縄文文化の母系色

 拙作『歴史について語りたい』に『宇佐のヒメたち』をこそっと追加した。

 菟狭津姫 、神夏磯媛、田油津姫。いずれも宇佐に縁のあるヒメたちである。


 彼女たちに限らず、日本書紀や古事記、風土記には女性を首長とする土蜘蛛の記載があるが、その記録は北九州に殊更多い。


 そして、北九州は宗像三女神の土地でもある。


 大和の姫君たちが男性の母や妻、娘として登場するのに対し、北九州の彼女たちは、共同統治者として、一族を率いる首長として登場する。男性の影のないことも多い。


 ただ、残念なことに彼女たちは征服される側だった。ということは、おそらく稲作よりも狩猟採集で糧を得ていた、つまり縄文の文化を色濃く残した人々だったはず。


 だから、これを理由に、縄文社会の一部は母系社会だったと強く主張したい。


 では、腕力で男性に劣る女性がリーダーであるためには何が必要か、を考えた時、

 東西問わず、すぐに巫女だっただったとかシャーマンとか出てくるけれど、その定義に疑問を抱く。というか、物申したい。


 わたしは、オカルト礼讃派だから、そういう能力がある人たちを否定するわけではない。


 むしろ、そういう能力は実際に利用されていただろうとは思う。


 例えば、カマキリが卵を高いところに産み付けるならその年の雪は多いとか、そういうことに人より早く気が付いていたとか。

 天候の変化に敏感な体質であったとか。

 月の満ち欠けや春分、秋分などを上手く生活に取り入れていたとか。


 そんなことも、巫女やシャーマンという地位が実際にあったのなら、役割だったかもしれない。


 けれど、それのみでリーダーに成れたかというと違うはずだ。

 付属品に過ぎなかったと思っている。


 突然だけれど、象やシャチのような母系社会で動いている動物のリーダーはシャーマンではない。


 彼女たちは、知恵と経験で群れを率いている。


 きっと、人間だって同じだ。

 祈るからリーダーに成れるわけではなく、より多くの食と安全を提供できる人間がリーダーとなる。


 だから、狩猟採集に栽培が加わり定住となったとき、行動しやすい男性とその地を離れにくい女性のどちらが住まう地でのリーダーとなるのが合理的だったか、ということではないかと考える。


 女性は母性を持つがために、男性よりも行動が限られてしまう。妊娠・授乳中に遠方へ異動することを考えてみて欲しい。

 それに、力のある勇敢な男性は、その特性ゆえに短命であっただろうことも考えられる。


 なんて、小難しく書いているけれど、『天空の城ラピュタ』に出てくるドーラ一家のように、母は強し、という側面もあったと思うんだ。


 このように考えて、私の中の卑弥呼は、縄文文化を色濃く残した集団の長である。


 数十年に渡った戦乱を収めるだけのカリスマ性があったことは事実だろうけれど、善政を行ったという実績もあったはず。


 そうだ。

 なんの根拠もないけれど、カリスマ性を発揮する一つは工芸じゃないかと想像している。


 動物を二つの性でみたとき、道具を使い始めたのは女性であるだろうと言われている。

 だから、巫女・シャーマンとされた人たちは、道具に対する発想や工夫を凝らす器用さが秀でている一面も持ち合わせていたのかもしれない。


 例えば、使いやすい罠を発明して、たくさん動物がかかるように祈りを捧げる、祭りをする。そこで、実際にそうなったら、凄い! って思ってもらえるはず。

 自分の箔もつくけれど、よりよい道具が一斉に受け入れられて効率が上がる、という側面もあっただろう。


 そうして、もう一つ大きくカリスマ性を発揮できる因子が医療だ。


 薬草や毒虫、毒を有する海洋生物の知識に秀でて、毒にも薬にも利用できたら。そこに祈りが加われば、きっと知識のない人たちには恐れるに十分な存在になっただろう。


 結局、巫女やシャーマンをただの霊的な役割だけをこなす人というのはおかしくないですか? その役割だけでリーダーになることができる、というのは違うでしょう? ということ。知識を備えているからこそリーダーになれるはずなんだ。


 さて、その卑弥呼は、三女神の土地であり女性首長を多く輩出している北九州に存在したと私は強く思っている。

 だから、必然的に邪馬台国九州説。


 そうでない方々、なんとなくごめんなさい。


 でもね、九州は面白いんだ。


 南の方は、父系社会を想像させる熊襲や隼人たちの存在する場所となる。それに、日向以降の姫たちは、大和のヒメと同じで男性の母や妻、娘として登場する。


 熊襲や隼人も縄文文化を色濃くイメージするのに、北部九州となぜ違いがあるのだろう。


 ちなみに北部九州と地理的にも近い朝鮮半島では、同時代の女性リーダーの記録は無さそう。


 紀伊半島や北陸にも女性の首長は見られるから、北部九州独自の文化ではない。縄文文化ではリーダーの選択肢が性によるものではなかったといえると思う。


 だけれども、北部九州では女性首長の文化が独自に発展している。

 なにかメリットがあったから、そうなったはずだけれど。何がメリットだったのだろう。


 国津神には縄文の、天津神には弥生の影響が認められるのに、高天原の主宰神が天照大神という女神であることにもなにか理由があるはずだと思う。


 ところで、天照大神が皇祖神なわけだから、女性天皇NGっていうのは理屈が立たないと思うのだけど、いかがなものでしょう。



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