遊具作り

 朝陽が森の隙間から薄く差し込み、小屋の床板に縞模様の光を落としていた。

 リクトは既に目を覚ましており、窓辺から外を眺めていた。

 ふと日本にいた子供の頃の公園での思い出がよみがえる。


 桜並木に囲まれた小さな公園。

 錆びついたブランコが風に軽やかに揺れ、滑り台の青のプラスチックが午後の陽射しで温められている。

 幼い自分が母親の手を引いて走り回り、他の子供たちと笑い声を響かせていた、遠い日々の記憶だ。


「んんっ……」


 布団の中で寝返りを打つ音が聞こえ、リクトは現実に引き戻された。

 シシリアがゆっくりと身体を起こし、寝ぼけ眼で見つめてくる。

 彼女の髪は寝癖で跳ね、片方の頬にはよだれの跡がうっすらと刻まれていた。


「リクト……もう起きてるの?」


 シシリアの声は寝起き特有のかすれ声で、まだ完全に覚醒していないことを物語っていた。

 彼女は小さく欠伸をし、手の甲で目元を拭う。


 リクトは穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ、少し前に目が覚めた」


 シシリアは毛布を肩まで引き上げ、寒さから身を守るように身体を丸めている。

 森の朝は冷え込むのだ。


「何かするの?」


 リクトは少し考えてから口を開いた。


「遊具を造ろうと思って」


 シシリアは首を傾げ、困惑の色を瞳に浮かべた。


「ゆうぐ?」


 彼女の表情から、その言葉が完全に理解できていないことは明らかだった。

 獣人の村には、そのような概念は存在しなかったのだろう。


 リクトは彼女の無垢な疑問に微笑みながら、どう説明すれば良いか考えを巡らせた。


「遊ぶための道具のことだよ。楽しむためだけに作られたもの」


 リクトの説明を聞いても、シシリアの困惑は深まるばかりだった。


「楽しむため……だけ?」


 彼女の価値観において、道具とは生活に必要不可欠なもの、生存のために使われるものだった。

 純粋に楽しみのためだけに存在する道具など、想像すらできない。


 リクトは立ち上がり、彼女の前にしゃがみ込んだ。


「そうだ。例えば、高いところから滑り降りる道具とか、空中にぶら下がって揺れるだけの道具とか」


 リクトは手振りを交えながら説明する。

 しかし、シシリアにとってそれらは全て危険な行為にしか聞こえなかった。

 彼女の眉がひそめられる。


「危なくないの?」


「う~ん、確かに危険はあるけれど、それも含めてスリルがあって楽しいんだ」


 リクトの説明を聞きながら、シシリアは恐る恐る毛布から出て正座した。

 彼女の尻尾が好奇心と不安を表すように小刻みに揺れている。


「私……よくわからない」


 言葉で説明するより、実際に作って見せた方が早いだろう。


「作ったら一緒に遊んでみよう。きっとわかるよ」




 *




 朝食を済ませた後、二人は家の近くの開けた場所に向かった。

 リクトは制作に適した平坦な地面を選び、まずは全体のレイアウトを頭の中で思い描いた。

 シシリアは少し離れた切り株に腰掛け、リクトの作業を興味深そうに見守っている。


「最初はブランコから作ってみるよ」


 リクトは地面に向かって両手を翳した。

 地属性魔法を発動させ、周囲の土壌から必要な鉱物成分を抽出する。

 彼の掌に集められた物質は、徐々に固い石材へと変化していった。


 シシリアは息を呑んだ。

 何度見ても、リクトの魔法は驚異的だった。

 ただの土くれが、彼の意思によって全く別の物質に変貌していく様は、まさに創造の奇跡そのものだった。


 二本の頑丈な支柱が地面からゆっくりと立ち上がる。

 リクトは魔法による精密な制御で、支柱の太さや高さを調整していく。

 計算された美しい曲線を描きながら、支柱の上部は横棒で繋がれた。


「次はロープだな」


 リクトは周囲に自生する植物の蔦を集め、「植物繊維強化」の魔法を施した。

 通常の植物繊維では決して実現できない強度と柔軟性を併せ持つロープが、彼の手の中で生まれていく。


 シシリアは目を丸くした。

 魔法によって強化された蔦は、触れてみると想像以上に滑らかで丈夫だった。


「すごい……これ、全然切れそうにない」


「人が乗っても大丈夫なくらいにはね」


 リクトは出来上がったロープを支柱に結び付け、最後に座面となる木材を取り付けた。

 研磨でなめらかに削られた板は、座り心地を考慮して微妙に湾曲させてある。


 完成したブランコを見て、シシリアは首を傾げた。


「これが……ゆうぐ?」


「ブランコっていうんだ。このロープにぶら下がって、前後に揺れて遊ぶんだよ」


 リクトの説明を聞いても、シシリアにはまだピンと来なかった。

 しかし、彼女の瞳には好奇心の光が宿っている。


 続いてリクトはシーソーの制作に取りかかった。

 今度は支点の計算が重要になる。

 リクトとシシリアの体重差を考慮し、バランスポイントを慎重に決定していく。


「これは二人で遊ぶものなんだ。片方が下がると、もう片方が上がる」


 リクトは地属性魔法で支点となる三角形の台座を作り、その上に長い板を乗せた。


 続いて、リクトはすべり台の制作を開始した。

 緩やかな勾配を持つスロープを作り、表面を滑らかに仕上げる。

 階段も併せて作り、安全性を確保した。


 更に鉄棒も作ろうと思った。

 鉄棒は文字通り鉄で作成した。

