第三話 選択の重み

ICUの中での時間は、妙に静かに流れていった。

医師が顔をのぞき込み、看護師が点滴の交換を済ませていく。そのたびにモニターの線が波打ち、淡い光が小刻みに瞬いた。

その光は鼓動の証であり、ここに自分がまだ生きていることを、冷たくも確かに刻んでいた。


窓際に立っていた大国主が、ゆっくりと口を開いた。


「……あの白き衣をまとった者らは、なにゆえ皆そろいの姿をしておるのだ?」


てっちゃんは一瞬きょとんとしたが、すぐに心臓が跳ねた。

確かに医師も看護師も白衣を着ている。だが、その問いを投げかけられたのは自分だけで、周囲の誰も気づいていない。


答えようと口を開きかけたが、喉がひりつき、声にはならなかった。


大国主はしばらく沈黙し、今度は壁際のモニターをじっと見つめる。

「小さき箱が律動を映しておるな。あの光は……そなたの鼓動を写しているのか?」


波打つ線と点滅が、命そのもののように病室を照らす。

自分の心臓と光がつながっていると考えると、背筋がぞくりとした。

てっちゃんは思わずシーツを握りしめ、視線を逸らす。


さらに、大国主の目は点滴スタンドへと移った。

「その腕に通された管は……水を注ぐためのものか。妙なる術よの」


透明な液体が一定のリズムで滴り落ちていく。

てっちゃんは自分の腕に視線を落とした。針が刺さっている部分が急に痛むような気がして、慌てて布団に隠す。


返事をしたわけでもないのに、大国主は満足げに頷いていた。

その姿は誰にも気づかれず、声も届かず、ただ自分だけに語りかけている。


胸の奥で、不安が重く沈む。これは夢なんかじゃない。

本当に、この男はここにいる。


怖くて仕方がないのに、目を逸らすことができなかった。

その存在感が、意識を縛りつけて離さなかった。


夜になると、病室はさらに静寂に包まれた。

てっちゃんが目を閉じて眠ろうとしたとき、大国主は窓際に立ち、外を見上げていた。


「星々は……いかなる理で、これほど明るく瞬くのだろうな」


独り言のように、しかし確かにこちらに届く声。

振り返ることはなく、ただ闇に散らばる光を見つめるその背は、遠い世界から来た者そのものだった。


数日のあいだ、ICUでの暮らしは淡々と過ぎていった。

医師と看護師が入れ替わりに現れ、点滴や体温を確かめる。

その光景の中に、大国主はまるで当然のように立っていた。

白衣の人々に混ざり、しかし誰にも気づかれず。


彼がじっと眺めていたのは医療器具ではなく、てっちゃんの着ている患者衣や、差し込む蛍光灯の光だった。

時折、眉間に皺を寄せて「これは何という道具ぞ?」と問いかける声が響くたびに、幻覚という言い訳は薄れていった。


三日目の朝、看護師が穏やかな声で告げた。

「容体も安定してきたから、今日から一般病棟に移れるよ」


移動用ベッドに乗せられ、静かなICUをあとにする。

廊下を流れる天井の灯りや壁の時計が、いつもより鮮やかに映った。

横を歩く大国主の姿は、相変わらず他の誰にも見えない。

堂々と歩くその背を見ていると、幻覚という言葉はますます遠のいていった。


一般病棟の病室は窓から陽が射し込み、外の生活音がかすかに届く。

鳥の声も、人の気配もある。そのすべてが「まだ生きている」という実感を押し寄せてきた。


けれどベッドに横たわる胸の奥には、まだ重たい影が残っていた。

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