ジューン・ブライドは許さない

Jem

第1話 新郎のお仕事とプロポーズ

 南国の夕暮れは、人を熱らせる。空は、夕陽の名残のオレンジからピンク、宵の紺へと染め変わり、むせ返るような甘い花の香りが地上を漂う。小国の街は歓楽街もささやかなもので、外国人向けのホテルが数軒に、レストランと土産物屋とスーパーマーケットの入った小さなショッピング・モール。後は、酒場と売春宿が少々。“ドゥルセ・ノーチェ“は、その中で最大の収容人数を誇る酒場だ。50席もある。

 今夜も、“甘い夜”を指す名の通り、“ドゥルセ・ノーチェ”のホールは賑わっていた。主な客は、外国人観光客と軍人とマフィアの男達。彼らに同伴する娼婦。地元の普通の男達に、この酒場で遊ぶほどの金はない。

 ステージのバンドが陽気なチャチャのリズムを奏で出すと、人々がホールの真ん中に出てきて踊り出した。

 呑んで、くだを巻いているのは軍服の男達。どこも宮仕えはストレスが溜まるものらしい。今日来たオオサワ商事が手土産をくれなかったものだから将軍様はご機嫌斜めだとか、いやいや奥様と喧嘩だろうとか。

 その喧騒の中、カウンターの隅で1人、読書に耽る男がいる。艶やかな黒髪が頬に滑り落ちるのを指で耳に掛けた。マスクで顔の半分は覆われているが、象牙のように滑らかな肌にくっきりとした鼻梁、秀麗な目元だけでも十分に美しいことが見て取れる。オン・ザ・ロックの氷をしなやかな指が弄ぶ様が妙に淫らな連想を誘った。


「よぅ、キレーだねぇ。東洋人?」


 酒臭い息を吐いて、軍服の男が隣に座る。毛むくじゃらの手が無遠慮に細い腰を抱いた。


「邪魔だ。失せろ」


 マスクの上から投げかける冷たい双眸。


「お?いいじゃねぇか。な。今晩、俺と…ぎゃぁっ!」


 男が細腰を味わうように摩った瞬間、その手が罰を受けた。東洋男が指関節をきめて捻じ上げたのだ。黒島芭蕉、23歳。U.B.セキュリティ・サーヴィス社戦闘部門に勤めている。所属はW部隊第5分隊。強襲作戦を得意とする、業界でも名の通った荒くれ部隊だ。黒島は見た目こそ小柄で優美だが、その烈しい性格と戦闘能力で“W部隊の毒蛇”の異名を持つ。


「失せろと言っている」


 ガタガタと椅子を鳴らして後ろの席に座っていた軍服達が立ち上がった。


「貴様!俺達はハワード親衛隊だぞ!?」


 そういえば、軍服の襟についた徽章に見覚えがある。


 「俺は日本のサラリーマンだ。失礼な男と大勢でヤる趣味はない。他を当たれ」


 「この…っ!」


 唸る拳が大きな掌に受け止められる。


 「おーいおい。弊社のスタッフに何かご用ですかぁ〜?」


 割って入ったのは、第2分隊の宇津木天翔。歳は2歳上だが、黒島と同期の突撃隊員だ。この喧嘩もらった、とばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべている。


 「おい、よせ」


 黒島が一応、止めてみたが、あっという間に殴り殴られ他の第2分隊員も飛び込んで大乱闘が始まった。周囲では、他の分隊の奴らも集まってきてヤジなど飛ばしながら見物している。軍服の奴らは軍服の奴らで賭けなど始めたようだ。「日本のサラリーマン」の皆も、娯楽が少なくて退屈していたのだろう。黒島が、オン・ザ・ロックを一口。ひょいと肩をすくめて読書に戻った。南国の夜は、熱く騒がしく更けていく。




 「あーあーあ。見ろ。お前らが昨晩、大騒ぎなんかするから警戒がキツくなったじゃねぇか」


 第5分隊長の田宮が曲がり角から覗きながら、ため息をついた。この度の任務は、この小国の亡命政府からの依頼で、自宅監禁されている民主化運動のリーダーを出国させることだ。第5分隊は、側方支援としてハワード将軍基地に潜入し、親衛隊の装備に細工して追撃を妨害するのが役割である。

 軍政を率いるハワード将軍は事実上の独裁者で国内では敵無し、基地の警備も緩く、あらかじめ諜報班が押さえたゲートの暗証番号さえあれば、時々回ってくる警備員の隙を突いて侵入できるはずだった。それが、今夜は警備員が張り付いている。


 「せっかくビジネスマンに扮して、日程もずらして入国したのによ」


 独裁政権に感づかれないよう、少人数ずつビジネスマンや観光客に扮して入国したのである。そして観光客らしく自然に酒場で遊ぶふりをしていたら乱闘騒ぎになってしまったわけだが。


