第3話 深まる呪いと調査の開始

健太の死から数日。僕の日常は、もはや恐怖と不安に支配されていた。授業中も、アルバイト中も、頭の中は手首の痣と、健太の変わり果てた姿でいっぱいだった。痣は毎日少しずつ広がっていく。黒い線は手の甲にまで達し、指先が痺れるような感覚が増していた。鏡を見るたびに、自分の顔が日に日にやつれていくのがわかる。


誰も信じてくれないだろうという思いと、誰かに話さずにはいられない衝動の間で揺れ動いた結果、僕はネットの海に助けを求めることにした。匿名掲示板のオカルト板に、恐る恐る書き込みをした。


「〇〇町の赤煉瓦の家について。入ってしまったら呪われるって本当ですか?」


数分後、すぐに反応があった。


『釣り乙。』

『また赤煉瓦の家かよ、ネタ切れ?』


やはり、こんなものか。そう諦めかけた時、一つのレスが目に留まった。


『赤煉瓦の家、昔から変な噂はあるよな。俺のじいちゃんが言ってたけど、あそこは昔、贄の家だったって。』


贄の家? その言葉に、僕は思わず身を乗り出した。


『詳しく教えてください!』


僕が食い気味に返すと、そのユーザーは慎重に言葉を選びながら、断片的な情報を書き込んでくれた。


『昔、この辺りでは、ある奇妙な風習があったらしい。疫病や飢饉が起こると、村の不幸を全て引き受ける「贄」を立てて、特定の家に閉じ込めたんだと。その「贄」は、二度と外に出られず、村の穢れと一緒に朽ちていくんだって。赤煉瓦の家は、その最後の「贄の家」だったんじゃないかって、じいちゃんは言ってた。』

『でも、ある時、その「贄」が呪いを撒き散らしたとかで、村人全員がひどい目にあって、その風習は途絶えたらしい。じいちゃんも詳しいことは話したがらなかったけど、**「あそこで出た呪いは、触れるもの全てを汚す」**って、震えながら言ってたな。』


贄の家、呪い、触れるもの全てを汚す――。まさに、僕と健太に起こったことと符合する。僕は一心不乱に、そのユーザーに質問を重ねた。すると、もう一つ、気になる情報が書き込まれた。


『詳しいことなら、市立図書館の郷土資料室にいる、田中先生に聞いてみたら? あそこの資料室、妙に古い文献とか揃ってるし、田中先生も地域の歴史にめっちゃ詳しいから、何か知ってるかもよ。ちょっと変わり者だけど。』


田中先生。僕はすぐに図書館に向かうことを決めた。藁にもすがる思いだった。


市立図書館の郷土資料室は、静かで薄暗かった。埃っぽい本の匂いが充満し、時間の流れが止まったかのような空間だ。カウンターに座っていたのは、白衣を着た、小柄な初老の女性だった。眼鏡の奥の目が、鋭くこちらを見ている。彼女が田中先生だろう。


「あの、田中先生ですか?」


僕が声をかけると、彼女は顔を上げ、じっと僕を見た。その視線に、僕はなぜか背筋が凍るような感覚を覚えた。まるで、僕の奥底にある秘密を見透かされているかのような。


「そうだが。何の用かね、若者。郷土史に興味があるのか?」


「はい。実は、〇〇町の『赤煉瓦の家』について調べているんですが……」


僕がそう切り出すと、田中先生の表情が微かに固まったように見えた。


「赤煉瓦の家、か。なぜ、あの家を?」


「……最近、その家に関する奇妙な現象に巻き込まれてしまって。友人も、そのせいで……」


僕が左手首の痣を見せると、田中先生は眼鏡をくいっと上げ、まじまじとそれを見つめた。


「これは……まさか、穢れの痣か」


彼女の口から、僕の知らない言葉が出た。「穢れ」?


「穢れ、とは何ですか?」


「穢れとは、この地域に古くから伝わる概念だ。特定の土地や血筋、あるいは物に宿る、負の念の塊のようなもの。それが人に憑りつくと、ああいう痣となって現れる。そして、その穢れは、触れることで伝染する」


彼女の言葉に、僕の思考は追いつかなかった。伝染? 健太は……僕が持ってきたサッカーボールに触れたから?


「あの赤煉瓦の家は、昔から忌み嫌われる場所だった。正確には、あそこにあった古い**祠(ほこら)**が原因だ。その祠には、村の不幸を一身に集めた『贄』が祀られていた。しかし、その『贄』が、ある時、村人への呪いと化し、惨劇を引き起こした。その詳細を記した文書は、ほとんどが焼失してしまっているが、一部はここに残されている」


田中先生は、背後の書架から古びた巻物を引っ張り出した。それは、羊皮紙のような質感で、表面には墨で書かれたような、読めない文字が並んでいた。


「ただし、忠告しておく。その呪いは、生半可な気持ちで挑めるものではない。触れれば触れるほど、深く取り込まれていく。君のその痣も、既にかなり進行しているようだ」


田中先生の言葉は、まるで僕の未来を予言しているかのようだった。しかし、僕はもう後戻りできなかった。


「それでも、知りたいんです。この呪いを、止める方法を……」


田中先生は、じっと僕を見つめると、小さく息を吐いた。


「よかろう。だが、一人では危険だ。君には、穢れを感知する力はない。しかし、私には、それを見る力がある。それに、あの呪いの根源は、単なる穢れだけではない。もっと深く、血の因縁が絡んでいるはずだ」


「血の因縁?」


「ああ。この呪いは、特定の血筋に強く影響を及ぼす。そして、その血筋は、今もこの町に生きている可能性がある」


田中先生の言葉は、僕に新たな絶望と、しかし一縷の希望を与えた。僕は一人ではない。そして、呪いの深奥には、まだ見ぬ真実が隠されている。僕の体は蝕まれていく一方で、知的好奇心と、健太への罪悪感が、僕をさらに深い闇へと誘っていく。


僕の左手首の痣が、じん、と熱くなったような気がした。


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