退職代行サービスにヤクザから依頼が来た
自宅戦闘員
前編
N県の都市にある事務所でのこと。
所内は重苦しい空気が居座っていた。
そこの所員なのだろう。集まった男性たちはガタイのよい強面が多く、それぞれが厳めしい目つきをしている。
その中心にいる三十代前半の男が口を開く。
【本郷組、若頭:
「で、和也よぉ。どういう了見だ。あぁ?」
本郷組は関東を本拠地とする大規模な暴力団、
現組長の
誠司は彼に認められた若頭……本郷組のナンバー2だ。
二十五歳の若さで次期組長と目され、現状でも実質的に彼が本郷組を取り仕切っている。
だからこそ和也の発言に、静かながら怒気をみせる。
【本郷組、若衆:田崎和也】
「すいやせん、アニキィ……。俺ぁ、どうしても組を抜けさせていただきたく」
「ヤクザもんが、組を抜ける。その重さが分からねえわけではねえだろう?」
「へ、へい」
蛇に睨まれたカエルのように和也は委縮している。
ピンと張り詰めた空気の中、乱雑に笑うのは紫スーツのスキンヘッドだった。
【本郷組、舎弟頭:
「おうおう、そう怖え顔してちゃ話せねえだろ。落ち着けや、誠司」
「ですがね、金城の叔父貴」
誠司は組長の正義と親子杯を交わした。
しかし金城は正義の兄弟分。次期組長ではあっても、金城には一定以上の敬意を示さないといけない。
幸いにも、金城は極道ものだが話の分からないタイプではない。
「まーずは、和也の話を聞いてやれや」
意外にもにも若衆の名前を憶えていたようだ。雑に呼びかけると和也がびくりと肩を震わせた。
金城は肩を竦めた。視線は横にずれ、和也の隣に座る男にも向けられる。
「兄ちゃんもそう思うだろう?」
そう問いかけられたスーツ姿の男は、メガネの位置を直した。
【退職代行サービス『アカンネン』、主任:日比野勝彦】
はい、なんと言いましょう。
和也さんの隣に座っているのが俺、日比野勝彦でございます
何故かヤクザの組事務所におりますが、ごくごく平凡な社会人であります。
「俺も、聞きてえなぁ? 和也、なんでカタギさんを事務所に連れて来た」
改めて誠司さんがドス並みに鋭い眼光で和也さんを突き刺す。
「へ、へい。アニキ。組を抜けるにあたって、俺じゃぁ諸々上手くいかないと思って……退職代行サービスを入れさせてもらいやした」
そんな使い方ある?
※ ※ ※
俺はもともとブラック企業に勤めていた。
いや、ブラックを超えてブラッカー企業だ。
いやいや、ブラッカーを超えて企業って言うか悪の秘密結社ブラッケスト勤めだった。
仕事に見合わない給料。全寮制で完璧に人的リソースを管理している上に、無茶なノルマをガンガン押し付けてくる。だいたいなんだよ令和の時代に上司に逆らったら体罰って。頭おかしいだろ。
当然そんな職場では長く続かず、俺は退職した。退職って言うかほぼ脱走だった。
そりゃもう逃げた。上司の最後の言葉は「あぁ!? てめぇぶっ殺されてぇのか裏切り者がっ!?」。繰り返しますが、令和の時代です。
そういう経験があるから、しばらく体を休めて調子を取り戻した後、俺は退職代行サービス『アカンネン』に就職した。
ブラック企業はもちろん、職場の人間関係に悩む労働者をスムーズに退職させ、現代社会に疲れた人々の助けとなる素晴らしい職業だ。
あれから四年、花の三十歳となった俺は株式会社『アカンネン』で主任を務めている。
ある日、俺に所長直々の案件が来た。
『アカンネン』は独立した会社ではなく、転職支援業の株式会社ナンディヤーネの一部署が取り仕切るサービスである。
各地に事務所を設けて退職のお手伝いをしているが、経営方針にはナンディヤーネの意見が色濃く反映される。
なので、所長直々の案件は大抵拒否権がない。ブラッケストを抜け出したのにここでも若干のブラック臭がする。
まあ週休二日だし有給とれるし、残業はちょっとあるけど残業代ありボーナスありなので全然耐えられるが。
「日比野主任、ごめんねー。ほんっと、ごめん」
若干ぽっちゃりで髪の毛が薄くなり前髪が後退、角が目立ってきた所長の
