第31話 ブリリアント
三つの足音が、とうに月明かりの人気のない街道を進んでいた。
最初の足音は荒々しい。一歩分遅れて続く足音は、ときおり急きたてられて小走りになるが、ゆっくりした足取りだ。それから少し離れた場所をついてくる足音。
前の二つと違って、最後の足音は人の足音ではない。四つ足の獣――ブリリアントのものだ。
はけ口のない苛立ちを地面にぶつけながら、ディンは街道を進んでいた。ディンの怒りがわからないわけはない。なのにブリリアントはずっと、つかず離れずの位置をついてくるのだ。
神経が過敏になっていた。ささやかな足音が、ひどく癇に障る。存在をひしひしと感じて、腹の中の内圧が高まっていく。耐えられないほどイライラが募ったとき、ディンは足をとめた。
「ついてくるな!」
振り返りもせずディンは、怒鳴りつけるように叫んだ。
「どうしてついてくるんだ! ルーシェのところに行け!!」
ガリエラの運命の一日から、すでに二日がたっていた。
アレクが変化した魔物を倒したあとのことは、よく覚えていない。頭の中に霧がかかったみたいで、気がつくとアレクの姉の手を引いて、夜の街道を歩いていた。ただレオノラの、神殿に気をつけろという言葉だけが、頭の中でぐるぐるまわっていた。どこに行く当てもない。ただ立ち止まっているのは怖くて、歩き続けているのだ。
ディンに手を引かれたアレクの姉は、文句をもらすこともなく、ぼんやりとした顔でついてくる。単に不平をもらすための感情を、持ちあわせていないだけかもしれないが。
だが何故か、ブリリアントまでがディンについてくるのだ。
なんの反応もないブリリアントを見ると、冷ややかな視線がディンを刺した。
「ぶぶひぶひひぶぶぴぎぎ。ぶぶぶひぴぎふごぶひひひひぶひぴぎぶひひ」
視線に劣らず冷ややかな声音が、何事かをいい放った。いっている内容はわからないが、いいたいことはわかる。口調と声音が雄弁に語っていた。ディンを責めているのだ。
「俺が悪いと言いたいんだろう? そんなことはわかってる」
ジイさまに子ども扱いされるたびに腹が立った。大人も子ども関係ないと思ってた。でも思いあがりだった。何も――何も見えてなんてなかったのだ。ルーシェの、そしてブリリアントのあんな大きな秘密を、ずっと一緒にいたのに何も気がつけなかった。
自分を倒すと、実力も顧みずいい放つ愚かな子どもを、彼女はどんなふうに思ってともに旅していたのだろう。
出会った日の夜の、たき火を見つめる表情が抜け落ちたような顔が返った。あのとき、憎まれているのかもしれないと感じたのは、きっと正しかった。憎まれていて当たり前だったのだ。
「何も知らなくて、何も気がつかなくて、ルーシェが魔物の王だなんて思いもしなくて……ッ」
だって、自分を助けてくれた、魔物の王を倒すといえば古木の翁を紹介してくれた、そんなルーシェがまさか魔物の王その人だなんて思いもしなかった。彼女はいったいどんな気持ちで、ディンの言葉を聞いていたのだろう。
何も知らないで偉そうなことばかりいった。ルーシェがイライラするのも当然だ。でも彼女のその感情の起伏さえ、、そういう性格なんだと、深く考えてみもしなかった。でもそれら全部、ディン自身がルーシェを苦しめてい結果だったのだ。
「俺が……ッ、俺がルーシェを苦しめてたなんて!」
ルーシェはきっと、さぞバカな子どもだと思っているだろう。人を見る目さえ持ちあわせないで、夢のようなことばかりいうやつだと。
謝れるものならそうしたかった。でも、ルーシェはきっともう、ディンの言葉など聞いてくれない。顔を見ることさえ疎ましいと思っているのだろう。ガリエラで、空からルーシェが見おろしたときの冷ややかな眼差しが、まさしくディンをさげすんでいたからだ。
