第25話 ようこそ、黒壁高等学校へ

 千正は校舎内に入って早々、とある異変に気付いた。

「あの......失礼を承知で言うんだけれど......古いというより、その......」

 割れたままの窓ガラス、日焼けしすぎて最早何が書かれているのか分からない掲示物、蛍光灯が取り付けられないまま放置された天井のアダプタ......物言わぬ校舎の備品たちが黒壁高等学校の有様を的確に伝えていた。

「はいっ! 仰る通り、ボロボロのボロ校舎ですっ! レトロで味がありますよねー」

 予想はしていたが明るく校舎の惨状を答える砂尾に、呆れ果てた表情になった。

「レトロというか......まあ、いいわ」

「最後に修理されたのは確か五年前だったような? 忘れちゃいましたけど。あ、そこの床抜けるんで気を付けてください」

 何年も前に書かれたのであろう『注意!』と記載された、色褪せた紙が貼られている箇所を千正は避けながら

「これ、落ちたら間違いなく大怪我するけど、こんな重要なものも直せないぐらい資金が無いの?」

と聞いたが、砂尾は

「ありませんねー。あー、あと水が出ないトイレがいくつかあるので、トイレに行きたかったら私に聞いてくださいねー」

と、いつもののんびりとした口調で返ってきた。

黒壁高等学校が貧困に窮していることを千正は知っていたが、まさか自身の校舎の設備管理すら出来ないほどに弱っているとは思いもしなかった。今、千正は身をもって破産寸前の学校の末路を体験しているのだった。


 二人は階段を使って二階に上がった。

 窓から部屋の様子を覗いてみると、埃をかぶった旧式のデスクトップパソコンや、つい昨日まで作業していたかのように乱雑に机に置かれたファイルたちが散見された。

「さっきから仕事をしている学生の姿が見えないんだけど」

 千正の問いに対して砂尾は「あー、そのー......」と歯切れ悪く答えた。

「何人かの学生たちは知らない間に転校手続き済ませて転校しちゃいましたー......残ってる学生たちは実家に帰ってオンラインで授業受けたり仕事をしたりしていますねーまあ、その中にも既に転校手続きを済ませている人が何人かいるんですけどぉ......」

 砂尾は悲しげな表情になった。千正の前で初めて見せたその表情に思わず息をのんだが、咳払いをして気を紛らわした。

「こんな様子じゃ、百歩譲って私が生徒会長になったところでどうしようもないわね」

「それは......そうかもしれません」

 千正としては場を和ませるための発言だったが逆に一層しおらしくなってしまい、千正の顔に後悔の翳りが差した。すると、前方から「でも」という声が聞こえ、千正は顔を上げた。そこには三白眼で髪を後ろで纏めた女性が立っていた。

「あっ香里ちゃん!」

「自分の学校を売り飛ばすような奴よりかは、姉の復讐のために自分の学校に対してクーデター起こすような方に賭けた方が百万倍マシなのです」

「あなたが、犬神香里さん......」


「そろそろ限界かなと思って来てみましたが、ベストタイミングだったようですね渚先輩」

 そう話す犬神の表情は喜怒哀楽の一切の感情が喪失しているかのようで、アンドロイドと言われれば何人かは信じてしまうかのような風貌であった。

「危なかったよぉーさん、無意味とか言うんだもん。泣いちゃいそうだったよー」

 そう口にする割にはいつも通り、ニコニコ笑っていた。そんな二人に対し、眉をしかめながら千正が口を開いた。

「そこまでは言ってませんっ! というよりここ、私の見間違いでなければ生徒会長室......だと思うんだけど」

「そうです。生徒会長室ですけど?」

 何がおかしいんだと言わんばかりの表情で砂尾が返した。

「いや、私が言いたいのはそういうことじゃなくって......」

「生徒会長は数か月前に自身の責任を放って行方不明になりました。多分、実家に帰ったのでしょうが。なので主がいない今、使っても構いません。むしろ有効活用と言えるでしょう」

「あぁ......そう......」

 砂尾に出会ってから十数回以上ため息をついたが、また一つカウントアップさせられた。

 千正たちは黒壁高等学校の生徒会長室の応接間のソファに座っていた。しかし、慶雲女学園の同室とは比べ物にならないぐらい質は悪く、ソファは所々綿がはみ出ており、机もいくつか傷が入っていた。

 千正は顔を引き締め、二人の方を見据えた。

「改めて自己紹介させてください。私は――」

 自己紹介の最中に犬神が遮った。

「いえ、もう知っています。慶雲女学園 生徒会技術保守部の千正朱熹さん、階級は課長級。休学しているが必要な単位は取得済みなので一応三年生。技術開発部を分割させ片方の部の部長になろうと計画し、学園内の旧技術開発部員にボイコットするよう扇動、クーデターを試みたが失敗。現在は近くの実家で療養中。ですね?」

