白衣の女:モイライの小瓶(上)

何か面白いものでもないかと見慣れない路地裏をさまよっていた。

コンクリートの壁はところどころ欠けていて、どこか怪しい空気を漂わせる。

普段歩いている散歩道に、明らかに見たことがない不思議な路地裏を見かけ、思わず足を運んでみたが、特になんてことはないただの道だった。


大学を卒業して五年。俺の人生は、毎日が同じことの繰り返しだった。

朝、満員電車に揺られ、定時までPCとにらめっこ。家に帰れば、SNSで楽しそうな同級生の輝かしい人生を眺め、劣等感を抱える。

打ち込める趣味もなく、友人と呼べる人間もいない。今日のようにふらふらと街を歩いたり、ショート動画を見ていると一日が終わる、自分でも終わってるなと思うほどの生活だった。

だからと言って、この生活を変える努力をすることはしない。頑張るのは疲れるからだ。そういうのは頭のいい奴や、運動が得意な奴が頑張ってくれればいい。

何物でもない俺は何もしないのが一番賢いんだ。


いつも通り卑屈になって路地を歩いていると、一軒の雑貨屋が目についた。小窓から中をのぞくと、店内には客がいない。暇つぶしにはちょうどいいと、錆びついた取っ手をひねると、埃っぽい匂いが鼻をついた。


雑貨屋の店内は暖色の照明に照らされ、奇妙な骨董品やガラクタが所狭しと並んでいた。そして、奥のカウンターに、一人の女が立っていた。

彼女は、絵画から抜け出してきたかのように、整った容姿をした、オリーブ色の綺麗な髪の女性だった。

研究者のような白衣を羽織り、その下に覗くシンプルなシャツとスラックスが、彼女の端正な顔立ちを一層際立たせていた。

「何か、お探しかしら?」


女の声は、その容姿からは想像もつかないほど、冷たく、そして少しだけ妖艶な雰囲気を纏っていた。

久しぶりの会話に、乾いた口をパクパクさせながら答えた。

「あの……何か面白いものないですかね?」


女は無言で俺を見つめると、カウンターの下から、ガラスの小瓶に詰められた薬品のようなものを取り出した。

「ずいぶんざっくりとした要望ね。それじゃあ、この異世界に転生できる薬なんてどうかしら。どこかの世界の誰かに、生まれ変わることができるわ。」


俺の適当とも思える発言に合わせた、冗談だろう。

普段女性と話すことのない俺にとっては、それだけでもうっかり好きになってしまいそうなくらい嬉しかった。

「いいですね、買っちゃおうかな。」


にやにやとした笑みを浮かべながら、小瓶を手に取った。

小瓶にはよく見ると、それぞれが違った見た目をしている三人の女神のような彫刻が施されていた。

店のオレンジ色の照明がキラキラと反射して、その綺麗な見た目に俺は、その小瓶の中身にかかわらず購入を決めた。

「これ、いただいてもいいですか。」

「お買い上げありがとう。気に入っていただけたかしら?」


店員さんはにっこりと微笑みながら会計を済ませる。

俺は喉が渇いていたこともあり、その場ですぐに瓶の中身を飲み干した。

「へえ、ほんのり甘くておいしいですね。ライチ味ですか?」


店員さんの方を見ると、変わらず微笑んでいた。

「そうですね、確かライチ味だったと思います。」


その言葉を聞いた後、強いめまいのような感覚に襲われて、意識が途切れた。


◆◆◆


目が覚めると、なぜか森の中に立っていた。

傍らにはギラギラと輝く剣があり、その体には頑丈な革の鎧をまとっていた。


そして視界の端には、ゲームのようなUI(ユーザーインターフェース)が表示されている。


【ステータス】

 名前 :アフロン

 レベル:Lv. 4

 職業 :冒険者(Dランク)

 スキル:『無限の剣技(アペイロス・クシファスキア)』


(は?)


目の前の状況に混乱していると、頭の中に直接響くような声が聞こえる。

『新たな称号を獲得しました。』


そして目の前のステータスに項目が追加される。


 称号:『世界を導く転生者』


(おいおいおいおい!マジかよ!本当に転生したのか!?)


信じられないが、この草木の感触、香り、肌を撫でる風。これはどう考えても本物だった。俺が転生したのは、どうやらこの世界の冒険者ということだろう。

バクバクと動き続ける心臓を抑えようともせずに、あたりを駆け回る。


森道を進むと木の板で作られた簡単な標識があった。


← 53km リノティタフィ   カシメトロ 14km →


(なるほど、書いている文字は見たことないが、意味は分かるな。)


俺は、現実世界での退屈な日々を忘れ、冒険者としての人生を謳歌し始めていた。まずは距離の近い、「カシメトロ」とやらを目指すことにした。


ガサガサッ!!


突然なった大きな音に警戒を強める。


ガサガサガサッ!!


