第3話 推し救済ルート
エミリアを抱きしめながら、俺は決意した。
彼女を守る。
絶対に、二度と失わせはしない。
そのためには、まず状況の確認が必要だ。
俺はエミリアの肩に顔を埋めたまま、ぼそっと尋ねた。
「なあ、今日って……何年の何月何日だ?」
「え、えっと、今日は聖暦1372年、第5月の8日、でひゅ」
「1372年、第5月、8日……!?」
語尾が可愛いのは一旦置いておいて、その日付は覚えている。
通常のプレイヤーならいざ知らず、エミリア推しのこの俺が忘れるわけがない。
設定資料集を隅々まで読み漁り、単純にゲームをプレイするだけでは得られない情報までしっかりと記憶している。
エミリアが言った今日の日付、それはこの村に
魔物の中でも突然変異した異常個体を
種族名とはまた別に固有名が与えられた、懸賞金付きの強敵だ。
というのがこの世界における銘魔物という存在の解説だが、プレイヤーからすると実に都合の良い金策要素だった。
それはもう、『銘魔物討伐禁止』が縛りプレイの基本事項として挙げられるほどに。
轟猪グルザガンも銘魔物の一体で、オークの変異個体だ。
原作では今夜、この村にグルザガンが襲来し、一夜のうちに村人を皆殺しにしたという記録が残されている。
「やっばいな、もうあんまり時間がない」
俺が自室に戻って絵を描き始めようとしたのが午後に入ってすぐ。
ということは、早ければあと4、5時間くらいでグルザガンが来てしまう。
腕の中の感触に名残惜しさを感じつつも、俺は意を決して立ち上がる。
「ふぇ、ヴァルド様……?」
エミリアがびっくりしてぴょこんと跳ねる。
かわいい。
けどそれどころじゃないんだ、迎え撃つ準備をしないと。
急いで扉に向かって、ノブに手をかける。
「俺、ちょっと用事あるから!」
「ヴァルド様!? もう少し安静になさらないと……それにもうすぐ夕飯ですよ!」
「悪い! 今日の夕飯いらな――」
今、何て言った?
「ゆ、夕飯……? もう夕飯の時間なの?」
「え、ええ。そろそろ日暮れ時かと」
「…………」
「……?」
「俺、どれくらい気絶してた……?」
「4、5時間くらいでしょうか」
はい詰んだ。
もう来るじゃん。
多分すぐそこまで来てるよグルザガン。
「ヴァルド様、先ほどから少し様子が変です。やはり、まだ体調がすぐれないのでは?」
エミリアが不安そうな顔でこちらを見ている。
涙の名残でその瞳はうるんでいる。
そして俺の胸に顔を押し付けてたせいで、髪がちょっと乱れてる。
やばい、可愛い。
今すぐ心臓が止まりそうなくらい可愛い。
そうだ、諦めている暇はない。
俺はこの子を守らなければ。
――ドォォォオオオオオン
突如として響いた、大地全体を震わせるような轟音。
「きゃあああっ!?」
あああああ悲鳴かわいいねええええええ。
いや違う、そうじゃない。
来たんだ、ヤツが。
「ごめん! 行ってくる!」
「い、行ってくる……? どこへですか!?」
「ちょっと村、救ってくる!」
「えええっ!?」
俺はエミリアの叫びを背に、勢いよく部屋を飛び出した。
------
屋敷の裏手にある小さな丘の上から見下ろした村は、もう日常ではなかった。
夕焼けに染まる家々の間を、黒い塊がのしのしと歩いている。
轟く足音、上がる悲鳴、地を這うような低音の唸り声。
異常に発達した筋肉に、鉄板を打ちつけたような皮膚。
手には、樽ほどの太さの棍棒。
そして猪のように突き出た下顎と、全身から立ち上る蒸気のような瘴気。
銘魔物・轟猪グルザガンが、もう村に入っていた。
村を一望できるこの場所は、原作でプレイヤーが村を訪れた際に『焼け跡ムービー』が再生される地点である。
あの時見た死んだ村に、今まさにこの村はなろうとしている。
「間に合わなかったか……!」
見ると、村の入り口で剣を構えている男たちがいる。
武装した俺の家族だ。