今回の退職代行は、ナンディヤーネから持ち込まれた案件なので断れない。そのため、成功率も満足度も高い主任の俺に回ってきたのだ。
「いやいや、所長も大変なのは分かってますから」
「ほんっと、上からも下からもな立ち位置だから。あ、下から突き上げない日比野主任みたいな子もいるけどねー」
「子なんて歳じゃないですって」
うちの事務所は正職員十名以下の小規模なものであり、俺は主任として皆を取りまとめる立ち位置だ。
人手は決して多くないのでがっつり現場で働いてはいるけど。
「悪いねー、ちょっとバイトや他の子には任せられない面倒そうな案件だから」
常盤所長自身はよく言えば穏やか、悪く言えば押しの弱いタイプだ。
だからこそ会社側もどんどん厄介ごとを放り投げるんだろう。
「了解しました、さっそくさせもらいますね」
「じゃあ、オンライン面談。今日の午後一時から入ってるから、よろしくね」
所長はあからさまにほっとした顔だった。
『アカンネン』では退職代行をする上で面談を行う。
直接対面でもweb面談でも、専用アプリでのメール対応完全書面でも対応する。
実は誰の依頼でも受けるのではなく、面談の時点で弾く場合もある。
たとえば備品泥棒して顔を合わせづらいからという理由で退職代行を利用する客もおり、ヒアリングは意外と重要だ。
「貧乏くじは~、主任が引かなきゃなりません~っ、と」
今回は専用アプリによる面談。
依頼主である田崎和也さんは年齢二十二歳。まだ社会人になったばかりだけど一年以内の退職になる。
相当ヤバいところを引いたのか、堪え性がなかったのかは俺には分からない。
でも依頼を受けたからにはしっかりやる。アプリ面談の内容も妙なところはない。建設会社に勤めていたが退職を決意したというものだ。
ただ、変わったところと言えば、最後に挨拶だけはしたいが一人だと怖いのでついてきてほしいというモノ。
退職代行サービスはだいたい電話と書類郵送で終わるので珍しい案件ではある。
だからこその本社直々なのかね、とこの時の俺は気軽に考えていた。
※ ※ ※
結果が、in the 本郷組ですよ。
web面談だから和也さんがコワモテのヤクザもんだって分からなかったうえに、建設会社って言うのが単なるフロント企業だって気付かなかったんですよ。
最悪です。
つまりこいつ、組抜けの手続きのために『アカンネン』を呼びやがった。
とりあえず、若頭の誠司さんは静かにブチキレてる。金城の叔父貴さんは俺を舐めるように見ている。
依頼主の和也さんは俺に縋りつく。
やれってか。俺に話を切り出せってか。
「あの、えと、はい。わたくし、退職代行サービス『アカンネン』の日比野勝彦と申しまして。今回は、ええと、和也さんが、建設会社から退職したいということで、ですね。その、交渉の、代行として、まいりました」
俺の発言に周りは騒然。「あぁ!? ざけんなやぁ!?」「舐めてんのかゴラァっ!?」と罵声がぶつけられる。
それを誠司さんが一喝した。
「お前らぁ黙ってろ! ……勝彦さんよぉ。そらぁ、コイツを組抜けさせようてってことでいいんだよなぁ?」
「はい、そうっす。誠司のアニキ」
今応えたのは和也さんです。
待って、お前普通に腹立つんだけど。
「えーとですね、誠司、さん? ちょーっとだけ、和也さんとお話してもよろしいでしょうか」
「おう」
許可を得てから俺は和也さんに向き直る。
そして一言。
「え、どゆこと?」
「なにが、っすか?」
「すべてが。俺あなたがヤクザだって聞いてないし、組抜けの事情もしらないし、金城の叔父貴さんは喜々として包丁とまな板を用意してる危機だよ?」
あれ映画で見たことある。
小指切る用のアイテムだ。
「すんません。俺は組に入って一年の下っ端なんですが、どうしても組を抜けなきゃなんねえ事情がありまして。ただ、よくしてくださった誠司のアニキに不義理をするなんてどうしても耐えられず……退職代行を使いました」
「アカンネンの社員が言っちゃダメなことだけど、ぜってー退職代行使う方が不義理だよ?」
だって真っ正面から向き合ってないからね?