「喧嘩したのは、第2分隊の連中でーす」


 アーネストが余計な訂正を加える。


「Wの中じゃウチの分隊が一番冷静なの!止めなきゃならん立場なのに手ェ叩いて見てた奴は同罪!黒島、責任取れ。ちょっと行って開けてこい」


 田宮がクイと親指でゲートを差した。


「俺は見てもいませんでしたけど?」


 うへ、と黒島がマスクの下で舌を出した。


「お前が元凶だろうが。ところ構わず色気振り撒きやがって」


 他人の性欲に責任なんか取れません、というのは黒島の持論だが、どうせ誰かが行かなきゃならないのだ。混ぜっ返していても仕方がない。




 ハワード将軍基地のゲート警備員が、道の向こうからのんびりと歩いて来る東洋人の男に目を止めた。バックパッカーだろうか?カーゴパンツにブーツ、Tシャツのカジュアルな格好で、小柄な身体は少年のようにも見えた。


「ハロー」


 訛った英語。


「日本の大澤商事の人に頼まれて、お使いに来ました。昨日の追加資料を将軍に」


「待て、確認する」


 警備員が将軍の部屋へインターホンを繋いだ。二言三言、交わされた後、警備員が身を避けた。


「将軍様に顔を見せろ」


 東洋男が恥じらうようにマスクを少しだけずらし、インターホンのカメラに向かって涼やかな笑みを浮かべた。将軍は大いに気に入ったようだ。この国で将軍に口を利いてもらうための枕営業など日常的に行われている。昨日来たのは確かに大澤商事だし、今日の昼間、非礼を詫びる電話で夜に若い男を用意してもらう約束もした。約束の時間より少し早いが、日本人だからな、と将軍は合点した。


「通せ」


 将軍がインターホンを切ると警備員がゲートの暗証番号を打ち込む。事前情報とは異なる番号。やはり急遽変えられたようだ。ゲートが開く。


「通…」


 警備員が振り向こうとした瞬間、ナイフが閃いた。




「素敵ですわ!春陽様!」


 春陽の高校時代の友人・梨花の実家のブライダル・サロン。巻き髪の梨花が歓声を上げた。ぴったりとしたマーメイドラインの、真っ白なドレス。


「御髪の色が映えますわね。でも、このドレスの雰囲気なら結い上げた方が」


 サロン・オーナーの、梨花の母が、春陽の栗色の三つ編みをそっと持ち上げた。


「これも素敵ね…迷っちゃう」


 寺岡春陽、21歳。U.B.セキュリティ・サーヴィス社戦闘部門勤務。所属はL部隊第2分隊、実戦配備2年目にして卓越した戦績で注目を浴びる突撃隊員である。

 左手の薬指に輝くダイヤモンドの指輪は、黒島からの贈り物。結婚式を2ヶ月後に控えて、ドレス選びの真っ最中だ。


「新郎様のご意見も伺えると良いのですけれど」


「彼は今、海外出張中で」


 不憫な表情を浮かべるサロン・オーナーに、春陽が明るく笑って返す。部隊が違えばスケジュールも違うので、休みの合わない時もある。今回は、運悪く完全に入れ違いになってしまった。


 2人が出会ったのは、桜舞う4月。春陽が新兵研修としてW部隊に配属されてきたのだ。荒くれ部隊にたった1人の女性兵士。とにかく手を出されては困るということで教育係を任されたのは、「女嫌い」で通っていた“ビッチ“――黒島だった。

 黒島としては、別に人間として女が嫌いというわけではなく、面白くもなかった幼少期を思い出しそうだからセックスの相手には選ばなかっただけだ。言い寄る男達の中から気の合う奴にテキトーに身を任せていたら“ビッチ”などという渾名を拝する羽目になった。

 全寮制のお嬢様女子校と温かな両親に大切に守られて育った春陽は、無邪気で疑うことを知らず、全てに対して陽光のような微笑みを投げかける女だった。その微笑みは、黒島の身をも暖めて、絶望を融かし、希望を照らした。


「あら、お母様!春陽様の彼は、とっても春陽様のことを想ってらして素敵な方なのよ。きっとお仕事でさえなければ、一緒に選びに来てくださったわ。ね、春陽様」


 梨花が、ぷぅと母親に抗議する。高校時代の友人同士で集ったブライダル・シャワー。話題はもちろん、2人の馴れ初めからプロポーズまで。お気に入りの差し入れを持ち寄り、ロゼ色のスパークリング・ワインを開けて、朝までお喋りしたものだ。

 春陽が教育係の黒島と出逢い、あまりの美貌と細やかな気遣い、頼もしい腕っ節にポーッとなって「お姉様になって欲しい」と申し込んだくだりでは、「やっと女子校を卒業して殿方と出会ったのに何してるのよ!」と皆で笑い転げた。クリスマス・イブに雪中訓練で滑落して、二人っきりの避難小屋で結ばれた話では、そんな日に特殊訓練を組む会社の無粋さに皆でプンスコした。そして、悪い魔法が解けるように“お姉様”が“王子様”に変身して結ばれたその翌日に――…




