【(勝手に)恐怖心展開催記念】ある恐怖心について
@mountainbird
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これを書いている少し前から、「恐怖心展」という催しが始まりました。
私も早速行ってみたのですが、とても面白かったです。
「恐怖心展」は、ひとびとが感じる「怖いもの」を展示する試みなのですが、とくに私が面白いと思ったことは、これは万人が「怖い」と思うものを展示するのではなくて、人によってはまったく怖くないと思うものであっても、ある人にとっては、本当に耐えられないくらい「怖い」ものというのが存在して、それを、その形を、展示しているということです。
つまり、渋谷のビルのワンフロアに展示されているものたちは、「怖いもの」であるのと同時に、「それを怖いと思う人の心」なのです。
展示されているものの中には、よくわからないな、というものもあれば、ああ確かにこれが怖いという気持ちは分かるなあと思うものもありました。
その人の体験と嫌な結びつき方をしてしまったことで、その人にとって特別怖くなってしまったものもあり、これらには気まずさのような、気の毒さのようなものを感じました。
これは恐怖心展のコピーにも書いてあったことですが、これらの展示物への感想を他の人と共有するということも恐怖心展の楽しさの一つだと思います。恐怖・不快なものについての体験というのは、「嫌な話」なのですが、ついつい盛り上がってしまう不思議な魅力のあるものであると、そう書いてあるのを見つけたときには「なるほど」と膝を打ちました。
恐怖心展の展示物には、「誰が」「どうして」それを怖くなってしまったのかということが書いてありました。
ある人はどこかの大学の展示会を見て、ある人は生まれ育った環境の中で、ある人はその人の職業上の都合によって、その人が「怖い」と感じるものが形成されていったということです。
恐怖心というのは、その人が育っていく環境で構築されるものでもあるんですね。
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その人の家には、変な風習がありました。
風習、といっても、その地方の伝統だとかではなく、本当にその人の家だけで行っていたことで、もっと言えば、その人の母親が勝手にやっていたことなのですが。
夜、寝る前のことです。その人の母親は、玄関から、お風呂場、トイレ、リビング、そしてそれぞれの部屋もくまなくまわって、家じゅうの全ての扉と窓を順番に開けていくのだそうです。夏も冬も、大きい台風が来ているときでさえ、彼女は絶対にその習慣を欠かさなかったといいます。そして全ての扉と窓を開けると、やはりまた順番に、それぞれの扉と窓とを全て、閉めていくのだそうです。
「正直何してるんだろうっていう感じはありました。夏暑いときとか、単純に迷惑だなとも思ったし。毎日部屋に入られるから自分の好きに物を置いたりもできないし、友達と通話しててもお構いなしに入ってくるから、なんか、本当にもう、勘弁してよっていうときもありました。
でも、一番怖かったのは、これをやっているときの母って、いつもと違うというか、なんか変だったってことですね。例えば、私の部屋に入ってくるときに、じっと部屋中を見渡すんですよ。ぐりんぐりんって首を回して。でも、そのときに『私のことは見てない』っていうか。うーん、なんていうのかな。普段は私が部屋を散らかしたり、寝ながらお菓子食べてたりすると、まあ普通に叱るんですけど、このときばかりは私がどんなことをしてても一切関係ないというか、全然干渉して来ないんですよね。
あ、ただ、一回、私が学生だったときの夏に、課題をやっている最中に母が入ってきて、それで窓を開けていくもんだから、ほら、暑くて集中できないじゃないですか。だから閉めちゃったんですよ。窓。そしたら母が閉めに戻ってきた時に、もう、すごい剣幕で、何をしてるんだみたいなことを大声で叫ばれて。本当に怖くて。あのときの母は、何かに取り憑かれてるみたいでした。
それからは、どんなときでも母がまた戻ってくるまでは、部屋をずっとそのままにするようになりましたね」
その人は、母になぜ毎日こんなことをするのかと尋ねたことがありました。
すると母は、「怖いから」と答えたそうです。
ある日、母が夜中に起きたとき、ふと寝室の入り口を見ると、扉が開いていたのだそうです。彼女に扉を閉めた記憶は無かったのですが、しかし開けっぱなしのまま眠ることはありませんでした。彼女はふと、「誰か」が彼女の寝室の扉を開け、覗き込んでいるような想像をしてしまったといいました。誰なのか、何なのかも分からない、闇と同じ姿をしたそれが怖くてたまらなくなってしまったのだそうです。