「勝彦さん、分かってんじゃねえか」
うんうん頷かないでほしいです誠司さん。
微妙な空気の中、和也さんが深く頭を下げる。
「すんません。ですが、本当に俺は切羽詰まってるんです! だからどうか、どうか退職の交渉を!」
そう頼まれると、弱い。
辞めたくても辞められなくて悪の秘密結社ブラッケストで働き続けた俺は、やっぱり退職したいと願われたら力になってやりたいのだ。
改めて誠司さんに向き直る。
「というこで、和也さんは退職の意を示しています。建設会社及び本郷組から抜ける手続きをさせていただけないでしょうか」
「……カタギの兄さんが、堂々と俺に意見する。その根性は買ってやる。が、よぉ。はい、どうぞと答えられるヤクザもんなんざいやしねぇよ。極道の世界に足を踏み入れるってなそういうこった」
若いけどその迫力はすさまじい。
彼の言うことは正論だ。
アウトローにはアウトローの流儀がある。
そこを曲げろはちょっと越権がすぎた。それでも、誠司さんはある程度の譲歩は見せてくれた。
「ケジメは、つけろ。話はそれからだろうが」
和也さんの目の前にまな板と包丁が置かれる。
組を抜けたいのなら小指を詰めろ。任侠ものでは定番だが、まさか目の前でこれを要求されるとは。
ごくり、と唾液を呑む音が聞こえた。和也さんが俺をじっと見て、グッと握り拳を作った。
「日比野さん、よろしくお願いしますっ」
「待って?」
え、なにこいつ。
ちょっと分かんない。
「なにがよろしく?」
「ですから、組抜けの交渉を。ほら、代行なわけですし……」
「てめえ、舐めてんのか!? 小指詰めろってか!? 自分の代わりに小指詰めろってかふざけろボケがぁぁぁぁ!?」
思わず胸倉を掴んでがくがくと和也さんを揺さぶる。
「ひ、日比野さん。ちょっ、ちょっと! 違いますって、うまいこと話をまとめてくれっていう、そういうやつです!」
「ヤクザだろうが! お天道様に背こうがテメエの道理からは逸れねえって覚悟で歩いてこその極道なんだろうが!? それを他人様にケジメ背負わせようってどういう了見じゃワレェ!?」
「なんか日比野さんもヤクザっぽいんですがっ!?」
「ヤクザじゃねーよ元ブラック勤めだよ一般的社会人ブチキレさせるくらいテメエが舐めてんだよぉ!?」
勢いに任せてぶん殴ってやろうかと思った。
こんなところで蛮行働いたら死ぬだろうからやらないけどさ。
「まま、落ち着けや。アカンネン組の勝彦くん?」
「組じゃないですサービスです。ありがとうございます金城さん」
金城の叔父貴さんが俺をなだめる。
よくよく考えたらヤクザに落ち着けって言われる状況中々ないと思う。
「なあ、誠司よ。和也いらねえから勝彦くんを組に入れねえか?」
「ええ、こっちの兄さんの方がよっぽど腹が据わってます。お天道様に背こうが、テメェの道理からは逸れねえのが極道か。いいじゃねえか」
あっ、やばい。
なんか妙な気に入られ方した。
俺は咳払いをして、半ば強引に話を戻す。
「すみません、ちょっと荒ぶりました」
「ちょっと?」
金城の叔父貴、そんな目で見ないでください。
「えと、ただ、和也さん。私は退職代行として手続きはしますが、あなたが払うべき代償を払わずに、というのは筋が通らないと思うんですが。業界の慣例であるのなら尚更」
「かもしれません。ですが、俺は。可能なら怪我を負わずに組抜けをしたくて。その、事情が」
「わたしは、その事情というのも聞かせていただいてないんですが」
そう、退職代行のweb面談ではそこまで踏み込まない。
だから和也さんが組抜けしたい理由を俺は知らないのだ。
それは誠司のアニキも同じようで、「そいつは俺も聞きてえなぁ?」と凄んで見せた。
しばらく沈黙していたが和也さんはぽつりと言葉を墜とす。
「……俺。お嬢に、子供が出来て。それで、カタギになって。真っ当な稼ぎでお嬢と子供を、食わせていきたいんです。だから、小指失くして、そういう業界の男だってバレんのが」
やだよぉ、さらに組長の娘とか言い出したよ彼。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます