第4話
さて、当時の許は比較的平穏であった。
まだ周辺には諸勢力が残っている時期ではあるが、それでも許周辺の支配はかなり秩序が確立していたこともあり、治安は乱世としては抜群に良かったと言える。
とはいえ、許の外には餓狼のような流民が多くいた。そのようなものたちがならず者となり、しばしば許内に入ってきている。
楊家のような大店はそのようなならず者に目を付けられやすい。楊異も腕は立つ方ではあるが、年齢を重ねた現在では少なくない剣客や力士を食客にして出入りさせている。
そんな中、自費で自分たちを養える子賁達3人を抱えるぐらいなんの問題もなかったわけである。
異人である子賁達は当然胡散臭そうな目で彼らに見られていた。いたしかたないが丹香は早々に居心地の悪さを子賁に訴えだした。もっとも横で聞いていた貌利が「屋根の下で飯が食えるだけで幸せだと思わんのか」と一喝し黙ったが。
そのような食客と違う点は、子賁は計算もでき文字も読めるということだ。当時の識字率は低い。腕が立ち文字を読める人間は貴重なのである。そのため子賁は店の補助をしながら用心棒をするような日々を送るようになった。
貌利は店の裏にある厩で馬の世話をし始めた。貌利は力仕事が多い馬の世話にぴったりだった。丹香は食客たちの食事の世話や洗濯などの手伝いをしている。
そのような生活が始まって数日たったころである。
店頭にある布をゆすり取ろうとした男が5名ほど現れた。芍が相手をしていたがそのうち芍にも絡みだし、間に入った柳が突き飛ばされたあたりで子賁が間に入る。
彼らが目をつけていた布は高価な蜀の錦である。
「おいおい、さすがにやりすぎじゃないか」
5人の男たちは子賁の異相に驚いたようであるが、すぐににやにやと笑いだした。
そして子賁の顎を掴んだ。
「お前が噂の胡人か。さっきの女より高く売れそうだ」
またこれかい、と明らかに子賁は嫌な顔をして見せた。
周囲を一瞥すると、子賁を見物する野次馬がそのままこの騒ぎを見ている。このような人垣の中であまり暴れるのも気が引ける。貌利を突き出せばこの手の輩は大概怯えて逃げてくれるのだが、折あしく彼は馬を放牧に出すために郊外に行っている。
ふと店の中から殺気を感じた。
それに横眼を向けようとしたと同時に、もう一人の男に腕を掴まれた。
「おい、まず俺らで楽しもうぜ」
といった横の男が一瞬後に崩れ落ちた。同時におぉ、と人垣がどよめく。
「…は?」
思わず子賁が間の抜けた声を上げた。
そこには気づかぬうちに近寄ってきたのだろう、小柄な男が拳を構えて立っていた。まくり上げた腕は異常に発達して逞しい。握った拳も丸く石塊のように硬く見えた。おそらく武人だろう。緇撮(しさつ。髪型の一種)を藍色の巾で結っている。
通常であれば白い巾で結うものであるが、藍色の巾で結っているのが少々洒落者に見せている。
好戦的な笑みを浮かべているが、その表情は明るい。
注視していなかったとはいえ、子賁の目には拳がめり込む瞬間まで攻撃が見えなかった。相当な使い手ということである。
「…なんだ、よく見たら男か」
初対面の相手に無礼千万なことをあっさり言ってのけた男に、一周回って面白くなり子賁は笑いだした。
「てめえ」
その男にとびかかった頭らしい男の後頭部に、子賁は傍らにあった胡床(椅子)を掴んでやおらにたたきつけた。破壊音と共にバラバラになったが男はたまらず崩れ落ちる。
わっと人垣から歓声が上がった。
「やっべ意外にもろかったわ」
胡床の一部である木材だけを掴んだまま、子賁が呟く。
残りの男の一人がこぶしを突き出してくるのをひょいとよけ、胡床の木材で叩く。よろめいて藍巾のほうに行ったところで再度小突かれる。また戻って子賁に木材で叩かれる。
5回ほど繰り返したところでめんどくさくなったらしい藍巾が顎の下に拳をねじ込んで昏倒させた。
目を覚ました男が倒れたままの男を放り出して逃げ出すところで、子賁が襟首を後ろから掴む。
「ひぃっ」
「おい、ごみはちゃんと拾っていけ」
昏倒したままの男を顎で指すと、互いに担ぎ支えながら転がるように逃げていった。
「…や、お世話をかけました」
「いや楽しかった。ところで布を買いに来たんだが」
あ、お客だったか。
