭の桜は散り始め、新入生の門出を祝うが如く壮麗な花吹雪を見せている。そんな桜を横目にあちこちでは部活の勧誘会が行われていた。運動部、文化部問わず賑やかに列をなしてチラシやらを配っている。


「アタシたちは何もしなくてもいいわけ?」


 窓の外を眺めていると、ふと問いかけられる。泉つつじ、私の中学からの友人であり、よきライバル。成績優秀、容姿端麗。凛とした顔だち、その長身に見合った黒く伸びる艶やかなストレートヘアは誰もが羨むこと間違いなし。まさに完璧ではあるが、少しぶっきらぼうなのが玉に瑕であろうか。


「何もって、チラシは書いて貼ったじゃないの。」

「あれで、本気で人が集まるとでも思ってるの?」


 相変わらず辛辣である。もう少し手心があってもいいじゃないか。


「一緒に学園を作りましょう~だなんて、アタシたち別にそんな大層なことしてないじゃない。」


 まぁたしかに、生徒会の役割は主に雑用だ。便利屋、と呼んだ方が正確であろう。名目上は生徒会となっているが部活の枠組み内の組織となっているためこうした勧誘をおこなっている。実際生徒会らしい活動もやってはいるため、どんな活動なのかと聞かれても漠然とした答えしか持ち合わせていないのである。仕方がないじゃないか。


「でも、入学式での望月会長の挨拶、とってもかっこよかったですし、誰か入ってくれますって。」


 そっとフォローを入れる天使。慈愛に満ちた声で万人を癒す救世主、姫宮ぼたん。私やつつじより一学年年下ながら聖母のような包容力を持つ生徒会の姫。


「そんなことより、ほら。お茶にしましょう?」


 女神はふわりと巻いた髪をたなびかせ、お盆に可愛らしいティーカップとお茶うけを乗せて運んできてくれたようだ。生徒会には定期的に、雑用の駄賃として先生からの差し入れが入る。そのためこうして生徒会室ではよくお茶会が開かれるのだ。


「そうやってぼたんが甘やかすから、一向に良くならないのよ。」

「泉さんは厳しすぎなんですよう。」


 特に何も言い返せないのか、つつじはやや不服そうな顔で紅茶をすすっている。あの狂犬を一言で手なずけるとは、流石母と言わざるを得ない。


「ところで望月会長、今日は何か予定があるんです?」

「今日は……特にないかな。新入生の体験入部期間だからやらないってわけにもいかなくてね。とはいえ特に何か頼まれごとがあるわけじゃないし。」

「じゃあ今日はゆっくりおしゃべりできるんですね!よかった~。」


 ふふん、と鼻を鳴らし、彼女は笑顔でお菓子をほおばっている。和気あいあい。これほど日常的な一幕はないだろうと感じる穏やかなひと時であった。他愛ない会話を弾ませ、今日も幕を下ろすはずだった。

 こんこんと戸が叩かれる。先生であろうか。折角の暇であったのに……。


「はーい、どうぞー。」


 しかし戸が開き聞こえてきた声は思っていた声とはまるで違っていた。


「失礼します!私、見学に来ました!犬崎すみれっていいます!お願いします!」


 突如、開いていた窓から風が舞い込んできた、かのように思えた。か、かわいい。まるで小型犬のような愛くるしさの彼女に思考も視線も支配される。無論、ほかに可愛らしいものは沢山見てきたつもりではあるが、なにかこう、決定的な違いがあった。心がときめき、浮ついた気分になる。ずっと目に収めていたい。そばに寄りたい。支配欲に似た感情が巻き起こる。理由もなく、前例もなく湧き上がるこの感情の奔流は……。あぁ、これが世に聞く一目惚れなのだと。

 もとより、一目惚れを知らなかったわけではない。というか人よりは知っていたほうであろう。つつじ曰く私は巷で”高嶺のあやめさん”などと呼ばれているらしい。そして私との仲を取り持ってほしいと度々つつじに声がかかってくるため辟易しているとも。中学では男女問わず告白されることがしばしばあった。女子高に通いだした今もなお、声をかけられることがある。そして総じてこう言われていた。

「一目惚れでした」

 と。正直、私にはその感覚がわからなかった。見ず知らずの人間に恋心など抱くのだろうか、甚だ疑問であった。実際私自身にそういった経験がないからこそ、より不思議に感じていた。しかし今この瞬間、その疑問は解消された。好きになるのに理由など存在しないのだ。突然巻き起こり、思考を支配し、やり場のない衝動を駆り立てるこの感情こそ、一目惚れであると。そう知覚した。

 しかし、同時に知っている。一目惚れは、自らだけの感情であると。私がこれまで幾度となく一目惚れをされてきたからこそだ。そして、その恋が一度だって実らなかったこと。私が、彼ら彼女らを好きになったことは一度だってなかった。決して嫌いになったわけではなかったが、何か特別な感情を抱くこともまたなかった。とはいえ気まずくはなるものだ。当然だろう。告白した人とそれを振った人。その関係は永遠に残り続ける。それすなはち、あぁ。どうしようもなく理解してしまった。せざるを得なかった。この一目惚れは不毛であると。そう思ってしまった。


