第41話

発石車の作戦は成功した。

 櫓を破壊する大石に味方が歓声を上げる。

「これはよく飛ぶ」

 文遠が空を飛ぶ大石を見上げながら、 感心したようにつぶやいた。

 だが、官渡での戦況が膠着するにつれ、戦場が広がりつつある。

 汝南で黄巾軍の残党が反乱を起こした。河北の扇動を受けての事である。さらに袁本初は劉豫州を救援に派遣したという。

 それに対して曹操は曹子孝を派遣して鎮圧にあたらせた。

 が、子孝が官渡に戻った後に再び劉豫州が豫州に侵入し動揺が続いているという。

 子孝に汝南鎮圧を一任できない事情はよくわかる。彼は曹一族の中でも抜きんでた猛将と言っていい。人手不足の官渡から継続的に外すのは無理があり過ぎる。

 兵糧不足も深刻になってきた。二食は出ているが一食の量が減っている。

 文遠の隊では雑草を麦飯に入れるものが出てきた。

 子賁は立に声をかけ、許に使いをしてもらうことにした。立は三十がらみの騎兵だが、文遠麾下では古株であり落ち着きのある男である。生え抜きであった。

「許にですか」

「病人を後から寄越すように伝えてあるが、この状況でここに到着しても兵糧で苦しむだけだ。それでもいいというものだけ来いと伝えてくれ」

「わかりました」

「ついでにお前も飯をたらふく食ってこい…こちらが困っているのに自分だけ食えるか、とは言うなよ」

 真面目で面倒見のいい気性の立はすでに人に食を譲っているのを子賁は分かっていた。周囲から尊敬される古参として当たり前のふるまいではあるが、程度も過ぎれば本人が倒れてしまう。

 その言葉に立は苦笑して拝礼した。

 人手は足りないが、兵糧も足りない。

 病み上がりの人間にこの状況はつらすぎる。足手まといを増やせる余裕はもはやこの軍にはない。

 馬もやせた。が、騎兵にとって馬は相棒である。自分の飯をすこしずつ削って食わせるものも多い。

 一方で傷ついて従軍できなくなった馬は潰され食料になっていった。いくら人と共に戦う仲間とは言え、回復の見込めない馬を抱えている余裕がない。馬肉で腹が満ちた夜には兵が声を殺して泣く声も聞こえる。

 子賁は文遠と食事を譲り合うようになっていたが、そのうち黙って自分の分を少なくし、文遠に多めによそうようになっていた。

 文遠は騎乗のうまさはもちろん、弓矢も剣もよく使う。兵卒を一人でも多く生きて返すためには十全に働いてもらう必要がある。そしてそれは麾下の人間にも浸透している認識だ。

 そう思った子賁だったが。

 勘のいい文遠に感づかれ、押さえつけられたうえで無理やり食わされる羽目になった。じゃれ合いに近い二人の格闘の様子を見ていた騎兵達がげらげら笑う。

 自分達の将がこのように譲り合っているせいもあるのだろう。文遠隊もお互いに兵糧を譲り合い、誰も文句を言うものはいなかった。

 栄養が不足している中で無理をしているせいか、子賁も自分の体調に異常を感じ始めていた。

 昼間の猛攻が終わり、夜の冷えが忍び寄るころに咳が止まらなくなるのである。

「咳が止まらんな」

 物陰で身体を丸めて咳をこらえているのを文遠に見つかった。文遠の勘がよいともいえるが、危険の多い陣中で子賁からほぼ目を離していないということでもある。

 大きな手で背を撫でられるとやや楽になった。

「大したことない」

 言い張る子賁から無理やり鎧をはがし、寝かされた。なお、幕舎の入口は珂か邲が立って見張っている。

「寝ていろ。恭和殿を呼んでくる」

 せいせいと息をついていると、四半時ほどして文遠と一緒に恭和が顔を出した。どうも馬を走らせて恭和を捕まえてきたらしい。

 けが人と病人を見るために陣から陣に飛び回っている恭和もかなり疲れた顔をしていた。

「悪い病気ではなさそうだが…前に胸を病んだことがあるな」

「…南方の海の上で、熱病をやった時に」

 しばらく脈を取り、口の中を見ると恭和が立ち上がる。

「こいつにはとにかく飯を食わせろ。あとは水を飲むこと。…薬は置いていくが恐らくそこまで効かん。薬効のある物も底をついておる」

「許に返したほうがよいでしょうか」

「…お前さんも医者が必要か?」

 隈のくっきり浮き出た顔で投げ出すように言う恭和に、文遠は黙った。

 たとえ戦えなくとも子賁は軍師としての役割も果たせるだけに、抜けた後に充てられる人材がいない。まして文遠の心を理解したうえで助言できるとなると代わりを務める人間を見つけるのは不可能だ。

 お前にそれはできんだろうと暗に断言されれば、返す言葉もないだろう。

「勝って許に戻ったらよく養生しろ。いい薬はその時だ」

 そう言い残し、恭和は去っていった。

「飯を持ってくる。薬と思って遠慮なく食え」

 そう言って顔に掛かった髪を払うと、文遠も幕屋を出て行った。外で散れ、お前たちも食い終わったら寝ろ、と文遠がいうのが聞こえる。子賁を心配して数名が様子をうかがっていたらしい。

 その兵たちが口々に自分たちの分を子賁に分けてくれと言い出すのを、文遠がなだめている。

 その背中を見送り、子賁は枕の下を探る。

 恭和が何かを忍ばせていたのだ。紙片である。

『針と灸で咳はある程度散らせる。決戦直前には必ず呼ぶように』

 子賁は軽く嘆息した。確かに有効ではあるが、根治させる針ではなく無理をさせる針であるのは明白である。

 これを病人に差し出した恭和もつらいだろうな。

 そう思いながら、子賁はそっと恭和の去ったほうに礼をした。


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