目の前にはウサギにツノの生えたような生物が現れた。

(こいつはアルミラージか!思ったより角が長いな。)

俺は剣を抜き、勢いよく駆け出した。


幸いにも、この冒険者の体は、俺とは比べ物にならないほど強靭で、手足は俺の想像した通りにしなやかに、そして力強く動いた。


ザンッ!!と勢いよくアルミラージを切り伏せる。


『アパルテマ・リュスィスを使用してください。』


初めて聞く単語が聞き取れなかった。

俺はダメもとで文句を言う。

「よくわからない固有名詞を使わないでくれ、日本語でわかる範囲で頼む。」


『承知しました。変更を受け付けました。』

『分解装置(アパルテマ・リュスィス) を使用してください。』


「お、聞き取れたよありがとう!」

俺は何もない場所にお礼をいう。

(分解装置か、なるほど、きっと先から腰のところで振動しているこれのことだろう。)


よくわからないがおもむろに、アルミラージに分解装置をかざしてみる。


ヴンッ


小さいモーター音のようなものが聞こえた。

アルミラージの死体を撫でるように、分解装置から出た光があたり、直後、砂のようにさらさらと死体は崩れ落ちた。


崩れたものの中には、アルミラージの角と小さな緑色の宝石が落ちていた。

俺は、角と宝石を拾い上げる。


パッと目の端にUIが表示される。


【アイテム取得】

 アルミラージの角×1

 緑結晶(極小)×1


この世界のルールがわかってきた。

俺は街を目指しながら目についた魔物を倒し続けた。

倒すたびに、心臓がドキドキと高鳴り、全身に満ちる達成感に酔いしれた。この世界は俺のために存在しているのだと確信した。


しばらく進むと、道が開けて、目指していた町が見えてきた。

急ぎ足で向かい、街につくとそこには俺が生きていた世界とはまったく別の文明が広がっていた。

「おぉ...」


思わず声がこぼれる。

耳を立てると、予想通り彼らの話す言葉が理解できた。

この様子なら、俺が普通に日本語で話しても通じるだろう。

なんて考えながら、街を散策していると「冒険者ギルド」と書かれた看板を見つけた。


3階建てのビルくらいの高さのその建物は、どこか中世ヨーロッパの雰囲気を感じさせる見た目をしている。ドキドキしながら木製のドアを開け、ギルドへと足を踏み入れる。


活力というかなんというか、元の世界にはなかった、命がけで戦っている者たちの熱を感じた。


扉を入って正面にある受付へ向かう。

受付の女性は、正直元居た世界の人間と変わらないように見えるが、問題は言葉が通じるかどうかだ。俺は、恐る恐る口を開く。

「一番簡単な討伐依頼を受けたいのですが……。」


女性はにっこりと微笑み答える。

「承知しました。ステータスの提示をお願いします。」


『オープンと言いながら右手を胸の前で、右方向にスライドさせてください。』


やや恥ずかしがりながら聞こえたとおりにする。

「オ、オープン。」


目の端にステータスが表示された。

はじめに見た時からレベルが上がっている。


【ステータス】

 名前 :アフロン

 レベル:Lv. 7

 職業 :冒険者(Dランク)

 スキル:『無限の剣技(アペイロス・クシファスキア)』


受付の女性はメモを取り終えると、俺に2枚の紙を渡してきた。

「アフロン様。ありがとうございます。こちら、一番簡単な依頼書と現在のアフロン様のレベルに最適な依頼書がありますが、一番簡単な方でよろしかったですか?」


ずいぶん優秀な女性だと感心しつつ返事をする。

「じゃ、じゃあ、レベルにあった方で!」

「承知しました。では、依頼書の写しと報酬、そのほかの情報を登録させていただきますので少々お待ちください。」


受付の女性は何やら空中で指をせわしなく動かし、その動きが止まると俺に視線を戻した。

「情報の登録が完了いたしました。依頼を達成した際には、再度向こうの報告用窓口にて依頼完了の旨をお伝えください。」


(ちゃんとしてるなあ。)


感心しながら返事をする。

「わかりました。ありがとうございます。」


ステータスを表示したついでにいろいろと試してみたが、依頼の情報もこのUIから確認できるらしい。ご丁寧に地図も表示されている。


場所は先ほどの森だが、どうやら俺の出会わなかった、少し強力な魔物が潜んでいるらしい。

てっきり、アルミラージから回収したような宝石が通貨の役割を果たしているのかと思ったが、依頼書の報酬を見るに通貨は別であるようだ。

俺はこのアイテムをお金に変えられる場所を探した。


換金所はギルドの2階にあり、すぐにある程度のお金を手に入れることができた。

俺はこの金で、宿を取りその日は基本的な情報収集と準備に勤めた。


翌朝さっそく目的地へと向かう。


ある程度の道のりがわかっていたことと、元の世界とこの世界での体力の違いがある程度把握できていたため、昨日の半分以下の時間でたどり着いた。


(さすがに走り続けると疲れるな。)


俺は少しだけ休憩をしてから、地図に示された場所に向かう。

樹木のような見た目をした魔物だとのことだが見つからない。あたりを歩き回っていると、突然空気が変わる。


俺はいつでも反応できるように剣を抜き、集中力を高める。


(空気を切る音が聞こえるっ!!)


ザンッ!!真後ろから伸びる枝のようなものを切り落とす。


(おいおい...ちょっとでかすぎじゃないか……)


俺の目の前には周りの樹木よりも一回りほど大きい、「トレント」と呼ばれる、木の魔物がうごめいていた。


先ほど切り落とした枝も、かなりの質量を感じたのだが、こいつにとっては髪の毛数本分くらいのダメージだろう。


俺は「ふぅ...」と深く息を吐き、改めて気合を入れる。


(昨日いろいろと調べた成果を出す時が来たな。)


俺はトレントの攻撃を捌きながら隙を探す。

幸い、一撃の攻撃はそこまで強力ではないため、捌ききれなくてもあまりダメージはなかった。とはいえこのままいけばじり貧になって負けるだろう。


(まずはこいつだ!)

「フローガ!!」


トレントに左手を小銃のように向けて、叫ぶ。

しっかりと相手を狙いすました人差し指と中指の前に、火球が現れ狙った方向に勢いよく飛んでいく。


ドォンッ!!という轟音とともに、トレントの火球が命中した部分がはじけ飛び、周りの枝葉が燃え上がった。


(よしっ!初めて使ったがいけるぞ!)


トレントの叫び声を聞きながら続けざまに、技を出す。

「アペイロス・クシファスキアッッ!!!」


そう叫びながら剣を降ると、一度だけ切りつけたはずのトレントの全身がズタズタに切り刻まれていく。

その斬撃は俺が手を止めた後もとまらずに目の前の魔物を刻み続けた。


炎と斬撃でボロボロになったトレントは、断末魔をあげることをやめ、倒れこんだ。


(受付さんの見立て通り、一人でどうにかなったな。)


俺はトレントに近づき、腰の分解装置をかざす。


さらさらと崩れたトレントからは、少し大きな緑の結晶が手に入った。

そしてもう一つ、依頼書に書かれていたトレント討伐の証となる、アイテムが手に入った。


【アイテム取得】

 トレントの心幹×1

 緑結晶(中) ×1


冒険者ギルドに戻り報告をすると、窓口の女性に聞かれる。

「報酬の内訳はどうなさいますか?」


内訳という意味が分からず、単純に疑問を返す。

「内訳というのはどういうことですか?」

「パーティの人数や役割を教えていただければ、こちらで割り振らせていただきますよ。独自の内訳基準がある場合にはそちらを教えていただければ対応します。」


「そういうことでしたら、今回は一人で討伐したので特に割り振りしていただかなくてもいいですよ。」

「おひとりですか?少々お待ちください。」


そう言うと、窓口の女性はどこかへ行き、依頼書を登録してくれた受付の女性を連れて戻ってきた。

何やら二人で、こそこそと会話をした後に、窓口の女性が再び俺に話しかける。

「お待たせいたしました。もう一度確認させてください。あなたがトレントを一人で討伐したというのはまちがいありませんか?」

「ええ、間違いありません。」


窓口の女性は、深刻そうな顔をする。

「本来であれば、トレントはあなたと同じレベルの冒険者が、3人以上いて討伐するのが普通です。」

「でも、俺にちょうどいいレベルだって。」


「それは”一人で”という意味ではありません。私たちもあまりに当たり前のこと過ぎて、人数の確認を失念しておりました。大変申し訳ございませんでした。」


深く頭を下げる二人に慌てて言葉をかける。

「頭を上げてください!」


頭を上げる二人に言葉を続ける。

「一つ聞かせてください。一人で活動するのはダメなのでしょうか?」

「禁止はされていません。しかし、よほどとびぬけた冒険者でなければ、3人以上のパーティを組んで、お互いの欠点を補いあいながら依頼をこなすのが普通です。一人で活動している冒険者は当ギルドで把握している中でも2人しかおりません。」


受付の女性が話し終えると、それまでガヤガヤと喧騒に満ちていたギルドが、水を打ったように静まり返った。


目立たないようにと思っていたが、やってしまった。あまりにもこの世界の常識すぎて、昨日調べた書物にも記載がなかったようだ。


(やっぱりこういう時はあのセリフをいうべきか。)


俺は、やってしまったという気持ち半分。うれしい気持ち半分で、息を吸い込みあのセリフを言う。


「俺なんかやっちゃいました……?」


次の瞬間、地鳴りのような「オオオ!」という叫び声が響き渡る。

酒を飲んでいた男たちがテーブルから立ち上がりグラスを空に掲げ、興奮した様子の女たちが黄色い声を上げる。


「すげえな!本当に一人でトレントを倒したのか!?」 「とんでもない奴が現れたぞ!」 騒ぎの中心にいる俺に、ギルド中の視線が集まり、まるで歴史に残る偉大な冒険者でも見るかのような熱気に包まれた。


そんな中で俺は、やれやれといった顔をしながら、騒ぎの中心で注目を浴び続けた。

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