56.ステージへ

「ごめん、正直に言う。昨日の……リハーサルの記憶がない」


 午前九時。製菓部。


 集まった三人の前で、氷月が苦しそうに発言した。

 間違っても「知っている」なんて返答はできない。二重人格を知らない氷月にとって、記憶障害はなんの前触れもないトラブルなのだから。


「大丈夫っす律先輩。昨日は完璧に踊れてたんで! むしろ今日がリハと思って全力ぶつけるだけっすよ!」

「大丈夫です律さん! なんのために猛練習したと思ってるんですか、たとえ記憶を全て失っていても、今のあなたなら最高の歌唱ができます!」

「そう……そうだね」


 少しだけ張り詰めた雰囲気が和らいだが、やはり緊張感は抜けない。

 製菓部お手製のワッフルを購入していく客の手には『文化祭限定アイドルユニットライブ!【13:00〜】』と書かれた包み紙。人気商品だけに宣伝効果は高いだろう。


「まあごちゃごちゃ言っても仕方ない。抜けたのが昨日だけでよかったよ。そういうことにしておこう。りっくん、演劇部の方は大丈夫?」

「あぁ……うん。そっちもリハーサルの記憶はないけど練習はずっとしてきたから」

「じゃあ大丈夫。万全だ。できることはやった」


 久野が拳で軽く氷月の胸を小突く。


「……そうだね。あとはやるだけか」


 文化祭は既に始まってしまっている。


「ワッフルうま⁉︎」

「そうでしょう? お姉さまがたの自信作ですよ」

「ほら。後輩どもなんかもうお菓子食ってる」

「佑宇お前製菓部の先輩のことお姉さまって呼んでんの?」

「はい。僕以外女子生徒の部活ですし」

「それ健全な部活か?」

「? はい」


 ワッフルを焼いている調理場の方から「天熾く〜ん♡」と女子たちが顔を出して手を振った。ニコニコ顔で手を振りかえす天熾。


「みなさん分け隔てなく仲良くしてくださいますよ」

「逆オタサーの姫ってわけか」

「佑宇の小動物感が一役買ってアイドル化してる……」

「そうだ。製菓部の方々。ペンライトはいかがでしょうか。天熾のメンカラは蛍光イエロー。この色ね。蛍光イエローが搭載されたペンライトって中々ないから。今なら文芸部特製公式ペンラが1000円ポッキリ」

「部長さん商売しないでください」

「いつの間に作ったのそれしぃちゃん」

「3本買います! 部長! 部長!」

「身内にオタクがいる……」


 無事公式ペンライトを手に入れた三上がピカピカと光を灯す。オレンジ、ピンク、蛍光イエローに青、そして水色。


「あれ。5色なんだ」

「うん。機器の性能上5色搭載しなきゃいけなくてね。……水色は適当に選んだ」

「うおお! これでライブを120%楽しめるぜ!」

「先輩演者側ですよ?」

「というか文芸部、二人とも出てきてて大丈夫なの?」

「大丈夫。無人販売所方式で売ってるから」

「信用で成り立ってるなぁ」

「大丈夫ですか? 『学食』のカード盗まれたりしませんか?」

「防犯カメラはある」

「バッチリ対策してやがる!」

「うん。だから好き勝手回ってても大丈夫だよ。じゃあ次は三上たちのクラス見に行こうか」



・・・



 楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 すれ違った知り合いからたまに「ステージ見にいくよ」と言われつつ、四人はおのおの店番などをこなし。時刻はあっという間に午後1時前。


「次ステージを使う『どんろっと!』です」

「部長部長、なんすかそのチーム名」

「こうしておくと収まりがいいんだよ。大人の事情」

「しぃちゃんも別に大人じゃないでしょ」

「全員揃いましたね」


 実行委員に通された講堂横の物置兼楽屋。

 コソコソと着替える影が4人分。


「先輩のお衣装やっぱりかっこいいですね」

「佑宇くんやっぱりリボンつけて正解だった、かわいい……」

「部長のロングパーカー最高すぎる天才」

「りっくん、さすがというか。サマになってるね」


 三上が手持ちのペンライトを3色に光らせ振る。「先輩それ置いて行ってくださいね」と冷静な忠告が飛んだ。


「『どんろっと!』さん、ステージどうぞ〜!」


 楽屋の外から実行委員の声。

 四人が顔を見合わせ頷く。


「いくぞ」

「うす!」

「全力を尽くすよ」

「楽しみましょうね!」


 上がった舞台袖で、音響と照明を担当する彼が親指を立てた。三上がヒラリと手を振る。

 ステージを隠している厚い幕。

 それぞれの足がオレンジ色のテープを踏む。

 厚い布の向こう側から聞こえるざわめき。熱気。集められた客がそれなりに入っているのだろう。

 やってやろう、というアイコンタクト。


「それではプログラムNo.6、ライブステージ、『どんろっと!』です」


 アナウンスが響く。

 幕が上がる。

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