第18話
しばらくすると妹に夜まで大人しくしろと言って家を出た。
病院までは自転車で二十分かかるかどうかの距離がある。十一時に来いと言われたので十時半に出れば充分間に合うはずだ。にも関わらず俺が十時に家を出た理由は二つある。
一つは疑問が浮かんだからだった。
灰野は本当に死ぬのか?
俺はまだ灰野から自己申告で死ぬとしか言われていない。看護婦さんと仲が良いみたいだったが、それなら妹だってそうだ。通っていれば顔馴染みもできるだろう。
あの体を見れば嘘じゃない気も多分にするが、確かめてみなければ分からない。
もし嘘なら殺人の協力なんて論外だ。元々論外だが、それでもやっぱり断る時の気持ちが違う。灰野が嘘をついていればそれを理由にやめると言えばいい。
もう一つはバットだ。あれさえ奪ってしまえば殺人の片棒を担ぐ必要はなくなる。灰野がずっと入院しているのなら保管場所は病室以外ありえない。ならそこへ忍び込んで取ってしまえばいい。
どちらにせよ病室に行く必要がある。だから俺は待ち合わせ前に病院へと向かっていた。
妹は今日こそ遊んでもらえると思っていたのでそれなりに駄々をこねたが、お菓子を買ってきてやると言ったら途端に大人しくなった。
母さんから小遣いを貰っておいてなんだが、なにかあったら電話しろとも言っているし、なにしろ楽しめと言われてもいる。
夏休みを楽しむためにはなんとしても灰野を止めるしかない。
あいつが死ぬことを捏造していれば先延ばしにできる確率は高いし、そうなれば怒りが収まってもくれるかもしれなかった。
全て憶測だが、俺は久しぶりに頭を使っている感覚を思い出した。そのことについては少し楽しかった。できればもっと物騒でない思考をしたいものだが。
そう言えば河野も「お前は色々考えているくせに言葉として出さないから損している」とよく言ってたな。
その損が回り回って殺人の協力者になることだったとしたら複利の怖さに腰が抜けそうだ。
家から出発して十五分ほどが立つと遠くに丘が見えてきた。あそこの麓に病院がある。大きいからここからでもちらちらと見えた。
その途中に小さな通りがあった。ちょっとした店が並ぶ昔ながらの景色が続く。店と言ってもあるのはクリーニング屋とか年寄り向けの服屋なんかだ。スーパーもあるけど大抵の人はここよりも大きな駅前の方に行く。
通りの終わりに見慣れないものがあった。いや、見慣れないが見たことはある。
花火大会の時にいたひやしあめ屋だ。いつもたこ焼きとか焼き鳥の屋台がある場所に軽バンを改造した店を出していた。しかしあの時と同じように売れてはなさそうだ。
当たり前だろう。やるならもっと流行りのものをしないと。年寄りは好きかもしれないが、結局この通りじゃ大して人は来ないだろう。
無精髭にメガネの店主と目が合った。あっちが「あ」という顔をするので通り過ぎるのも躊躇われ、俺は思わず自転車を駐めた。店主は少し嬉しそうに話しかけてきた。
「花火大会で買ってくれた子だな。あの時はありがとう。おかげで売り上げゼロを回避できた」
まさかあれだけ人がいたのに俺しか客がいなかったとは。
「……今日はここでやるんですか?」
「まあね」
「あの、言いにくいんですけど、ひやしあめってあんまり売れないと思いますよ」
「だろうな。今の若い子は存在すら知らないだろうし。儲けることだけ考えたらもっとメジャーで人気があるものを売った方がいいだろうな。でもいいんだ」
「売れなくても?」
「うん。効率や論理じゃない。俺はこれで行こうと思った。そしてそれを実行している。この事実が大事なんだよ。なによりこうして立ち止まってゆっくりと周りを眺めることができる」
店主は楽しそうに周囲を見渡した。売れてないっていうのになんとものんびりしている。
「いや、でも売れなかったら意味ないんじゃないですか?」
すると店主はフッと笑った。
「意味はある。やりたいことをやっているんだから。ただそれを世の中が認めるか認めないかだけ。要はあれだよ。基準をどちらにおくかだ。こちらに置くか、あちらに置くか。俺は自分に置いて、君は世間に置いた。差があるとすればそれだけだ」
一体なんの話だ? せっかくこっちが親切で言ってあげてるのに。
時間もないし、そろそろ行こうと思った矢先、店主は俺に紙コップを差し出した。
「あげるよ。この前のお礼だ」
「え? でも」
「いいんだ。君の言う通りどうせ売れないし。余らせても周りの人に配るだけだからね」
ならいいか。俺は「ありがとうございます」と言って紙コップを受け取った。中のひやしあめを飲み干すと空になったコップを店の前に置いてあるゴミ箱へと入れる。
「どう?」
「あー。まあ、慣れれば結構おいしいですね」
「そうなんだ。俺は苦手なんだけどね」
じゃあ売るな。
「待ち合わせ?」と店主は聞いた。
「はい。まあ」
「じゃあ、いってらっしゃい。気を付けてね。最近物騒だから」
それは身をもって感じていた。
「ごちそうさまでした」
俺はそう言うと再び自転車を漕ぎ出した。
古い町並はまだ続く。あんまりここが好きじゃなかったけど、今は悪くないと思えた。
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