豪雪地帯に住む
今日(2025.8.11)、だったかな? もう忘れた。
秋田県の人口減少率がワースト1で云々かんぬん、という記事を読んだ。
コメント欄を読んでいると、冬の雪の凄さを指摘しているものがいくつかあった。その中には住んだことのある者しかわからない、といった、その土地で生まれ育ったであろう方のコメントもあった。
雪の怖さは、いくらかはわかる。スキーでそういった地方を訪れたこともある。けれど、家がつぶれるかもしれないほどの雪の中で生活することを想像することは出来ない。
ただ、現在人が住んでいるということは、昔から人が住んでいる、ということ。どうやって生活していたのだろう。
豪雪地帯だけではない。
氷の世界で生活しているエスキモーの人たちや、赤道直下で暮らしている人々、砂漠で生きていく人たち。
彼らは、なぜ過酷な地を捨てることなく、住んできたのだろう。
ひとつには、ほかからの情報が入ってこなかった、という理由があるだろう。
たまたま先祖がそこに住み着いた。もしかしたら否応なく、だったかもしれない。
例えば同伴者の中の誰かが動けなくなったとか、肉食獣に足止めをされ先に進めないまま動けない季節を迎えてしまったとか。進んできた道の過酷さを考えると、後退することも簡単ではなかった、そういうことだろうか。
それとも、もともとは潤っていた土地だったのに突然の環境変化で、周囲が変わってしまったのだろうか。
どちらにしても、孤立した彼らの集落へ情報は入らないだろう。
だからほかの生活を知らないままに、比べることもなく生活してくることができたし、そうせざるを得なかった、ということもできるかもしれない。
もう一つ、変化を避けたということも考えられる。
どんなに夢のような生活が待っていると言われても、目の前にない物を信じられるタイプとそうではないタイプというのは存在する。
南にいけば、ここを離れたら、もっと楽な生活があるという情報を得たとしても、動かなかった人たちはいて、現在も住み続ける人々は、その末裔と言えるのかもしれない。
しかし現代は、映像がある。実際にその地を体験できる。それが、長い間住んでいた土地の過酷さを際立たせてしまう。
そうして、日本では秋田県がその代表となっているわけだが、今後それもどうなっていくかわからないと、今回の大雨で思った。
先の記事のコメントの中に、
「日本海側はもう過疎へ進むしかないだろう」
といったようなものがあったが、これから毎年太平洋側で大雨が降ったらどうだろうか。それが年々ひどくなって行けば、また状況も変わるだろう。
それに。
日本だけでなく、世界中で温暖化が進んでいる。環境の変化は著しい。それに、昔の人々にとってもそうだったように、予測することはまだまだ難しい。
人間の歴史の中でこの世紀が過去となったとき、人類の分布はどうなっているのだろう。
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