気持ちを切り替えてすまし顔で挨拶をし、子賁は店に男を招き入れた。
「どのようなものをお求めでしょうか」
「ああ、青地の布を100端(一端=約二丈)欲しくてな」
「綿でようございますでしょうか」
「ああ、あと藍で2端ほど、絽ももらえないか」
「かしこまりました」
出納帳を手に取り、やはり取り澄まして応対していたところで、びくりと藍巾が肩を揺らした。彼は店の中を見て固まっている。子賁はこっそりと前髪の翳からその先をたどった。
視線の先には先客がいた。平服だが体つきからしてこれも武人だろう、背筋が伸びた男がじっと藍巾を睨んでいた。
陰があるが品のある男だ。人目を引く美丈夫である。白目が青みがかり、瞳は澄み渡っていた。やや神経質そうだが鋭いまなざしにほう、と子賁は感心した。
先ほどの騒ぎに動じていないところからしても只者ではない。おそらく将のお忍びだろう。この手の客は意外に楊家に多いらしい。
「…?」
その男は応対していたらしい楊異に礼を述べ、立ち上がると藍巾の横を通り抜け様ににっこりと笑い肩をたたいた。びくりと藍巾が跳ね上がる。
目は全く笑っていない。
「…街中で騒ぎを起こすのは感心できんな。後で私の所に来い」
ひゃあ、という小さな声とともに硬直するのを後目に美丈夫は去りかけたが、ふと子賁のほうを振り返った。反射的に出納帳を持ったまま拱手する。
この男、威がある。
「なかなかの使い手とみた。この家の用心棒か」
「さようでございます」
その目はじっと子賁の手元に注がれている。
「名は」
「白子賁と申します」
「計算ができ文字が読めるなら仕官してもよいかもしれぬ。気が向いたら城に来い。私の名は于文則。校尉を務めている」
肩書を聞き、子賁は内心納得した。
「風来坊には過ぎたお褒めです…。于校尉、少々お待ちいただけますか」
そういって藍巾の男の接待を芍に任せると小走りに店の奥に戻り、子賁は香油の壺を持って戻った。中には数種の薬種を浸してある。
「お騒がせしたお詫びにこれを」
「?」
「痛み止めを含ませた香油です。痛む個所に刷り込んで使います」
それに驚いたように文則が瞠目し、すぐに目を眇めた。
「…どうしてわかった」
「わずかですが片足を引きずっておられます。たち上がる時にわずかによろめかれたので慣れている感じではなく、新しい傷と思いました」
将である藍巾をしかりつけるというのは、文則は軍法官、あるいは監軍のような立場の人間とも想像できる。少なくとも立場はかなり上の方だろう。
であれば、先ほどの騒ぎの際藍巾が暴れるまでもなく、文則自身が制圧していたのではないかと子賁は想像した。それをしなかったというのは何らかの理由があるだろうというのも推測の材料の一つである。
恐らく揉めている際に店の中から感じた殺気は文則の物であろう。存外正邪を峻別する、激しいものがある人間かもしれなかった。
ふと文則が笑った。先程の藍巾に向けた笑みとは違う、莞爾としたものである。
鋭いまなざしが緩む。目じりが下がるとまるで雪解けを誘う早春のような、程よい温度を感じさせる笑みだった。
「慧眼…お前にそのつもりはなくても、近々城の中で会うことになりそうだ。これはありがたく頂こう」
そう礼を言って文則は店を出ると、下男の引いてきた馬にまたがり城に向かって帰っていった。
慧眼、といったが子賁からすれば文則こそ慧眼の持ち主だと思った。胡人と軽んじることなく手元の出納帳に一瞬で目をやり、識字能力があると看破した。相当細かい目配りのできる男だろう。
なるほどこの町は面白い。
布を発注しに来た藍巾は帰り際に青い顔をして子賁に一礼した。思わず素直に思ったことを口にしてしまう。
「元気がなくなりました」
「あの人めちゃくちゃ怖くてな…」
がっちりした肩をすぼめた男に、やれやれと子賁は内心ため息をついた。自分の助太刀で怒られるとなると確かに気の毒である。
「またいらしてください。今度何かおまけをいたします」
そういうと少々元気が出たらしく、「その言葉忘れるなよ」と茶目っ気を出した言い方をして、男は帰っていった。
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