第五章 血塗れの艦隊長

朝靄の中、海は静まり返っていた。


 けれど、それは“嵐の胎動”だった。


 先陣を切るように、黒鉄の船団が海を裂いて現れる。どの船も艦首に串刺しの死体を飾り、帆には血で描かれた“目”の印。

 それが、魔王軍副官・イグルの《血塗れの艦隊》だった。


 「来やがったな、クソが」


 バルタが甲板で舌打ちした。彼の視線は、敵旗艦の中央に立つ、あの男を捉えていた。


 ——イグル。

 全身に赤黒い鎧を纏い、目元に包帯を巻いた巨漢。だがその輪郭よりも、纏う“呪気”の重さが尋常ではない。


 「奴は、“魂に喰わせる剣”を使う。殺した数だけ強くなる……」


 私は、魔導書を開き、封印獣エンゴルムを呼び出す準備に入った。


 バルタは剣を背から引き抜き、低く言った。


 「ユラ。イグルは、俺がやる。お前は、周りを封じろ」


 「分かった。けど、死なないで」


 バルタは笑いながら、手を振った。


 「俺は海賊だ。生き汚えんだよ」


 その瞬間、海が割れた。


 イグルが旗艦の艦首に立ち、巨大な魔剣を振りかぶる。剣が空気を切っただけで、海面が凍る。叫び声のような魔力の咆哮が、全艦に響いた。


 「……応えよ、エンゴルム!!」


 私は魔力を捧げ、封印を解く。黒い霧の中から、エンゴルムが現れた。海そのものの一部であるかのような巨大な影。波を噛み砕き、艦隊へと突撃していく。


 「魔獣か……下らんッ!」


 イグルは斬りかかった。海の上で信じられぬ跳躍。重力を否定するように宙を裂き、バルバロス号へ一撃を放つ。


 それを迎え撃ったのは、バルタの剣だった。


 「……喰わせてやるよ。俺の怒りってやつをよッ!」


 激突。剣と剣。魔力と憎悪。


 甲板が爆ぜ、空が裂けた。


 バルタとイグルは、互いに人間の限界を超えた剣技をぶつけ合う。イグルの剣は、かつてバルタの仲間を殺した“魂を喰う刃”——喰われた者の記憶が呪詛となって剣に宿っている。


 「……お前の仲間は、よく喚いていたぞ。『置いていかないで』と」


 「黙れえええええ!!」


 バルタの瞳が血走る。剣が火花を散らし、地を穿つ。イグルの肩を裂いた。血が吹き出す。しかしイグルは笑った。


 「その怒り……喰ってやる」


 黒い光が噴き上がる。イグルの剣が、バルタの胸を貫こうとした、その瞬間——


 「エンゴルムッ!! 喰らえ、“闇の結界”!!」


 私の叫びとともに、黒獣がその巨体を翻した。波を割り、イグルの背後から突進。牙が鋼を砕き、赤黒い魔剣をへし折った。


 イグルの顔に、初めて焦りが走る。


 「小娘……ッ!」


 「これは、私たちの戦い。あなたは、これ以上、誰の魂も喰えない!!」


 バルタが叫ぶ。


 「くたばれ、イグル……俺の仲間の分も、てめぇの血で海を赤く染めろッ!!」


 鋼喰いの剣が、イグルの胸を貫いた。


 次の瞬間、魔剣から逆流した“魂の呪い”がイグルを喰い破る。


 「が、ああああああああああああっ……!」


 イグルはそのまま、呪いに呑まれて燃え尽きた。


 そして、海は静かになった。

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