 雪山から救助され、病院での健康確認も終わると、黒島はするりと春陽の腰に手を添え、車寄せに向かって歩き出した。


 ――きゃ♡お姉様…じゃなくて芭蕉さん、ほんとに王子様みたい…。


 黒島のエスコート上手は、“ビッチ”時代の学習の賜物である。もちろん、生来の勘の良さや細やかさもあるが、具体的にどう振る舞えば良いのかは、黒島を姫君のように愛でた男から学んだ。


「春陽。実家へは?」


 タクシーに春陽を乗せ、自らも乗り込んでドアを閉める。とりあえず市部の方へ、と運転手に指示を出した。


「帰らないわ!今日は“お友達とディナー”だって言ったのに、パパったら勝手に、パーティーに出ろだなんて!」


 今日は、もともと黒島とディナーを過ごす約束だったのだ。


「いけないよ。遭難の連絡は行っているはずだから、無事な顔を見せてあげなきゃ」


 春陽を宥めるように額にキスを落とす。


「~~~…捕まっちゃったら、お家から出してもらえないかも」


 ぷく、と春陽が頬を膨らませる。春陽を溺愛する父親は、寮住まいの春陽に会えるのを楽しみにしているのだ。訓練校時代は週末のたびに帰ってきた娘が、実戦配備されてしばらく経った頃から「お友達とお出掛け」などと言って帰らない週が増えてきたのを訝しんでいるのである。


「表でタクシーを待たせていると言えばいい」


 捕まりそうなら、俺のところに走って逃げておいで、と黒島が微笑みかけた。


 ――必ず、君を掠うから。


 実家だろうが父親だろうが、今晩は譲れない。


「芭蕉さん!」


 感極まった春陽が、黒島の胸に縋りつく。


 ――明日だって、明後日だって。ずーっと、一緒にいられたらいいのにな…。


 タクシーが、市部の郊外に停まる。緑豊かで落ち着いた住宅街。ここが春陽の育った街かと、黒島が感慨深く見渡す。


「だめよ!大事な約束なの!」


 蔓バラの絡まるエントランスから、白いワンピースの春陽が駆け出てきた。満面に溢れる、悪戯な笑顔。タクシーの後部座席で待つ黒島の腕に飛び込んだ。


「中心街へ!」


 春陽の笑顔につられて、運転手にかける黒島の声も愉しげに弾む。若い2人を乗せたタクシーが、緑の中に滑り出していった。




 中心街の、U.B.セキュリティ・サーヴィス本社ビルにほど近い一角に、黒島の住処がある。地下鉄も通っているが、歩いても行ける。


「わぁ…素敵なアパルトマン」


 タクシーを降りた春陽が、瀟洒な建物を見上げた。


「見た目はね。中身はウチの社の製品テストも兼ねたセキュリティ・システム一式が入っている」


 社宅なのだ。エントランスと各部屋に備えられた強固な認証キーに、全室の窓に入る防弾ガラス。各所に24時間モニターされる防犯システムを備え、何かあった時は各部屋から本社の警備サービス室に直接連絡を入れることが出来る。


 春陽に食前酒を振るまい、一緒にディナーの支度をする。料理は、もともと訓練の翌日で余裕がないだろうと踏んで、作り置きしておいた。甘めのにんじんポタージュにサラダ、ミートローフ。歓声を上げてサラダに取りかかった春陽を、黒島が幸福な笑みを浮かべて見守る。


「春陽」


 デザートのチョコレート・ケーキまで戴いて、大満足な様子の春陽の手を、黒島がそっと取った。


「昨日も“責任を取る”と言ったけれど」


 昨日、2人が結ばれたときの熱が身体に蘇り、春陽は真っ赤になって俯いてしまった。


「もし、君が良ければ、結婚してほしい」


 春陽が瞳を見開いて、顔を上げる。


「…ちゃんとした育ちではないし、学歴もないし、顔には醜い傷痕があって…こんな俺で良ければ」


 そっと黒島が長い睫毛を伏せる。ほんの一昨日まで「お姉様」と呼ばれていた男が求婚するなど。春陽にとっては女子校感覚の親しみを表すお遊びで、本当の「王子様」が現れるまでの繋ぎに過ぎないかもしれないのに。


 春陽の瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちた。


「うわぁん!芭蕉さん!芭蕉さん!」


 黒島の首っ玉に抱きつく。


「嬉しい…。私もちょうど、同じこと考えてたの…!」


 黒島が春陽の身体を抱きしめた。


「…ありがとう、春陽」


 優しく耳元で囁き、春陽の顎を取って唇を重ねた。

 

〈つづく〉

 

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