円周率を求めて

第7話

 私は、実際のところ、キセという少年について、何もわかってはいなかった。数術のよくできる、才能のある少年。

 その程度の認識しかなかった。

 だから、私は少し後悔した。と同時に、胸に刻んだ。

 よく見ること。

 よく考えること。

 それは、数術においても大切なことだった。




 柔らかな日差しで、暖かなお昼過ぎだった。

 本の整理の途中、ちょっと休憩がてらに本を開いて、思いのほか止まらなくなってしまっていた時だった。

 かららん。と、カウベルが鳴った。

 ん? と顔をあげる。

 図書館テレリアの入り口にキセが立っていた。


「こんにちは」


 そう言って頭を下げるキセ。

 私も「こんにちは」を返す。それから、ふと聞いた。


「まだ昼過ぎだろ、ずいぶん来るのが早いな。学校、早く終わったのか?」

「学校には行っていません」


 私はその言葉に「んっ」となった。キセの年齢で学校に行かない、ということはかなり珍しい。その疑問が口を突いて出る。


「へぇ、珍しいな。親の方針か?」


 キセは少しモジモジして。


「ボク、両親がいないんです」


 親がいない? って、ことはキセは。 ――孤児か。

 迂闊だった。

 キセは身なりもしっかりしていて、礼儀もできていた。だから、きっと裕福で育ちの良い家庭なんだと、勝手に思い込んでしまっていた。

 孤児であって、立派な身なりをしていて同時に礼儀ができている。

 それは、一つのことを示していた。


「キセの家は、養護施設オルファリナか」


 キセは、こくんと頷いた。

 養護施設オルファリナは少し特殊な施設だ。

 親に捨てられている男の子を拾い、衣食住と教育を与える。子供のうちは施設の手伝いをさせる。それから少しずつ、社会奉仕をさせて、働くための能力と伝手を得る。そうして、自分で稼げるようになったら施設を出ていく。そういう場所だった。


「──まぁ、大変だな」


 上手い言葉が見つからず、ぼんやりした気持ちがそのまま口から出る。我ながら、別の言い方があるだろうに思うほど酷い言葉だったが、キセは慌てて首を横に振った。


「毎日が楽しいです。みんな優しいんです! 先生も、年長のお兄さんたちも」


 ニコニコしながら言った。

 その言葉に嘘はないのだろう。

 なによりキセの笑顔がそれを証明していた。

 それを見て私は少し安心した。


「それなら良かった。で、今日は何をする?」

「はいっ! 数術を、教えてください!」


 私は思わず笑みを浮かべる。

 キセの前のめりな姿勢がなんだか微笑ましい。


「その心意気や良しだな。じゃあ、適正診断だ。キセは図形と数字どっちが好きだ?」


 現在の数術では、大きく2つの流れがある。

 最初が王道中の王道、図形の性質や特徴を研究する、幾何学と呼ばれる分野。図書館テレリアが解決を目指している三大問題も、この幾何学の問題だ。

 もう一つが、まだ名前のない研究。数字の性質を研究する分野だ。何につながる研究かさえも分かっていないので、研究人口が極端に少ない。

 図形が好きであれば私が教えることができるが、数字の方が好きだった場合はどうしよう。私も触っているが、人に教えるほど出来るというわけでもない。


" ──その時はまぁ、アルに頼もうかな。

折り紙も幾何学っぽいし大丈夫、かなぁ "


 そんな心配をしていると、キセは元気よく答えた。


「図形が好きです!」

「よろしい! いや~、そうだよね! 図形いいよね! では早速、キセ君に図形の問題だ。面積を求める問題で、幾何学の基本かつ重要問題だ。基本だからといって、簡単とは限らない。というか難しい。良い問題だ」


 そう言って、問題を出した。

 正方形を三つ並べて長方形を作る。その長方形の角から反対の角にむかって対角線を引く。その対角線の長さを10cmと書き込む。


「キセは正方形の面積の出し方は知っているか?」

「はいっ!」

「じゃあ大丈夫だな。この図のときに、正方形1個分の面積を求める問題だ」

「はい!」


 キセは元気よく返事をすると、急にもじもじした。

 それから、恥ずかしそうに。


「隣に座っても、良いですか?」


 その様子は年相応で、可愛らしかった。

 私は笑顔で答えた。


「受付は私の聖域なんだ。あっちの机でやれ」


 キセはちょっとしょげた様子で、「はい」と答えた。

 それから指差された机に座って、問題を解き始めた。

 その様子も、年相応で、かわいいものだった。


” さて、そんなかわいいキセには、この問題を解けるだろうか。楽しみだ ”

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