29話 ワタガシを探せ!

アラテクターの死骸から必要な素材を慎重に回収し終えた頃、洞窟の中にはようやく静けさが戻っていた。


 甲殻、牙、糸腺、粘液袋。どれもがグロテスクな見た目で、魔物の気配は消えたはずなのに、ただそこにあるだけで空気がよどむような気さえする。俺たちはそれらを革袋や布で丁寧に包み、においが漏れないようにして運び出した。


 ――そして、ようやく地上に出た。


「ぷはぁ……!」


 最初にマリネが両手を広げ、勢いよく深呼吸する。顔には安堵と喜びが混じったような表情が浮かんでいた。


 だが次の瞬間、彼女は無言で杖を軽く振る。


 ぽふん――という音とともに、俺とグルメマンの身体が淡い光に包まれる。どこか心地よい風に撫でられたような感触が通り抜け、次の瞬間には、汗も泥も血も、すっかり洗い流されていた。


「うおっ……」


「おお、ありがたい」


 そう言う間にも、マリネは自分自身に【ウォッシュ】をかけ続けていた。


 一回。二回。そして三回目には、光の粒がパチパチと弾け、つやつやの髪からほのかに花のような香りまで漂ってくる。


「ふぅ~~……んんーっ! 陽の光、最高っ!」


 マリネはぐいっと背伸びし、太陽に顔を向けて満面の笑みを浮かべた。


 その姿を見て、俺は思わずぽつりと漏らす。


「……マリネさん、すごかったですね。さっきの魔法、正直ちょっと鳥肌立ちました」


「うむ。恐怖と怒りを糧に放たれた魔力は、時として限界を超える……君の魔法は、まさにそれだったな」


 グルメマンの言葉に、マリネはあははと照れ笑いを浮かべた。


「いやぁ、あまりにも気持ち悪くて……! 考える間もなく、気付いたら魔法になってた感じで……えへへ」


 俺はつい、呆れ気味に眉をひそめる。


「そんな理由で、あんな威力が出るの、逆に怖いですよ……」


「ふふっ、そうかも。でも、魔力暴走の時と違って、ちゃんと狙って発動できたよ」


 そう言って、マリネはくるりと一回転しながら笑った。あの異様な洞窟の雰囲気が嘘のように、彼女の声は明るい。


「――何はともあれ、無事に任務は完了した。素材も確保できたし、街へ戻ろう!」


 グルメマンの言葉に、俺とマリネはぴしっと姿勢を正して答える。


「「はいっ!」」


 * * *


 街に戻ったのは、まだ昼前だった。


 俺たちはギルドで素材と討伐の報告を済ませ、報酬を受け取ると、そのまま酒場の隅に腰を落ち着けていた。昼の喧騒が始まる直前の、静けさの残る時間。テーブルの上には簡素な昼食と、冷たい水の入った木のカップが並んでいる。


「ふぅ~……」


 マリネさんが椅子に深く腰を預け、ようやく落ち着いたように息を吐いた。俺も同じ気持ちだった。あの地獄のような洞窟と比べれば、ここは天国だ。


 だが、その空気を壊すように、彼女がふと真剣な表情になる。


「あの……ちょっと、聞きたいことがあるんですけど……」


 その声に、俺は一瞬で警戒心を覚えた。


(まさか……また来たのか?)


 案の定だった。


「“ワタガシ”って……知ってますか?」


 ――来た。新たな謎グルメワード。今度は「ワタガシ」か。


 俺が心の中でため息をつくと、グルメマンが腕を組んで唸る。


「うーむ……相変わらず聞いたことはないな。マーシュ殿はどうだ?」


「俺も……いや、全然ピンと来ません」


 マリネさんはやや肩を落としながらも、すぐに首を傾げた。


「でも、なんとなく……ふわふわしたお菓子っぽい気がするんです」


 その言葉に、グルメマンが身を乗り出す。


「ほう。ならば読んで字のごとく『綿の菓子』……つまり、ふわふわで軽く、白くて甘い菓子か」


「うーん、ついさっき頭に浮かんできたばかりなので、なんとも……でも、多分そういう系だと思います」


 その返答に、俺はひっかかる。


「ついさっきって……まさか、アラテクターにぐるぐる巻きにされてた時……?」


「……まぁ……」


 マリネが照れたように目を逸らす。


 それを見たグルメマンが、やたら真面目な顔で頷いた。


「つまり、マリネ殿は――クモの巣が食べたくなったということか」


「いやいやいや! クモはもうこりごりですって! クモの巣なんて、食べられるわけないですよ!」


 マリネさんが勢いよく首を振る。いや、俺も正直食べたくない。そんな俺たちを見て、グルメマンがニヤリと笑った。


「そう思うだろう? だがな――この世には、とびきり旨い“クモの巣”があるのだよ」


「……え?」


 マリネと俺が同時に言葉を漏らす。


 また始まったかと思いつつも、今回は“ワタガシ”に繋がるヒントがあるのかもしれない――そう思いながら、俺たちはグルメマンの口を注視した。


「〔スパイダークラブ〕というモンスターを知っているか? 深海に生息する、カニのようなモンスターなんだが」


 ……カニなのかクモなのか、どっちなんだ。


「いえ、聞いたことないですね」


「実はな、そいつが出す糸が絶品なのだよ」


 グルメマンが得意げに言うと、マリネさんが叫ぶ。


「結局クモの巣じゃないですか!」


 彼は落ち着いた口調で言い返す。


「まあまあ。厳密には、スパイダークラブが自分の肉を糸状にしているだけだから、とんでもなく細いカニの身と思ってくれ」


 マリネさんはどこか納得いかない顔で頬を膨らませるが、俺には別の疑問があった。


「深海にいるなら、どうやって獲るんですか?」


「うむ、良い質問だ。スパイダークラブは産卵期になると浅瀬に上がって卵を産む習性がある。今はギリギリ時期的に間に合うかもしれん」


「……じゃあ、行くってどこに?」


「それはもちろん、海だッッ!!」


 グルメマンはそう言うと、意気揚々と掲示板の所まで行きペラペラとめくりだした。


 ……だが、現実はそう甘くなかった。


「……無いな」


「えぇ~……やっぱり、ありませんかぁ……」


 ギルドの掲示板の前で、俺とマリネさんは並んで肩を落とした。いくら探しても〔スパイダークラブ〕の名を冠したクエストは見つからない。

 カウンターで直接聞いてみても、クエストは存在せず、そもそもそんなモンスター自体が知られていないらしい。


「むむ……登録されておらんか。まぁ、あれを狙うには時期と場所が限られるからな」


 グルメマンが腕を組んでうなる。この人の中では、すでに“旨い糸”探しの旅が確定事項らしい。俺たちも異論はないけど、問題は――金だ。


「とにかく稼がないと。返済もまだまだ残ってるし」


 というわけで、俺たちは目的地の〔ゴルタ海岸〕周辺で対応できるクエストを調べ、その中から報酬が高めだったDランクのリザードマン討伐を選ぶことにした。


「リザードマン……私、初めてです」


 マリネさんが不安そうにつぶやくと、グルメマンがすかさず解説を始めた。


「リザードマンはDランクといえど侮れんぞ。ホブゴブリンより一回り大きく、身長は二メートル超え。全身が硬質の鱗に覆われている」


「えぇ……」


 マリネさんの顔が少し青ざめた。俺も、正直あんまり気乗りしない。でもグルメマンは続ける。


「だが奴らは群れず、単独で縄張りを持つ生態じゃ。数の不利がない分、冷静に戦えば倒しやすい相手だ」


「まぁ……確かに、単体なら何とかなるか」


 ゴブリンやアラテクターのときと違って、作戦と間合いがしっかりしていれば、やれるはずだ。


 問題は、そこまでの移動だ。


「ガストラで行っても、ゴルタ海岸までは半日はかかるな……」


「準備して朝に出れば、夕方着が理想ですね」


 そうして俺たちはいったん解散し、それぞれ出発の準備に取りかかった。荷物の整理、装備の点検、保存食の補充。

 特に俺は、食料のチェックに熱が入った。……だって、久しぶりの海だからな……!

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