 愕然としてしまい言葉が出なかった。犬神は眉一つ動かさずに、三白眼でじっと千正を見つめたまま続けた。

「『なんでそんなに知っているんだ?』というご様子ですね。まあ、高校一年生から露骨な昇進欲を見せつける謎のエリートの素性を調査し、観察し続ければ誰でも分かります。『あぁ、この人は復讐のために生徒会長になろうとしているんだな』と」

「じゃあ、私があなたたちの要求になんて答えるか、予想は付いているでしょう?」

 俯きつつ薄ら笑いを浮かべながら聞いた千正に対し、犬神は間髪入れず答えた。

「ええ、『YES』です」

 思いもよらぬ返答に頭を上げた。視線の先には真っ直ぐと千正を見つめる犬神がいた。

「どう考えたらそうなるの? あなたがさっき言った通り、私はクーデターを起こして失敗して実家に逃げ帰った。今更、転校して生徒会長になるわけがない」

 情けない自分に対する憐れみと自嘲を含めて疑問を口にした。そう話す彼女の脳内では早乙女から受けた屈辱が何度もリピート再生されていた。

「......いや、そもそも、生徒会長になれるかどうかも分からない......もしかするとまた失敗するかも......しれない。私には、力が無いから......」

 か細い声で、二人に対してというより千正自身に対して呟いた。

 それから少しの沈黙が生じた後、儚げな千正をじっと見つめていた犬神が口を開いた。

「......渚先輩と一緒に、校舎内を回ったでしょう」

「......回ったけど、それが?」

「この校舎に価値はあると思いますか?」

「まあ、歴史的な価値はあるかもしれないけど......で、それがどうかしたの?」

 唐突に始まった犬神の話の意図が理解できず、千正は困惑した。

「早乙女生徒会長がなぜ、このボロボロの学校を売ってほしいと言っているのか、分かりますか?」

「......そう言われると、確かに......あっ」

 隣で「そういえば、なんでだろう?」と首を傾げている砂尾に構わず、何かに気付いた様子の千正を見て犬神は首を小さく縦に振った。

「そうです。早乙女生徒会長は黒壁の校舎や学生なんてどうでもいい。目当てはです。タダ同然で校舎ごと土地を買い取り、使えないと判断した学生はおそらく自主退学という形で追い出すつもりです」

「えっ、そうなの?」

「そうです。言うの三回目ですよ渚先輩」

「ごめんごめん」

 砂尾と犬神が漫才をしている中、 千正は眉間にしわを寄せて反芻していた。その千正の様子を犬神は見逃さなかった。

「千正さん、黒壁の現状が分かったでしょう。私たちのリーダーは保身で学校を売ろうとしているから頼りにできない。早乙女生徒会長に売却されれば、校舎は潰され学生は追い出される。しかし、売却されなくてもご覧になられた通りいつかは破産し、校舎も学生も消えゆく運命にあるのです。これを救えるのは早乙女生徒会長に強烈な対抗意識を燃やし、行動力も兼ね備えている千正朱熹しかいないのです」

「......」

「もちろん、私たちはあなたをサポートします。あなたを途中で見捨てたりなど、絶対にしない」

「......」

 檄を飛ばされても視線を逸らして沈黙を貫く千正に犬神はを浴びせた。

「......そうですか、YESと言わなければNOとも言わない。そんなどっちつかずの中途半端な態度だからこそ、クーデターは結局失敗したのです」

「なんですって......!?」

 明らかに千正の目つきが変わったが、構わず機械的に冷水を浴びせ続けた。

「所詮、あなたもその程度の人。私たちの見込み違いだったようです。自分の意思すら即答できないような人なら、『クーデターなんて初めからすべきではなかった』」

「......っ!!」

 後半の台詞は犬神の知るところではないが、親友と喧嘩別れした際に吐き捨てられた台詞を再度吐き捨てられ、千正の脳内にトラウマが突如として鮮明にフラッシュバックした。呼吸が激しく乱れ、千正は胸を押さえた。

「あなたにっ......!! 私の、何が分かるっていうの......っ!!」

 隣でオロオロする砂尾をよそに、犬神は今にも殴りかかってきそうな殺気に満ち溢れた千正に全く気圧されず、冷徹な目線を浴びせ続けた。

「......渚先輩、千正さんはお帰りのようです。玄関までご案内お願いできますか」

「......分かった......やる」

 犬神は微かに口角を上げた。

「今、なんと?」

「だから......やる! 黒壁高等学校に転校して、あなたたちの生徒会長を追い出して、私が生徒会長になるっ!」

 前のめりになって宣言した千正に対し、犬神はフフッと笑った。

「ようこそ、黒壁高等学校へ」

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