後宮庶妃のチーレムギャップ !〜修羅の後宮からチートハーレムに転移した娘の無駄な苦悩~
昭和からヲタってたおぢさん
前編 悪女達の海に溺れ死んだ娘
あのとき私は、確かに死んだ——
絹ずれの音と、香の匂い。肌の白さを競い合う女たちの視線は、氷のように冷たく、熱砂のように焼けつくようだった。丁寧すぎる笑顔は、刺すような棘でできていた。
ここは後宮。皇帝の寵愛を巡り、無数の女たちが静かに、しかし確実に互いの足を引きずり落としあう場所。
私はそのただ中に、ぽん、と放り込まれた。
、たまた皇帝の”後宮”に紛れ込んだ。それだけ。
でも、分かってなかった。後宮というものが、村の女衆宿の何百倍も恐ろしいということを。
昼は取り繕い、夜は情報戦。食事の席では誰が箸をつけたかで相関図が変わり、笑顔の裏では毎晩誰かが消えている。そんな世界。
「鈴々さま、あら、その髪飾り……とてもお似合いですこと。第一夫人からの賜り物ですの?」
そう訊かれたときの私は、もうパニックだった。
これが褒め言葉なのか、脅しなのか、挑発なのか——多少は女社会に馴れていたつもりだったが、後宮レベルの心理戦は桁が違う。
毎夜が修羅場、毎朝が処刑場。
そんなある日、私は「階段から落ちた」と記録された事故で、意識を手放した。
痛みはなかった。ただ、ふわりと身体が宙に浮いた感覚とともに、思ったのだ。
(ああ、必死に足掻いても結局こんな死に方なんだ…)
そうして、私は死んだ——この世界で一度。
しかし、次に目を覚ましたとき、そこは別の国の、別の後宮だった。
だが今度の後宮は、どこか、おかしい。
森の奥――苔むした倒木の上に、鈴々は倒れていた。
頬を撫でる風の冷たさに、まぶたがわずかに震える。鳥の声が、遠く近く交じり合って聞こえる。――ゆっくりと目を開ける。
(……ここは……)
見知らぬ空。木々の隙間から、昼の陽が差し込んでいた。空腹と乾いた喉の痛みに、身を起こそうとするも、力が入らない。
かすかに覚えていたのは――
(私は……偉い人の……屋敷にいた?)
その記憶さえ、朧だった。
「おい! 誰か倒れてるぞ!」
人の声だ。鈴々は反射的にうつ伏せになった。けれど足音はすぐ傍まで迫り、数人の男たちに囲まれた。
「お嬢さん、大丈夫かい? 怪我してるのか?」
声の主は、若くてがっしりした貴族の従者風の男。そしてその背後に、ひときわ豪奢な衣を纏った人物が控えていた。艶やかな黒髪、バカみたいに整った顔の若い男。おまけに背後には、きらびやかな少女たちをぞろぞろ引き連れている。
(何この人……)
鈴々は己の服の汚れ具合を確認しつつ、朦朧とした表情を作る。
「……わ、わかりません……でも……偉い人の……屋敷で、下女……してた気が、します……」
「記憶喪失かもしれん!」
貴族男――タローは即断した。「よし、俺はタロー。俺の屋敷においで!」
鈴々は一瞬うろたえたが、すぐに俯いて微笑を浮かべた。
「……は、はい……タロー様、ですか……」
(なにこれ、…でも生き延びるには……)
こうして鈴々は、“後宮の亡霊”としての第二の人生を始めることになる。
朝の庭で箒を動かしていた鈴々は、ふと手を止めた。
濡れた芝の上に、紅葉が一枚。陽に透けて、やけに綺麗だった。
――ああ、クソ懐かしい。あの地獄の庭園と同じ光。
「……最悪。思い出しちまった」
苛立ちを吐き出すように小声で呟く。
蓮池の東屋。ぬるい甘茶。取り巻きの女たち。笑顔の仮面と、剥き出しの殺意。
そうだ。自分は末席の妃だった。取るに足らない添え物。皇帝の寵も受けられず、踏み台にされる駒だった。
「あのバカ皇帝、私の顔も名前も知らなかったんじゃない?」
毒を含んだ笑いが漏れる。必死に媚びて、根回しして、足引っ張って、それでも生き残れなかったあの場所。
タロー様の屋敷は、違った。
女たちはなぜか平和。順番守って抱かれて、飯も風呂も共有、嫉妬も争いもゼロ。
「信じられない。何? この全員“聖女”サロン」
派閥が無い? 足の引っ張り合いも無い? 喧嘩すら起きない?