「望月会長、大丈夫ですか?」

「あ、あぁ。大丈夫だよ。少し、ぼーっとしていただけだよ。」

「もう、無理しないでくださいね。それより、ほら。待望の新入生がお見えですよ。」


 そうだった。新入生が来て挨拶してくれていたのだった。一旦余計な感情はしまって、よし。


「私がこの生徒会の会長を努めている望月。よろしくね。そしてこっちの三年生が副会長の泉つつじ。そして最後に姫宮ぼたん。えーっと、役職は……書記、だっけ?」

「はい!一応、ですけどね。わたし、書記らしいことしたことないですし。」


 ふふふ、と笑ってごまかしつつ助け舟を出してくれる。流石だね。


「そのくらい覚えておきなさいよ、まったく。で、はい。アタシが副会長の泉つつじ。よろしく。」

「はい!皆さんよろしくお願いします!」


 溌剌としたいい声で新入生は返事をする。名前は確か、犬崎すみれといったか。うん名前もかわいい。じゃなくって!


「えーっと、その。せっかく来てもらったのに申し訳ないんだけど、今日は特にやることなくってね。このまま雑談するだけったんだけども……いい?」

「いえ、全然!むしろそっちのほうが楽しそうですよ!」


 いい子だな。じゃなくって!空いている席に案内するといつに間にか姫宮さんがいつの間にかティーカップを用意してくれていた。一方つつじはというと、ぼーっと姫宮さんを見つめていた。愛いやつめ。


「ところで、なんだけどさ。呼び方、犬崎さんで大丈夫?」

「はい!上の名前でも下の名前でも、好きな方で呼んでもらって大丈夫ですよ!」

「じゃあさ、犬崎さん……。えーっと、その……。」


 言葉がうまく出てこない。テンプレート通りの会話ならスムーズにできたが、アドリブパートに入ってからはこれこの通り。しまったはずの想いが顔を出して邪魔をする。趣味は?好きな食べ物は?行ってみたい旅行先は?もっともっと知りたい、話したい、近づきたい。そんな我儘な欲望がふつふつと湧き上がる。でも、そんな身勝手な思いをぶつけるのは野暮だろう。だが、とはいえ、じゃあ一体何を話せばよいのだろうか。普段は何を話していただろうか。

 すみれさんはきょとんとした顔でこちらを見つめている。かわいい。じゃなくて!


「その、さ。犬崎さんはなんで生徒会はいろうと思ってくれたの?」


 天から賜った無難な話題。我ながら見事である。


「あっ、そ、そうですね~。えーっと。なんとなく、うん。なんとなく楽しそうだったから、ですかね?」


 あれ、あまり無難ではなかったのかな。反省。


「まさか、本当にあのポスター見て来たのかしら?」

「ポ、ポスター?ごめんなさい、知らないですね……。」

「まぁそうよね。だってさ、あやめ。」


 なんてことを聞くんだつつじという奴は。それにニマニマとこっちを見ないでほしい。あれでも精いっぱい書いたんだぞう!とはいえ、これも彼女なりの手だすけだったのかもしれない。いや、単にからかいたかっただけなのかもしれない。真相はともかく、変な空気に済んだことにまずは安堵するべきだろう。


「じゃあアタシから質問なんだけどさ~。」


 今度はあやめが場を取り仕切ってくれるようだ。正直、すごく助かる。聞き手に回ればこの胸の高鳴りも少しは落ち着くだろう。うん、きっとそう。あ、お菓子ほおばってる犬崎さんかわいいな。へー、犬崎さん中学ではバトミントンやってたんだ。確かに少し引き締まってるのかも?同じ部活の友達とこの高校来たんだ、しかも同じクラスなんだ、いいなー。私もつつじとは同じ中学校だったけど3年間クラスは違ったからなー……。うん、ダメだ。犬崎さんの一挙手一投足、一言一句に至るまで鮮明に記憶に刻まれていく。そのどれもが色鮮やかで、かわいくて、愛おしくて。この初めての気持ちは、どうやっても消えなくて。

 ならいっそ、うん、そうだ。そうしよう。この想いは決して誰にも打ち明けぬ、ましてや本人にはなおさら。そうすればきっと、気まずくならずに済むのだから。この思いをずっと私の胸にとどめておけば万事解決なのだと、そう信じた。


 日も沈みだすころになり、いよいよ下校時刻が近づいてきた。


「じゃあ、そろそろお開きにしようか。」


 お茶会の片付けも終わり、別れの時が近づく。そう、これでお別れ。


「今日はありがとうございました!とっても楽しかったです!」

「こちらこそ、犬崎さんに楽しんでもらえたようでなによりだよ。」

「ところでなんですけど、望月先輩。」

「どうしたの?」


 何か言いそびれたことでもあっただろうか。一考するが特に思い当たる節がない。


「あの、次っていつやるかとか、決まってたりしますか?」


 あぁ、そうだった。犬崎さんは単に遊びに来ただけではなかった。部活見学としてここに来ていたのだった。つまり、これは今生の別れなどではなく。


「つ、次は三日後、だった、よね?」

「ええ。三日後よ。」

「じゃあ、三日後。楽しみにしてますね!」


 三日、たった三日。ほんのそれだけのお別れ。つまりそれは。今後、少なくとも一年はこの気持ちを隠し通さなくてはならないということ。それは少しつらいかもしれないけれども、だとしても。だとしても、犬崎さんとの仲が気まずくなるくらいなら、私は何としてでも隠し通して見せるとも。

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