父と、隣には兄のディラン。
領民を守るという貴族としての役目を果たすため、前線に躍り出たのだ。
けれど、動きが甘く剣も軽い。
顔には怯えが出ていた。
「でぇいっ!」
ディランが叫んで突っ込むが、グルザガンの棍棒が横から薙ぎ払う。
彼は吹き飛び、地面に転がった。
起き上がれない。
「こ、この化け物めっ!」
父の剣が肩口に食い込むが、傷一つつかない。
次の瞬間、グルザガンの拳がめり込み、父は空を舞った。
「確かにとんでもない化け物だが……
そう。
この村を襲ったグルザガンは、瀕死の状態から驚異的なパワーアップを遂げたヴァルドの手によって討伐される。
いわゆる『覚醒イベント』ってやつだ。
それまで何をしても、何を経ても無感動だったヴァルドだが、この出来事によって『死闘の楽しさ』に目覚める。
つまり彼は産まれながらのサイコパスというか、戦闘狂だったんだろう。
ここからヴァルドは強敵との死闘を求めて世界を放浪し、プレイヤーの前に幾度となく立ちはだかり、最終的には裏ボスに……となるが、その話は今はいい。
「今回は、こっちから迎え撃ってやるよ」
俺は腰の鞘から、短剣を抜く。
戦闘には向かない、お飾りの貴族剣。
だがそれで十分だ。
動かないただの人間を切るのだから。
原作では描かれない、ただの裏設定であるこの『ヴァルド覚醒イベント』。
そのトリガーが、ヴァルドが瀕死状態になることだったとしたら。
人為的にそれを引き起こすことも可能なのではないだろうか。
もちろん確証はなく、失敗すれば犬死にだ。
だが、今の俺にそんなことはもはやどうでも良かった。
前世で何をどうしても救えなかった推しの命。
それをもしかしたら、今度は救えるかもしれない。
たとえ99%不可能でも、1%でも可能性があるのなら、俺はそれに賭けたい。
覚悟を、決める。
「――うおおおおおお!!」
叫びながら、俺は刃を腹に突き立てた。
「っが……あ……っ!」
痛みが爆発する。
内臓が焼けるような激痛。
膝が崩れ、血が噴き出す。
視界がぐらりと揺れる。
でも、これでいい。
これで。
「っ……く、る、か……?」
意識が遠のいていく。
本当に死んでしまうのか。
そう思った。
だが、その瞬間。
――ドクン。
心臓が、大きく脈打った。
熱が全身に駆け巡る。
血が逆流するような感覚。
皮膚の下に、雷のような刺激が迸る。
「う、おお……っ!」
立ち上がる。
崩れていたはずの腹部に痛みはない。
見れば、傷が塞がっていた。
血も止まっている。
「ステータス!」
――【ステータス】――
STR(筋力):B - 78
AGI(敏捷):B - 82
MAG(魔力):B - 76
VIT(耐久):B - 80
DEX(器用):B - 79
CHR(魅力):B - 75
▼使用可能魔法
・
・
・
「おおっ……完っ璧に覚醒してる! これならいけるぞ!」
見下ろすと、グルザガンが再び棍棒を振り上げているところだった。
その先にいるのは、栗色の三つ編みにメイド服。
きょろきょろと不安げにあたりを見渡す少女。
「なっ……!? エミリア!?」
間違いない。
俺を探して飛び出してきたんだ。
「やらせるかよッ!」
俺は叫んで、足に力を込めた。
「
黒紫の雷が脚を包み、背に推進力が炸裂する。
ドン!
空気を切り裂き、宙を滑るように加速。
紫電の勢いを利用した、まるで時間を超越するような高速移動。
それが雷刻破。
グルザガンの振り下ろした棍棒がエミリアを捉える――その寸前に、俺は割り込んだ。
「うおおおおおおおっ!」
蹴り上げた右足が、棍棒を弾く。
衝撃波が周囲に広がり、グルザガンが一歩よろけた。
「ヴァルド様……!?」
あああああ可愛い声だねえええええええ。
いや違う、そうじゃない。集中しろ。
そのまま、俺は空へ跳んだ。
「
雷刃を右手に作り出し、斜めに斬り下ろす。
ズドン!