あの目が脳裏に思い返して、胸の中が真っ暗になる。うつむいてディンは唇を噛んだ。
「男が……」
すぐ傍で、ぼそりとつぶやきが落ちた。聞き覚えのない声に、ディンは顔をあげて辺りを見まわす。だが、月明かりの街道には自分たちの他に人影はない。
「男がね……」
再び聞こえた声音を探したディンの視線の先で、彼女はすぅと息を吸いこむ。大きく息を吸いこんだ拍子にかぶり物が落ち、紫色の瞳がむき出しになった。その目が、音がしそうな勢いで、ディンに向けられる。
「グチグチグチグチグチグチと!」
ひるむよりもまずディンは目を瞠る。呆然と己を見つめるディンを、彼女は身長差を埋めるように、襟元をつかんで引き寄せた。
「女々しいことばっかり言ってんじゃないわよ!」
鼻のてっぺんふれそうなほど近づいた顔に、ディンはいっそう目を大きくした。怒りに頬を上気させ、強い光を目に宿しているのは、さっきまでまるで表情のなかったアレクの姉だった。
「失敗したってね! 男はそれを糧にするぐらいでなくてどうするの」
「もしかして……ブリリアント――なのか?」
視界の端に、道端に倒れ伏している仔ブタが映っていた。原理はわからないが、仔ブタの意識がアレクの姉に宿ったようだった。
「だったらどうだっていうの!? そんなことはどうでもいいのよ!」
ブリリアントは忌々しげに舌打ちした。ただただ見あげるしかできないディンを、ブリリアントは乱暴に突き放す。そして尻もちをついたディンの前で、ブリリアントは蹴りつける勢いでガン! と地面を踏みつけた。
「あたしがあなたを選んだのはね、確かにいうことは荒唐無稽で、子どもっぽくて、自分の実力なんてかけらも顧みなくて、そんな頭なんてとうていなさそうで……!」
きっぱりとひどいことをいわれて、本当のことだけに反論もできずディンは胸を押さえた。
「でもね! それでも、自分なりに筋を通そうとする強い意志と、ばかはばかなりに一生懸命考えてるとこを見こんだのよ」
声の勢いが語尾にかけて陰った。うつむいたブリリアントに、ディンは驚きから覚めて、見つめ直す。今にも泣きだすのではと思うくらいに、彼女を包む意気が目に見えて衰えていた。
「それにね、ルーシェのことを勝手に決めないで。ルーシェは……」
ブリリアントの言葉が途切れた。急に厳しくなった眼差しを、通ってきた方向へと向ける。ブリリアントが見つめる方向に同じように目をやり、疑問はすぐ解消した。遠くから地響き聞こえた。馬の蹄が荒々しく地を蹴立てる音が近づいてくる。一頭ではない。徒党を組んでいる複数の馬蹄音だ。ディンもブリリアントも会話をとめ、音のするほうへと目を凝らす。
「聖騎士だわ」
闇の向こうへと目を凝らして、ブリリアントが呟いた。彼女を見あげて顔をしかめたディンは、すぐに辺りを見まわした。少し離れた場所に森があるが、街道沿いには、身をひそませるようなものは何もない。仔ブタの体を抱きあげると、ブリリアントを急かしてせめて道端へとよけた。夜だし、見たところ騎馬の一団は相当急いでいるようだ。気づかず行きすぎるかもしれない。だが、ディンの予想に反して、手綱を引かれた騎馬は、前足を高々と掲げてとまった。
騎馬を駆って現れたのは、ブリリアントの言葉通り、神殿のお仕着せを着た一団だった。後続も先頭にならって馬をとめる。騎士たちは馬から降りると、音もなくディンたちを取り囲んだ。不気味な印象を振りまく、両手の指程の数の騎士たちを見まわしていたディンは、高いところから投げかけられた声を振り仰いだ。
「ジュダ枢機卿の孫息子ディンだな」
ジュダとは祖父の名前だ。男の言葉は、問いというより確認だった。月を背負って馬上から見おろす男は、鋭い目をディンに向ける。威圧感のある男だった。見あげたディンは眉根を寄せる。レオノラの言葉が、警鐘とともに頭の中で響いていた。