 リクトは土壌から鉄分を抽出し、魔法で精錬して純度の高い金属棒を生成する。

 二本の支柱に固定された鉄棒は、人の体重を支えるのに十分な強度がある。


 最後に、最も複雑なジャングルジムの制作に取りかかった。

 立体的な格子構造は、魔法による制御が最も難しい。

 リクトは慎重に一本一本の棒を配置し、全体のバランスを調整していく。


 シシリアは驚嘆の声を上げた。

 複雑に組み合わされた構造体は、まるで巨大な鳥かごのようだった。


「こ、これは……何をするもの?」


「中に入って、登ったり降りたりして遊ぶんだ」


 リクトの説明に、シシリアは興味深げな表情を浮かべた。


 そして一時間ほどで、すべての遊具が完成した。


「……ふぅー、こんなもんか」


 リクトは額の汗を拭いながら、自分の作品群を満足げに眺めた。

 子供の頃の記憶を頼りに作った遊具たちであったがは、予想以上に立派な出来栄えだ。


「さあ、遊んでみよう」


 リクトはシシリアに手を差し伸べた。

 彼女は恐る恐る立ち上がり、まずはブランコに近づいた。


「これ、怖くない?」


「大丈夫。ゆっくりこいでみよう」


 リクトはシシリアをブランコの座面に座らせ、ロープを握らせた。

 最初は背を軽く押してあげる。

 ブランコがゆっくりと前後に揺れ始めると、シシリアの瞳が驚きに見開かれた。


「あ……」


 風が頬を撫で、地面が足下を通り過ぎていく。

 重力から解放されたような不思議な感覚に、シシリアは戸惑いを隠せなかった。


「どう?」


「変な感じ……でも、悪くない」


 徐々にブランコの振幅が大きくなっていく。

 シシリアの不安は次第に好奇心に変わっていった。

 風を切って進む感覚は、確かに楽しいものだった。


「すごい! 飛んでいるみたい!」


 シシリアの無邪気な声が森に響いた。

 彼女の表情は、これまでリクトが見たことのないほど明るく輝いている。


 リクトは彼女の笑顔を見つめながら、胸が温かくなっていくのを感じた。

 まだ7歳の女の子なのだと、改めて実感する。

 これまでの過酷な体験で、彼女の中にある子供らしさが封印されていただけで、これが本来の子供のあるべき姿なのだ。


 続いてシーソーに挑戦した。

 リクトが反対側に座ると、シシリアの側がゆっくりと持ち上がる。


「わあ!」


 急に視線が高くなり、シシリアは座面を握りしめた。

 しかし、恐怖よりも興奮の方が勝っているようだ。


「面白いでしょ?」


「うん! もっかい!」


 二人は交互に上下し、笑い声を響かせた。

 シーソーの単純な動きの中にも、不思議な楽しさがあった。


 すべり台では、シシリアは最初階段を登ることすら躊躇した。

 しかし、リクトに背中を押され、恐る恐る頂上まで上がる。


「大丈夫、俺が下で待ってるから」


 シシリアは勇気を振り絞って滑り降りた。

 スピードと爽快感に、彼女は思わず歓声を上げる。


「もう一回!」


 鉄棒では、シシリアの身体能力の高さが発揮された。

 獣人特有の運動神経で、器用にぶら下がったり、何度も回転したりしてみせる。


「うまいじゃん」


「これ、楽しい!」


 最後にジャングルジムに挑戦した。

 頂上まで登った彼女は、得意気な表情で手を振る。


「リクト、見て!高いよ!」


 遊具で遊ぶシシリアの姿を見ながら、リクトは満足感を味わっていた。


 夕日が遊具に長い影を落とし始める頃、二人はようやく遊び疲れて休憩した。

 シシリアは芝生に仰向けに寝転び、満足そうな笑みを浮かべている。


「リクト、ゆうぐって素晴らしいのね」


「気に入ってくれて良かった。これからは毎日遊べるよ」


 リクトも隣に腰を下ろし、自分の作った遊具を見回した。


 森の中に突然現れた小さな遊園地。

 それは二人だけの特別な場所となった。


 これまで魔法を使って様々なものを作ってきたが、今回は違った。

 生活に必要な道具ではなく、純粋に人を喜ばせるためだけのもの。

 そこにはこれまで味わったことのない、特別な価値があった。


 人を喜ばせることの純粋な喜び。

 それはリクトにとって、全く新しい発見だった。

 勇者として世界を救うという大きな使命よりも、目の前の女の子を笑顔にすることの方が、遥かに価値のあることに思えた。


「遊び疲れちゃったな」


 リクトの言葉と同時に、彼の腹部から控えめな音が響いた。

 空腹を知らせる、身体からの素直な合図。

 一日中夢中になって遊んでいたため、時間の経過を忘れていたのだ。


 シシリアは仰向けのまま、くすりと笑った。

 リクトの腹の音を聞いて、自分も同じ状況だと気づいたのだ。

 彼女も小さく手をお腹に当てて、空腹を確認する。


「私も……お腹ぺこぺこ」


 シシリアの声は疲労で少しかすれていたが、満足感に満ちていた。

 彼女はゆっくりと身体を起こし、リクトと同じように座り直す。

 夕風が彼女の髪を軽やかに揺らし、汗ばんだ肌を優しく冷やしていく。


「帰って夕飯にしようか」


 リクトの提案に、シシリアの瞳が輝いた。

 遊び疲れた身体が次に求めているのは、温かい食事だ。


 二人はこの場所を後にし、家へと向かった。

 夕日に照らされた遊具たちは、まるで二人の時間をひっそりと見守るように、静かに佇んでいた。

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