だからそれからは、寝る前にはいつも確認をしないではいられないのでした。全ての扉も窓も外と繋がっている物全てを開けて、閉めて、彼女が、彼女だけがそれらをちゃんと操作しているのだと確信しないことには眠ることができないのだと、そう答えたのだそうです。
その人はそれを聞いて、よく分からないなと思いました。
でも、母があまりにも真剣に語るのを見て、それ以上何も言うことはできなかったそうです。
その人が一人暮らしを始めたときのことです。
夏の夜でした。
なんだか寝苦しくて、夜中に起きてしまいました。
喉が渇いていたのでお茶を飲もうと思ったのですが、布団の横のテーブルに置いてあったコップには何も入っておらず、キッチンまで行くしかありませんでした。面倒だなあと思い、キッチンの方を、リビングから扉一枚隔たれたところにあるキッチンの方をふと眺めたのです。
すると、扉が開いていました。
そのとき、その人は理解したそうです。
その人には寝る前のルーティーンがありました。
借りていたマンションの一室の、全ての扉と窓を、さすがに玄関の扉は開けないそうですが、一度自分で開き、そして閉めていくのだそうです。
「やってみて、はじめて分かったことがあります。
母がどうしてあんなに真剣に、鬼気迫るように、人の変わったみたいにあれをやっていたのか。
怖いんですよ。
得体の知れない何かが家の扉とか窓を開けているかもしれない。ということは、自分が家じゅうの扉や窓を見てまわっているときに、それと会うかもしれないわけじゃないですか。だから、ばくばくする心臓を抑えながら、それでもじっと見るんですよ。部屋の隅から隅まで。今日もいないってことを確認するために」
でも、私には母ほどの勇気は無くて。守るべき子どもがいるゆえの強さってやつが母にはあったのかな。その人は笑いまじりに言いました。どうしても、部屋を直視しながらルーティーンをこなすのが恐ろしくてできなかったそうなのです。
かといってルーティーン無しでは眠ることができません。そこで折衷案として、目を瞑りながら家中をまわることにしたそうです。その人が住んでいるのは一人暮らし向けのワンルームマンションなので、目を瞑りながら間取りを把握してルーティーンをこなすのはそう難しいことではなかったといいます。ルーティーンを始めた頃は棚の角に足をぶつけたりして大変だったとのことですが、今ではそういった家具を片付け、あらかじめ定めたルーティーンの通り道には物を置かないようにして、毎日快眠だと言っていました。
私がその人の部屋を一度尋ねたとき、綺麗に壁際が片付けられていたことを覚えています。リビングに入る扉から対辺の窓まで、全く何も置かれていない「道」が壁に沿って作られていたのです。そして、ベッドだとか棚だとか、その人の生活道具はその「道」と正反対の壁際にぴったりとくっつけられて置かれていました。
その代わり、チラシとか本とか、部屋の隅につい放ってしまうようなものが、その人の部屋では、リビング中央の決められた場所に山積みにされているのでした。私がカバンを置こうとしたときも部屋の中央に置くように勧められ、その様子は、潔癖というか、壁際に自分のもの以外の何かが存在することを強く忌避しているようにさえ思えました。
あまりにも綺麗に作られた「道」を見て、私は怖くなってしまいました。
確かに、壁際を歩けば簡単に扉から窓まで辿り着けると思います。でも、ワンルームマンションの一室ですから、そう大きい部屋ではありません。ずっと繰り返しているルーティーンですし、目を瞑りながら部屋を横断するのだってそう難しくはないんじゃないか。だから、そんな「道」をわざわざ作らなくても良いんじゃないか。そう訊いてみたことがあります。
その人の部屋は一辺の壁際にしか家具を置けないせいで物が少なかったですし(その割には中央部は散らかっていましたが)、棚などを買い足して部屋の中央を空けて、まっすぐ通る道を開けた方が便利なのではないかと。
「いや、それは無理。
いつも目を瞑って歩いているとき、それでもすっごく怖くて。何が怖いってここが一番怖いんだよ(部屋の中央を指差しながら)。
ほら、初めの頃よく棚とか冷蔵庫に足をぶつけてたって言ったでしょ? それって、部屋の真ん中に近寄りたくなくて、壁沿いを歩こうとしてたからなんだよね。
で、今はこうやって『道』作ったからさ。ここだったら壁にピッタリくっつきながら歩けるでしょ? いつも壁にこうギュッと顔くっつけてさ、絶対に部屋の真ん中だけは見ないようにしてやってるんだよね。
え? うん。目は瞑ってるよ? でもほら、間取りを想像しながら歩くからさ、なんとなく分かるじゃん? ここに〇〇があって〜って思いながら歩くと、見えてるのと同じように分かっちゃうからさ、そういうのも全部除くために、目瞑った上で顔も絶対見ないようにしてるの」
それから、その人の部屋には行っていません。
怖くなってしまったので。
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