第13話

 駅前からこの前花火大会があった方へと移動すること十五分。

 辿り着いたのは丘を背にした大きな病院だった。

「こっちよ」

 灰野は慣れた足取りで病院の裏手に回っていく。

「家みたいなものって……」

 俺は驚きながらもどこか腑に落ちていた。灰野の体は病人のそれだったからだ。

 ちらりと見た感じ受付周辺は人でいっぱいだったのに、灰野が案内した裏口周辺はほとんど誰もいなかった。

 廊下から階段へと移動し、登っていく灰野のあとを追おうとしたところ、通路の先にいた白衣を着た若い男と目が合った。

 一瞬まずいと思ったが、ここは病院で色んな人が行き来するので何気ない顔をしておけば大丈夫だろう。俺は軽く会釈すると逃げるように階段へと進んだ。

 息を切らし、汗を流しながら階段を登り続けると五階建ての病院の屋上が待っていた。

 こんなところ解放して色々大丈夫なのかと心配したが、高い柵でしっかりと守られている。

 ベンチに座って俺を待っていた灰野は意外にも肩で息をしていた。汗をハンカチで拭いながら息を整えている。

「……だ、大丈夫か?」と言う俺も息が荒かった。

「……大丈夫……じゃない、けど……、体力……つけないと…………」

「……野球のために?」

 そう聞くと灰野は大きく深呼吸すると立ちあがった。そして柵の方まで歩いて行くと、その中の一本をぎゅっと握った。

 近くに寄ると灰野はどこか遠くを睨んでいるみたいだった。そのあまりの殺気にただならぬ事情が見え隠れする。

 俺は本当にそれを知っていいのか? そんな疑問が浮かんだが、今更引き返せない。

「……それで? あの夜、なんであんなところにいたんだ?」

 呼吸を整えた灰野は遠くを睨んだまま口を開いた。

「……聞いたらもう戻れないわよ」

 それは答えをはぐらかしているというよりは忠告しているように聞こえた。

 今日一日一緒にいてそんな感じはしていた。きっと灰野にとってあれは大事なことだったんだろう。

 だけどだからこそ知りたい。こいつの大事なことがなんだったのか。

 なにより知らずにこのまま日常へと戻ったところで予定なんてまるでないんだ。

 俺には変化が必要だった。なら、どんなにイヤな予感がしていても逃げるのだけはなかった。

「…………戻っても仕方ない。俺には予定なんてないんだからな」

 灰野は不満そうに振り返った。

「あんたがそう思っていても、そのなにもない日常が欲しい人だってたくさんいるのよ」

「……かもな。でもそれは俺じゃない。いいから言えよ」

 灰野はフッと息を吐き、ニヒルな笑みを浮かべた。

 それを見た瞬間、俺はしまったと思った。理由は分からないがそう思ったんだ。

 後悔すると同時に学んでもいた。

 世の中には進んでもいい道とそうでない道があることを。努力とか諦めない心とか。いくらそういったものがあっても、間違った道のために使ったら意味ないって。

 灰野は言った。

「いいわ。教えてあげる。あの夜、あたしは人を殺す練習をしていたの」

 予想通りに予想外な答えが飛んできた。

 イヤな予感は最悪な形でぴたりと当たり、頭の中が真っ白になる。

「……………………人を? ……え?」

「殺すのよ。殺人。あれはそのための練習だったの」

 灰野はその言葉を信じたくない俺に繰り返し告げた。

 急激に喉が渇き、そのせいで俺はゴクリとつばを飲み込んだ。

「……………………冗談だろ?」

「紛うことなく本気よ」

 灰野の目は真剣そのものだった。まるで野球強豪校のキャプテンが甲子園に行くのは自分達だと信じているみたいだ。

「…………………なんで……そんなこと……」

 灰野は儚げな笑みを浮かべて自分の細い右手を見つめた。

「あたし、死ぬの。三ヶ月後に。もう助からない。だから殺すの。ほら。よくあるじゃない。死ぬまでにしたいことをするってやつ。あれよ。あたしの場合あれが殺人なの」

 衝撃的な言葉が次々と降りかかる。

 余命三ヶ月? 灰野が? だから殺すって……。

 唖然とする俺に灰野は荒んだ笑みを見せる。

「おかしいって言いたいの? まあそうよね。あたしだって本当はこんな命の使い方はしたくないわ。でも仕方ないじゃない。人生の終わりに殺したい奴が現れたんだから」

「…………でも……それじゃ……」

「犯罪者になる? それがなに? あたしには家族なんていないし、どうせ捕まったって裁かれる前に死んでるわよ。だったら殺したい奴を殺しておく方がお得じゃない?」

 異常だ。あの殺気の裏にこんな異常性が秘められていたとは……。

 俺は初めて灰野に恐怖した。思わず一歩後ずさる。

 だが灰野は逃がさないと言わんばかりに詰め寄ってきた。

「逃げたってもう遅いわよ。あんただって共犯者なんだから」

「……は? なに言って――」

 俺が話し終わる前に灰野は金属バットの入ったケースを奪い取った。そしてバットの持ち手をケースから少しだけ出した。

「殺人現場に血の付いたバットが一本落ちていました。そこには男子学生の指紋がついています。警察が調べるとその男子学生がリサイクルショップでバットを買った映像が残っていました。さて。犯人は誰でしょう?」

 やられた――

 俺はまんまとハメられたんだ。

 その事実が分かると背筋が凍り、津波のような後悔が訪れる。全部が全部、嘘であってほしかった。

 夏空を背景に灰野は打って変わって爽やかに微笑む。

「よかったじゃない。あんたに予定ができたわよ」

 灰野はそう言うが、なにもよくはなかった。

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