「逆に怖いんだけど。みんな薬でも盛られてんの?」
箒の柄を握りしめる手に、力がこもった。
自分だけがおかしいのか。それとも、周りが洗脳済みの異常空間なのか。
「……とりあえず、今のうちに逃げ道くらい確保しとこうか。笑顔で刺されるのは御免だからね」
そう吐き捨てるように呟いて、鈴々はまた無言で落ち葉を掃きはじめた。誰にも背中を見せずに
煌びやかなシルクのパジャマに身を包んだ女たちが、ふかふかの座布団に輪になって座っていた。軽いお菓子とハーブティーが並べられ、室内には香の良い煙がたゆたう。これは――この後宮名物、夜の語らい。
パジャマパーティーというものらしい。
「ねえ、あの時のタロー様、ちょっと甘すぎじゃなかった? 私、胸がドキドキしちゃった♡」
「わかる〜〜! あの目で見つめられたら、もう降参って感じよね♡」
「でもそのあと、ちゃんとマリア様(第一夫人)のご機嫌とってたのがまた可愛いのよね〜!」
仲良し村娘の井戸端会議のような気安さ。笑い声と黄色い嬌声が部屋に弾む。
その一角に置かれた小さな座布団で、鈴々は額に汗を浮かべていた。
(これは……高度すぎる……)
ぎこちない笑顔を浮かべながらも、彼女の思考はフル回転していた。
(まずい。これが
“はーれむ”というやつか……表面上は仲良し、でも裏では血みどろの派閥抗争が……!)
笑顔の
(あの一言は何だ!? 媚びか? 皮肉か!? いや、あの視線……裏がある。絶対にある!)
彼女はこの宴の裏にあるはずの「派閥構造」を読み解こうと、観察と推理を繰り返す。
(第一夫人は主の寵愛を長く保ってる……つまり彼女に敵対する派閥があるはず。なら第三夫人の取り入りは裏切りの兆しか?)
次に、第六夫人がさりげなくクッションを第一夫人の背に差し出すのを見て、またも脳内で警鐘が鳴る。
(癒着!? それとも彼女が第一夫人派の二番手!?)
だが、数時間が経っても、誰ひとりとして互いを貶める発言をしない。目線も感情も、すべてが一枚岩のように整っていた。
(おかしい……ここまで来ても、まだ誰もボロを出さない。そんなはずが……!)
鈴々はぷるぷる震えながら団子をつまむ。団子が甘いのか苦いのかも、もうわからない。
(わたし、誰にくっつけばいいの……!?)
「鈴々ちゃんはどう思う?」
第一夫人マリアの優しい声に、鈴々は一瞬でフリーズした。
「え、えっ……ええっと……あの……皆さん、とっても素敵です、はい……」
ぎこちない答えに、また笑いが起きる。
「鈴々ちゃんって、本当かわいいよね〜♡」
「主様が気に掛けるの、わかる〜♡」
(なにそれ……怖い……)
その夜、鈴々は部屋に戻るや否や、箪笥から背負い袋を取り出した。
「逃げなきゃ……もうダメだ、情報戦が高度すぎる……! あたしの手に負えるレベルじゃない……!」
そして夜明け前、鈴々の姿は屋敷から消えていた。
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