第五話 揺れる日常
母が去ったあと、病室は急に広く、静かになった。
さっきまで温もりを握っていた両手が空を切り、指先に残るぬくもりだけがやけに鮮やかに思い出される。
てっちゃんはベッドに背を預け、天井を見つめていた。
涙はもう乾きかけていたが、胸の奥にはしぼんだ風船のような虚しさが広がっていく。
「母上が帰られて、寂しゅうなったか」
声が落ちてきて、てっちゃんははっと振り返った。
窓際に大国主が立ち、腕を組んだまま柔らかく目を細めていた。
その表情はからかいでも同情でもなく、ただ事実を言葉にしただけのものだった。
「……別に」
てっちゃんはそう答えたが、声の端はわずかに震えていた。
大国主は一歩こちらに歩み寄り、低く言葉を重ねる。
「人の温もりというものは、触れている時には気づかぬ。だが、離れたあとに初めて、その重さを知る。お主はいま、その最中にあるのだ」
てっちゃんは唇をきゅっと結び、布団を指で握りしめた。
母と過ごした一瞬が、思いのほか大きな力を持っていたことを、否応なく実感してしまう。
窓から差し込む夕陽を背に、大国主はゆるやかに言葉を継いだ。
「じゃが——その痛みは決して無駄ではない。寂しさも、虚しさも、人が人を求める証ぞ。逃げたくなるほどの孤独を味わった者ほど、誰かの手を握るとき、その重みを深く知る。お主はいま、それを学んでおるのだ」
てっちゃんは目を伏せ、胸の奥にじんと刺さる感覚を覚えた。
孤独に押し潰されそうになる自分を責め続けてきたけれど、大国主の言葉がそれを少しだけ別の色に変える。
「……学んでる、なんて、思えない」
しぼんだ声でつぶやくと、大国主は静かに笑った。
「思えずともよい。人は歩んでいる最中には、自分の足跡を見られぬものだ。あとで振り返ったとき、初めて気づく。——お主の歩みも、必ず道となる」
その声音には、威厳と温もりが同居していた。
てっちゃんの胸に残る虚しさはまだ消えなかった。
けれど、その奥にかすかな灯のようなものが、確かにともった。
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