(3)
「で、気になった本はどれだ?」
「えっと、いち、に、さん……、下から七段目の左端にある、背表紙が擦り切れてて読めない古い本わかりますか」
「七段目、もしかしてこれか?」
男が指を指した本は、碧が気になっていた本で間違いなかったので、うなずいた。すると,男は大きなギョロリとした瞳を見開き碧を射抜くように見つめてきた。
「あ、も、も、もしかして僕が読むには早い図鑑ですか?」
オドオドしながら男を見る碧に、ゆっくりと首を横に振った。
「いいや、きっとこの本はおまえを見出したんだろう」
「見出した? 本がですか?」
ふっ、と口の端を上げて笑った男が続ける。
「ああ、そうだ。本だって読まれたいと思う奴と、そうでない者の見分けぐらいつく」
「……そういうものなんでしょうか」
図書館の人が言うのなら、そういうこともあるかもしれないと思った。碧はこの図鑑をとても読みたいし、図鑑も碧に読んで欲しいと思っているのであれば、それはそれで嬉しい。いわゆる相思相愛というやつだ。それが本に当てはまるかはわからないけれど。
ニマニマしていた碧に男がヒョイといとも簡単に古めかしい図鑑を手に取り、碧に渡してきた。受け取った図鑑の表紙を撫でながら「ありがとうございます」とお礼を言う。
「どうってことないさ」
「僕は小さくて背が届かなかったので、本当に助かりました」
「で、それを借りるのか?」
「はい。……で、これはなんて書いてるんでしょうか」
背表紙も擦り切れていて見えなかったが、表紙の字も写真なのか絵なのかも判別が出来なかった。それならと、本の中身を確認しようと手にかけると、グイッと手首を掴まれた。
「ーーつぅ」
「ここでは開くな」
「え?」
掴まれたままの手が硬直したまま、驚いた顔で男を見る。
「でも、中身がわからないと僕が借りても大丈夫かどうかの判断がつかないので」
「さっきも言っただろ、この本はお前を求めてるし、お前もこの本を求めているって」
「意味がわかりません。本当に中身を知らないままでいいんでしょうか」
「んー、そうだな」
男は、あごに手をあてて唸った後、碧と同じ目線になるように屈んだ。近くで見ると迫力が違った。少し後ずさりした碧だったがその分また男が距離を詰めてくる。
「この本は、レッドリスト大全だ」
「レッ……ド、リストだ、大ぜ……ん?」
「ああ。そう書いてある。その意味は自分で調べろ。出来るな?」
調べるのが好きな碧は、コクコクと何度も頷く。
「あとのヒントは……、一応言っておくか。動物の図鑑ということだな」
「動物?」
「ああ、この本は植物は載っていない。動物のみだ」
「それなら、僕でも読めそうです。先週は、きのこ図鑑を借りたので、今週は植物じゃないのを借りようと思ってたんです!」
「それはタイミングが良かったな」
「はい。本当に、相思相愛みたいですね」
そう言いながら、はにかんで笑った。
「じゃあ、僕、これ借りようと思います。えっと、きのこ図鑑も返しつつ、貸し出しカウンターに行きます。お兄さん、ありがとうございました」
レッドリスト大全を大事そうに抱えながら碧は、深々とお辞儀をすると、待て待てと男に止められた。
「貸し出し手続きもわしがやろう。この本は、他に任せておれんからな」
「え? いつもカウンターには誰かいるので、お兄さんの手を煩わせつるわけには……」
「なに、そんな時間もかからないし、伝えることもあるからの」
「ありがとうございます」
そう言うと、一緒に貸し出しカウンターに向かう。貸し出しカウンターは、いつも係りの人が数名いるのだが、今は誰もいなかった。貸し出し業務をしてくれると言ってくれなかったら、探すことになってたはずだ。有り難いと思いながら、椅子に座った。そういえば、今何時なんだろう。図鑑を借りた後、他の棚を見る時間はあるだろうか、と時計を確認すると、凌がサッカー教室から戻ってくる五分前だった。そんなに時間が立っていたのか、と焦る。
真っ先に図鑑の棚に向かったはずなのに、あっという間に時間が過ぎていた。対面に座った男は、碧が差し出した図書館カードをまじまじと見ていた。
「えっと、それ僕のカードで間違い無いです」
「あ、ごめん。よし、大丈夫だ、これは返したらいいんだよな」
「はい。あ、お兄さんはこの図書館で働き始めたばかりですか?」
「あー、そうだな」
「やっぱり。貸し出し手続きに戸惑ってたみたいだったので。で、でも! もう図鑑のこと詳しくてすごいです」
「そんなことないぞ。あ、これレッドリスト大全な」
図書館カードと共に図鑑を渡された。
「あ、忘れるところだった」
男は手に持っていたゴムバンドを図鑑にくくつける。
「えっと、これって」
いつもは剥き出しの本をそのまま借りるだけなのに、ゴムバンドで固定をしたことに驚く。
「これはなんですか。普段、本にはこういうのはついてないんですけど。本が傷むから」
「これはこの本だからこその道具だ」
「え? どういうことです?」
「ひみつだ。ただ、本に異変があったら、すぐにこのバンドを使って閉じるんだ」
「本に異変ですか?」
何を言っているのだろうか。古い本だからページが抜け落ちてしまうとか、そういうことだろうか。
「古いからページが外れちゃうとかですかね?」
「さあ? この本にはこのバンドじゃなきゃダメなんだ」
「ダンボールをまとめるビニールの紐とかは?」
「それじゃ、効かないんだよ」
「え?」
「まあまあ、このバンドなら間違いないってことで」
「お兄さんそれじゃよくわかんな……」
「碧、帰るぞ。早くしろよー」
碧を呼ぶ声の方へ向くと、日焼けした凌が入り口に立っていた。もっと話を聞きたかったけれど、凌が迎えにきてしまったのでタイムオーバーだ。
「ま、待って。今行くからっ!」
バンドに括られた『レッドリスト大全』をリュックの中に入れた碧は、イスから立ち上がった。ありがとございました、と礼をした碧は、足早に凌がいる入口へと急ぐ。途中で後ろを振り返ったが、碧の貸出の手続きをしてくれたお兄さんはおらず、いつものおばさんが座っているのだった。
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