第1章 ベルの生い立ちと生存戦略。

1話 2人の姫とメイド

使用人の朝は早く、夜が明けきる前に飛び起きる。

かまどに火をくべなくてはならないからだ。

主たちが起きる前から、大勢の人間が目まぐるしく働いている。


メイドのベルも例にもれず、己の錆び髪を器用に頭上でまとめ上げると、持ち場に向かう。


ベルはシフィーの世話をほぼ1人で焼いているのだから特別扱いされる……とかそんな都合のいいことは全然なかった。


小走りで屋敷の窓と言う窓にかかる分厚いカーテンを開けにいく。

夜明けの空を美しいと思う暇はない。


「ベル、はたきかけといて」

「はい」


「ベル、水汲みお願いっ」

「はいっ」


「ベルっ!」

「はいっ!」


というわけで、これが日常なのだ。


――ゴーン、ゴーン、ゴーン。


夜明けを知らせる鐘の音は、早朝の仕事が一区切りする合図。

使用人たちが厨房の隣にある使用人専用の食堂にぞろぞろと集まってくる。

待ちに待った朝食の時間だ。


別邸とはいえ農園などもあるこの屋敷には30人以上の使用人がいるため、食堂も大きくて長机が3列並んでいる。


普段から食事の時間はおなかがすいてソワソワするが、今日のベルたちはいっそう落ち着きがなかった。


なんせ、昨日は公爵をお招きしての盛大な晩餐会をしたのだ。


この家は裕福だから、肉、魚、新鮮な野菜や果物、高級な砂糖菓子と、そりゃもう惜しげもなく振舞われる。当然食べきれるものではなく、その余り物が使用人たちに振舞われるというわけ。


執事や家政婦長のような偉い使用人たちが上座に座り、ベルたちは下座に座る。


いつもより大きな皿に彩りよく料理が盛られて各々に配られた。

バスケットに入っているパンの数も多い。

ベルはごくりと唾を飲み込む。


「いつもはパンとチーズなのに今日は豪華~」


心の中で言ったつもりが、うっかり口に出ていた。


「お客様で忙しいのは困りものだけど、食事が増えるのは嬉しいよね」


隣に座ったメイド仲間も、嬉しげに言う。


使用人と言えども、豊かで格式あるこの家では、食事中も礼儀が求められる。

そのため、いつもなら家政婦長から「お行儀が悪いわよ、うるさくしない」とお叱りを受けるところだが、今日はやれやれと笑っていて大目に見てくれているようだ。


自然とみんなの口数が増える。


「公爵様がおいでになるとはね。突然決まったじゃないか」

「食事のあとは執務室に2人で籠られていたが、何を話しておられたのだろう?」

「うちの伯爵様は商売が大層お上手だから、共同事業でも始めるんじゃない?」


「このお肉おいし~」

「ソースが甘酸っぱい。ベリー?」

「今年は菜園も豊作でさ。収穫はみんなに手伝ってもらわないと」


焔姫ほむらひめの今日の機嫌はどうだろうね?」

「さあてね。霞姫かすみひめがいじめられることに変わりはないよ」


ベルはモグモグと食べる口は休めずに、仲間たちの話を聞いていた。

彼女の信条は『食べられる時に食べておけ』なので、目の前の皿が空になるまでけっして食事を止めないのである。


その上でだ。


焔姫、もといラレンシアは来客があった翌日はおとなしい。彼女は大胆に見えて周囲の空気を読んで次の一手を決める思慮深さもあわせ持っているから、公爵がやってきてさぞ気を使ったに違いない。


一方の霞姫ことシフィーは、繊細に見えて妙なところで図太い。お育ちがいいゆえにマイペースで、だから隙だらけでラレンシアから攻められるのだが……


(……それにしても今日のお肉は本当においしいなぁ、これだけおなかいっぱい食べてみたいなぁ)


――そんなことを考えていた。


そもそも焔姫とは、ラレンシアの真紅の髪と堂々とした佇まいから生れた二つ名である。


そしてシフィーの霞姫は、色素の薄い彼女の奇跡のように美しい儚さから生れた二つ名だ。


元はどこぞの貴族が洒落て呼んだ名だった。

だが、使用人たちがその名で呼ぶ時は、ラレンシアのすべてを燃やしつくさんとする苛烈さと、そんな彼女が屋敷に来てから霞んでしまったシフィーお嬢さんという、もっぱら悪口とあなどりが含まれていた。


当主のアルヴィヌム伯爵はこの事実を知っているのかいないのか……否、知らぬわけがあるまい。


「伯爵殿の心臓は、永遠に解けぬ氷でできているのだろう」


なんて貴族連中から陰口を叩かれるほど有能で冷静な伯爵が、己の屋敷で起こる物事を把握していないとは考えられない。

少なくとも実子のシフィーが養女のラレンシアにいびられていることを知っているはずだが、なぜか制する気配がなかった。


それで使用人たちの間ではひそひそと


「実はラレンシア様も伯爵様の子なのでは?」


と噂するほどで、とにもかくにもこの屋敷は話題に事欠かなかったのである。


そんな状況でベルは、「噂なんてくだらない」と潔癖になることはなく、ほどほどに会話に混ざって情報は仕入れつつも、かといって「ラレンシア様は酷い」と熱くなることもなかった。


ベルにとって人の噂は大事な情報収集の場である。誰それの羽振りがいいとか、メイドと厨房助手がデキているとか、そういう話の中に己が生き抜くヒントが隠されているからだ。


アルヴィヌム伯爵は心臓が氷でできていると言った。

では、ベルはどうだろう?


使用人たちはベルのことを、器用で働き者で気が利く……つまり、使い勝手のいいメイドであり、良き同僚として見ている。飯がうまければ笑い冗談も通じる、どこにでもいる普通の17歳の女の子だと。


――だが、周囲が思う以上にベルは冷静で、どこまでも現実的な人間だった。

その心は鉄でできていた。


そもそもベルが、なぜ伯爵家のメイドになれたのか? それは彼女の生い立ちが深く関係する。

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