爆音。
漆黒の雷光が、グルザガンの胴を貫いた。
「……グ、オ……」
呻くように揺れ、巨体が崩れ落ちる。
土煙が舞い、静寂が訪れる。
そして、どこかから拍手が湧いた。
「領主さまの所のヴァルド坊ちゃんか……!?」
「バカ! 坊ちゃんじゃない、ヴァルド『様』だよ!」
「命の恩人だー!」
「すごい……こんなに強かったなんて……」
賞賛の声が次第に広がる。
その熱に押されるように、人々が次々と頭を下げていく。
俺はそれを遮るように手を軽く上げた。
「皆さん、ご無事で何よりです。あとは休んでください。もう、脅威は去りましたので」
その一言が合図になったのか、村中に安堵と歓声が弾けた。
そこへ、荒い足音が響く。
「ヴァルド!? お、お前、一体何を……!」
父と兄が、泥にまみれた顔をゆがめて立っていた。
「わ、私たちでも勝てなかった相手に、どうやって――」
俺が何かを言うより先に、周囲からささやき声が漏れる。
「あ、領主様たちだ」
「さっき、あっという間にやられちゃってたよねえ」
「しかも、あれだけヴァルド様のこと出来損ない扱いしてたくせにな」
「よく顔出せるな。恥ずかしくないのかな……」
その声は、小さくとも確実に届いていたらしい。
父の顔がひくりと引きつる。
兄の口元がわななき、何か言いかけては、やめた。
俺はその様子を黙って見下ろし、ゆっくりと微笑んだ。
「ずいぶんお疲れのようですね。お身体、大丈夫ですか?」
丁寧で、優しげな声音になるよう努める。
だが、その裏にあるものは伝わったのだろう。
二人はぐっと押し黙ったまま、俺から目を逸らした。
そしてその間を、ひとりの少女が駆けてくる――。
「――ヴァルド様っ……!」
「エミリア! 無事だったか!」
「無事だったかって……もうっ、それは私のセリフですっ」
俺は駆け寄り、彼女を抱きしめた。
細い肩が震えている。
彼女の体のぬくもりが、生きていることを実感させる。
「エミリア……本当に、生きててよかった」
彼女の頬に、涙がこぼれた。
俺の涙だった。
感情が高ぶって、気づけば、俺は唇を重ねていた。
「……っ!?」
ぷしゅう……と湯気が立ちそうなほど、彼女の顔が真っ赤になる。
そのまま崩れ落ち、ふにゃふにゃと座り込む。
「え……ちゅ、ちゅう……?」
エミリアは両手で口元を覆った。
これは反則。
そんな反応、聞いてない。
頬を真っ赤にして、あたふたして、視線が泳いで、声が裏返って。
推しが俺のキスで、こんなに動揺してくれるなんて。
胸の奥がぶわっと熱くなる。
可愛すぎて、もうどうしたらいいかわからない。
脳が蕩けそうだった。
「――家族の皆さん!」
俺はたまらずくるりと振り返り、胸を張って言った。
「俺、エミリアと結婚しますので!」
「えっ!?」
「はあああああ!?」
「ま、待ちなさい。お前には聞きたいことが――」
呆然とする家族の前で、俺はフリーズしてしまった彼女の手を握る。
これはただの婚約じゃない。
この手で彼女の未来ごと奪い返すと決めた、『推し救済ルート』の始まりだ。
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あとがき
読者の皆様。
まずはここまで、冒頭部分をお読みくださり、本当にありがとうございます。
少し(?)クセのある主人公ですが、今後もこんな調子とテンションのまま、推し救済ルートを切り開いていきます。
そんな彼を、少しでも「応援したい」と思ってくださりましたら。
ぜひ、ブックマークや評価(★)をいただけると嬉しいです。
何卒、よろしくお願いいたします。
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