指揮官らしき男は、ディンとブリリアントが中に入った姉とを見比べる。ディンは頭巾を目深にかぶりなおした彼女の前に、立ち位置をずらした。
「そうだ。あなた方は?」
「質問をしているのはこちらだ。おまえは素直に答えればいい」
馬上からおりてきもせず、男はディンを制した。細面の、眼下が深く落ちくぼんだ男は、無表情にディンを見おろす。その表情も態度も、およそ好意的なものではない。
「枢機卿の孫ディンと、娘と仔ブタ、報告にあったとおりです」
指揮官らしき男はディンから目を離さず報告にうなずく。
「その娘は私どもが預かる。引き渡しなさい」
「預かる?」
物騒な気をまき散らし、いったい預かってどうするつもりなのだろう。うさんくさい気持ちをそのままに、ディンは男を見あげる。レオノラはジイさまも神殿も頼ってはならないといった。そして目の前にいる男たちが、レオノラが信じるなと言った最たるものであることは、一目瞭然だ。
「預かる理由を聞かせて欲しい」
尋ねると、男は鼻白んでわずかに身を引いた。反論があるとは思っていなかったようだ。
「息子といい、嫁といい、その妹といい、それどころか孫息子までこれでは、枢機卿のご苦労がわかろうというものだ」
「両親をご存じですか」
「よおく存じあげているよ。おじいさまのいうことをお聞きにならず、おじいさまに大きなご心痛をおかけした親不孝者だ。孫息子までがご両親の二の舞になってはおじいさまがお気の毒だ。おじいさまにご迷惑をおかけしたくないだろう」
確かにジイさまに迷惑をかけるのは本意ではない。だが、薄笑いを浮かべながらいわれても、素直に従う気分にはとうていなれようがない。
「ジイさまは俺の性分くらい知っている」
「……生意気な子どもだ」
いい返すと、男の目に物騒な光がよぎった。そのとき小さな悲鳴があがって、ディンは振り返る。同時に、ブリリアントの手をひねり上げた神殿騎士が、興奮した声を張りあげた。
「隊長! やはりこの女、魔物です!!」
ざわっと空気が揺れた。目深にかぶっていた頭巾が落ちていた。ディンは舌打ちした。
「魔物は殺せ」
「逃げろ、ブリリアント!」
ブリリアントの手をつかんでいる男に向かい、ディンは思い切り地面を蹴った。全身で食らわせた体当たりにも、相手はわずかによろけただけだった。だが目的は達した。戒める力が緩んだ隙に、ブリリアントは手を振り払い、男たちから間合いをとった。
ブリリアントの無事をを確認したのとほとんど同時に、頬に衝撃を受けた。ふわりと体が浮く。殴られて、体が吹き飛ばされた。拍子に、抱えていた仔ブタの体が手を離れて転々と転がる。
ブリリアントが小さく悲鳴を上げて、己の本体を追いかける。だが寸での差で、騎士のひとりが仔ブタの後ろ足をつかんで引きあげた。
「ちょっと! あたしの体に何するのよ! このスケベ親父!」
「バカ、そんなこといってる場合か!! 逃げるんだ、ブリリアント!」
目くじらを立てるブリリアントの背後で、騎士が剣を振りあげる。跳ね起きて、ディンは背中の剣を抜いた。同時に二人に向かって走る。だが、ブリリアントの元までたどり着けなかった。
「小僧、手間をかけさせるな!」
髪の毛をわしつかまれ足が宙をかいた。頭皮ごと持って行かれそうな衝撃に、ディンは短くうめく。やりとりに振り返ったブリリアントの目が見開かれる。
「ブリリアント!」
振り返ったところを、斜めに斬りつけられた。赤い飛沫が飛び散る。呼吸をするのも忘れて、ディンは後ろざまに倒れこむブリリアントを見ているしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます